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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

母を守れなかった後悔

母が頭を打って入院しました。 血腫で脳を圧迫し、現在ほとんど意識がありません。今ギリギリの状態で、もしこれを乗り越えたら意識レベルが少し回復する可能性もゼロではないそうですが、危険な状態に変わりはありません。もし回復しても、元のように家で過ごすことは難しいだろうと言われました。 先月90歳を迎えた母は、身体中の痛みやしんどさに耐えながら、それでも週4日デイサービスに頑張って通ってくれていました。 その母が、先週肝臓がんの告知を受けました。本人は知りません。 無治療ならあと一年ほど。認知症はかなり進みましたが、近頃少し元気になっていたこともあり、入院せずにすむ放射線治療にわずかな期待を持っていました。しかし今までも頑張ってきた母に、これ以上辛い思いをさせたくないという思いもあり葛藤していました。 その一週間後、デイサービスから戻った母は一人で外に出て行き、マンション入口で転倒したのです。私は仕事中ネットワークカメラでそれに気づき、すぐに電話しましたが間に合いませんでした。 母が心配で狭い家にカメラを3台設置し、押し車にはGPSを付けていました。 本当にいろんな事がありましたが、なんとか今まで乗り越えてきました。 認知症もかなり進んでいましたが、近頃の母は穏やかで、私も心身共にとてもきつい時もありましたが、このところ特に母の世話をするのが楽しかった。 がんと知ってからは尚更、一日一日が尊く、毎日「私の宝だよ、大好きだよ」と言って母を抱きしめました。 とても愛情深く明るく可愛らしく、お茶目でやんちゃな世界で一番大切な人です。人生の殆どを、そんな母と二人で過ごしてきました。 スーパーに買い物に行こうとしたのか。 私を迎えに行こうとしていたのか。 あの日カメラに写った、家を出て行く後ろ姿が頭から離れません。 がんでも最後まで穏やかに過ごせたかもしれないのに、あんな目に合わせてしまった。私がもう少し早く電話していたら止められたかもしれないと思うと、辛くて苦しくてたまりません。母を守れなかったことを後悔してもしきれません。 私が一人になるのを常に心配していた母です。いつも一生懸命な母です。 今この瞬間も頑張って必死に生きています。 生きていてほしい、これ以上頑張らなくていい、どちらも本音です。 どうお祈りすれば母が安らかな気持ちになれるか、お教えください。

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慢性疾患持ち、死にたくてどうしようもない

こんにちは。私は20代女性で、全身の痛みと倦怠感が主な症状である難病を患っています。 私はもういろいろなことに疲れたと感じて、大変不謹慎ではありますが、毎日死にたくてどうしようもない気持ちです。 病気になる前は、学業に励んでいました。成績や進学先も良かったので、主観的にはともかく、客観的には努力してきた生き方だったと思います。 ある時期から症状が出始めて、激しい倦怠感や節々の痛みが現れました。 結局、国家資格職を目指していたものの、なんとか資格を得ただけで、社会人経験なく現在に至ります。無職です。 一般的な同世代の人に比べて、積むべき社会経験をほとんど積まずにここまできてしまいました。 スキルも常識も身についていないと思うし、症状がしんどくて人付き合いもあまりできなかったので、友人と呼べる間柄の人はほとんどゼロです。 毎日、起き上がるのが辛い、歩くのが辛い、何か動作するのがいちいち辛い(椅子を引いたり、布団を自分に掛けるようなレベルでもかなりしんどい)、風呂に入るのがそれだけで涙が出るほど辛い、何もしていなくてもほぼ常に痛みがある、といった生活です。 社会的責任を果たすことも、プライベートの趣味や楽しいことも、何もできていません。幸い、「元気だったらこれをやってみたい(やってみたかった)」と思うものはありますが、現実としてそれに取り組めそうな状況ではありません。 医療費がかさみ、生活にも困窮しています。それなのに、基準の一部を満たさないため、社会的支援は受けられません。 今後どうやって生きていけばいいのかわかりません。 倦怠感と痛みに耐え、毎日身体に鞭を打って働くのも、正直かなりしんどいです。もう少し体調が良かった頃はそのようにして働いていましたが、現在は当時よりかなり体調が悪化しているので、現時点では難しいです。 自殺すると家族が悲しむとは思いますが、家族への負担は言うまでもなく減ります。なのに自殺すらできない自分が情けないです。死にたい死にたいと思うだけで何も行動に移せない自分に腹が立ちます。 治療に励んできたつもりでしたが、薬の副作用でさらに新たな疾患(臓器障害)を抱えることになりました。 闘病にも社会復帰にも、そもそも生きていたいと思えないので、何をモチベーションにして頑張ればいいのかわからないです。 とにかく辛い。 まとまりのない相談でごめんなさい。

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父の命の灯火が消えそう。気持ちの持ち方

はじめまして。 私の実の父親が現在入院していますが、先日、命の期限が残りわずかであることを担当医から聞かされました。 私自身、覚悟はしていましたがかなりショックでした。 母親は持病があり、父親の突然の急変に戸惑いも大きいため、重要な場面でのやりとりは全て私が請け負い、母親の負担軽減をしています。 私には自死した弟がいます。その傷も癒えないうちの父親の余命宣告は、母親には酷過ぎて…とても悩みましたが伝えないと決めました。 父親の容態からも先を感じ取っているようにも見えるので、わざわざ期限を伝えて悲しみをより深くする必要はないと考えました。 この選択が正しいのかどうかは分かりませんが…。 弟の時は突然だったので何も出来ませんでしたが、父親には思いを伝える時間があります。 限られた貴重な面会時間を大切にしようと母親と話しました。 先日「お父さんの娘で良かったよ」と笑顔で伝えたら喜んでもらえました。 意思があるうちに伝えることが出来て本当に良かったと思いました。 この瞬間を宝物にしようと思います。 泣きたいくらいの毎日ですが、私は持病の関係で泣くと発作を起こしてしまうため、泣くことはあまり許されていないのです。 教育関係という仕事柄、笑顔でいることも重要です。悲しみに蓋をして子どもや父親の前では笑顔を見せています。 弟の悲しみの経験があるから、今頑張ることが出来ています。 現在、父親は意思の疎通が難しくなってきており命の期限が近いことを感じ、本当はとても不安で怖い気持ちです。 しかし、早く痛みや辛さから解放してあげたいとも思っています。 私自身、辛くて悲しいのですが頑張らなくてはなりません。また、頑張ろうと思っています。 今後、どの様な気持ちでいたら良いのかを教えていただきたいと思います。 よろしくお願いいたします。

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父は私を忘れたいでしょうか?

失礼します。いつもハスノハを拝見させて頂き勉強させてもらっております。ありがとうございます。今回初めて質問させて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。 最近父が癌で死にました。 家族に対し離婚・借金・浮気など全ての悪事を働いた父ですが死が迫り、また死んだ後は母・兄・私からたくさんの涙をさらい49日までの7日ごとの日には家族で集まり父の好物を一緒に食べ弔うなど結局は大切にされています。(最後父には彼女がいて、彼女からも大切にされています笑) そんな父ですが本当に子供の頃が幸せだったのでしょう、小さい頃読んでいたマンガ本やYouTubeの履歴ではゴジラなど最後の最後まで身近には子供の頃慣れ親しんだもので有りふれていました。 私は今、心を込めて後飾りの世話をし日々父に語りかけているのですがある日ふと思ったのです。「父は子供の頃が一番幸せだったから、死んだ今、天国では子供の頃に戻れているのかな?ならば父からすれば私のことは『誰?』みたいな存在になっていて私からや私たち家族からの供養はむず痒く感じているのかな?」と。 教えてください、父は今私を必要とはしていないのでしょうか?だから一向に、私の枕元に立ってくれないのでしょうか? また父は私たち家族をもう思ってはくれないのでしょうか? そんなことはありません!笑 と回答がきてしまいそうなバカな質問だということは承知の上ですが大まじめです。 宜しくお願い致します。

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宗派の違う人の供養の仕方

教えていただきたいです。 大切な彼が自死を選びました。私は救うことも支えることもできませんでした。それなのに、最後に「ありがとう」と言ってくれた、心優しい彼でした。 彼は真言宗です。即身成仏で、現世において密厳浄土を目指す宗派と理解しております。 お父様の月命日には必ずお墓参りをしていた、心のきれいな彼です。 さて、ここからが質問です。 1 自死をした場合 自死を選んでも、心のきれいな彼であれば、密厳浄土に到達し、苦しみから解放されているのでしょうか。 2 逆縁の場合 彼のお母様は存命です。逆縁になってしまっても、密厳浄土に到達し、苦しみから開放されているのでしょうか。 3 供養の仕方 四十九日までは、追善供養が重要と理解しています。 家族でもなく、宗派も違う私の場合、彼を想って光明真言や般若心経を自分で唱えるようなことで、追善供養になるのでしょうか。 何をすることが、彼にとって最善なのでしょうか。 4 宗派の相違 私は真言宗ではありません。その場合、死後に会うことは叶わないのでしょうか。 5 悪人正機 私は様々な罪を犯しているため、こんな私でも彼のためになれるとしたら、高尚な真言宗ではなく、浄土真宗の教えに従い、阿弥陀仏に救いを求めることしかできないのではないかとも考えています。 真言宗の彼のために、南無阿弥陀仏と唱えることは彼のためにはならないのでしょうか。 質問ばかりで申し訳ありませんが、こんな私が彼のためにできることを教えていただきたいです。

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がんの治療をしたのに消えたくなります

長文失礼いたします。 私は以前がんの治療を行い、現在経過観察中です。   治療をしていた時は死にたくないと思っていたし、治療も前向きに考えて取り組んでいましたが、治療が無事に終わってからは生きることが辛くて死にたい思いがどうしても消えません。 こんなことを言うとせっかく治療を乗り越えたのにと色々な人から怒られますが、できることなら生きたいと思っている人たちに自分の寿命を分けて自分は消えてしまいたいです。   死にたい気持ちが消えない理由はわかっていて、治療の関係で足に障害が残ったこと、友人達は働いているのに自分はまだ働けていないこと、病気が理由で付き合っていた人からふられたことなど、周りは先に進めているのに自分はなりたくなかった病気のせいで取り残されていると感じて、未だに自分の現状を受け入れられていないからだと思っています。   また、最近は仲の良い友人が鬱になり、病気の辛さでマウントを取られるようになって、余計に死にたくなるようになりました。   せっかく治療を終えて生きているのに死にたいと考えてしまう私が生きていることが、今頑張っている人や亡くなった人に申し訳なくて、余計に死にたくなる悪循環を繰り返してしまいます。   このような考えをなくすためにはどうしたら良いでしょうか。 アドバイスをいただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。

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亡き父への思い

昨年2月2日の深夜に父が亡くなりました。 自宅で息を引き取り、すぐに救急車呼んで病院に運ばれましたが死亡が確認されました。死因は、心臓突然死でした。亡くなる4時間前まで普段と変わらず話していました。 亡くなる当日の日、父が車を運転していて、朝から家族揃って出掛けていました。コロナの影響でマスクを買いにスーパーやお店などを探しに行っていました。その夜にスーパーに行って買い物を済まし、みんなでご飯を食べていました。 この時、お別れする時間が迫っているとは思っていませんでした。 深夜亡くなる直前に父は寝ていて、急に息が荒くなり、その直後動かなくなりました。この時、母は寝ており僕は起きていました。声を聞いて母がすぐに起きて異変に気付き、僕もいつもと違う事に気付いて父を揺さぶったり、呼びかけても全く反応がありませんでした。もしかしたら呼吸が止まっているかと思い、すぐに母が救急車呼んで指令官の指示により僕に携帯電話を渡されてマッサージを始めました。僕も指示で、状態を伝えてながら救急隊の人に必死で誘導してその後に病院に運ばれました。 搬送先の病院でしばらく心肺蘇生を続けていました。医者の先生が40分ぐらい時間が経過しておりこのまま蘇生を続けても難しいと伝えられて死亡を確認し亡くなりました。 その後、葬儀社と親戚、近所の人に連絡をして お通夜、告別式に集まり頂いて、急な出来事にびっくりしていました。 父は持病を持っており、60歳の生涯でした。 あまりにも突然で、しばらく涙が止まりませんでした。お別れするのは辛かったです。最初は夢を見ているかなと思い、信じられませんでした。もし、夢なら早く覚めてほしいと思いました。 父が生前に教えてくれた事、楽しい時間を過ごした事は、今でも忘れません。 長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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夫の病気に伴うさまざまな悩みについて

夫との今後について考えてしまいます。 共に46歳子供はおりません。 仲は良い方だと思います。 夫が昨年夏に摘出した臓器から癌が見つかり、さまざまな検査を得て体内への転移が無いとの結果です。 ただ、質の悪い癌で転移しやすいため予防の意味で5月頃まで半年間の抗がん剤治療中です。 暫定では転移が無いとはいえ、再発の可能性→夫の死ばかり考えてしまいます。 また副作用できつそうにしている姿を見て将来に希望が持てません。 また昨夏以来、夫婦生活もなく淋しく感じます。 (抗がん剤治療は1週間の薬断ち期間がありますがそのときはお酒が喜びのよう。本人にお酒を飲むと性機能が不能という思い込み有り) 子供が出来ずに苦しみ続けやっと楽になりかけ、穏やかに過ごしていた矢先のことで理不尽さを感じています。 一人っ子で兄弟もいません。 夫がいなくなり、天涯孤独になることを恐れて両親に話したところ『自分の苦しみばかりで本人のことを考えてない。マイナス思考すぎる』と一喝され、それ以来両親とは距離を置いています。 このような中で私が病気になれば良かった、逃げ出したい、死んで終わらせたい…と思ったり、何とかなると思ったり、気持ちの浮き沈みが激しい毎日です。 また考え過ぎて、好きではあるけれどいっそのこと離婚して夫と離れようかとも思う時もあります。 それは冷酷なことなのでしょうか。 気持ちが落ち着かない中で、なるべくは離婚は避けたいですが、それは癌に怯える日々とイコールと思うと気が滅入ります。 最終的に答えは自分の中にあるのだとは確信しています。 ですが、日々、少しでも楽な心の持ちようをご進言いただけましたら幸いです。 趣味の時間は一瞬忘れられますので、そのような時間を増やして乗り切ることが良いのでしょうか。 乱文・長文にて大変失礼いたしました。 お忙しい中大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

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死にたくないのに死にたいです

死にたくないのに死にたいと思ってしまいます 助けてください 私は恵まれていると思います。家族にも学校にも問題はなく、アルバイトにはやりがいを感じています。勉強も好きですし、打ち込める趣味もあります。体調がすぐれない日が多いことは悩みですが、それが原因で死にたいと思う程ではありません。自分のことがどうしようも無く嫌いなわけでも、死んだほうがマシな人間だとも思いません。 けれど頻繁に、全てがどうでも良くなり、どうしても今すぐに消えたい、死んでしまいたいと思ってしまいます。そのような状態になるとものすごくイライラして、涙が止まらなくなり、何も手につかなくなってしまいます。最近では夜中目が冴えて眠れないことも多くなり、精神科で処方してもらったお薬を飲んで無理矢理眠っています。 死にたくなるタイミングを手帳につけたところ、生理が関係しているかもしれないと思い、婦人科や精神科に行ってお薬をもらっていますが、どうにも良くなりません。運動してみたり、食事を改善してみたり、カウンセリングを受けてみたこともありますが、死にたいという気持ちを抑えることはできませんでした。 もう死にたい思いに支配されたくありません。思いつく手は全て打ちました。もうこれ以上、どうしたら良いのかわかりません。

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過去に亡くした大切な人について

10年以上前になりますが、高校生の時に当時インターネットで知り合ってお付き合いしていた彼を事故で亡くしました。 彼とは住んでいる場所が離れていた事や、お互い高校生であった事などから一度も会うことは叶いませんでしたが、電話やメール、写真のやり取りなどを介したお付き合いが一年半ほど続いていました。 当時私は心に問題を抱えており、家族や友人とうまく関係を築けずにいたので、いつも優しく、私の事を好きだと言ってくれる彼の存在は大きな支えになっていました。 そんな中、彼の近しい人物からの連絡とニュース記事で彼の突然の死を知りました。 両親には話せず、けれど自分一人ではどうする事もできず、結局彼のお葬式やお墓参りに行くことはできませんでした。 現在は縁あった方と結婚し、幸せな毎日を過ごしていますが、彼の事はいまだに忘れる事が出来ません。 夫はとても優しく愛情深く、私を大切にしてくれています。もちろん私も夫を大切に思っています。 けれど心の中にはいつも亡くなった彼の存在があり、日常で彼の好きだった曲や好きだったものに触れる度、彼を恋しく思います。 そんな風に彼を思い出すたび、他の男性の事を想っている自分が、夫にたいして申し訳なく、罪悪感を感じます。 しかしその反面、死後の世界があるのなら、いつか天命を全うして彼に会えたら、などと考えてしまう自分もいるのです。 一度も会った事のない相手を結婚してもなお想ってしまうのは愚かな事だろうかと悩む日々です。 身近な人には相談する事が出来ず、何か助言をいただけたら嬉しく思います。 よろしくお願い致します。  

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死後の世界について

最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。

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死が近いことを知り、心が冷めるのは?

2年前から乳がんの治療をしています。そして、徐々に上がっていた腫瘍マーカーが、このたび倍の値をはじきだしました。 数ヶ月、様子をみて、おそらくまた再び抗がん剤治療が始まります。 できれば長生きしたいのですが、がんが見つかった時には全身に転移していました。幸い自覚症状は全然ないのですが、画像でうつったがんの影や、異常な数値を見ると、私は(も)、時間はもうあまりないのかもしれないと実感します。 38歳、夫を残して死ぬことは心残りですが、他に関してはなぜかすごく冷めているのです。 窮地に陥ると実感するような、生きたい!とか死にたくない!という情熱や、あたたかな感謝や、しみじみと人生をかみしめるような気持ちが、全然起きてきません。 死んだら死んだだな、もう疲れた、というのが今の気分です。 できれば、あたたかな感謝の気持ちや、なにかを目標に進めるようなエネルギーが欲しいとも思うのですが、その反面、簡単に人にわかるか、わかられてたまるか、というどうしようもないスレた気持ちが強いです。 からだと心を善きもので満たしたほうが、予後もよいと思うのですが、そうなれないことに不安と焦りがあります。 しかし、それよりもこの冷めた感じ、やけくそみたいな気持ちがわいてることが、なにより自分らしく感じてしまいます。 天命というものがあるのなら、それは心のありかたや、生活のありかた、生き方は、繋がっているのでは、と思うのですが、このような冷めた、すれた、感謝もないような心や生活のありかたは一体どうなんでしょうか? 心身を入れ換えるエネルギーがないというのが正直なところで、虐待、流産や、病気になったことで思いもよらない悪意ある言葉をなげつけられることのショックで、もうどうにでもなればいいわというのが正直な気持ちなんです。 そんなだから、腫瘍マーカーの値があがり、がんが増えているのか? いっそうエネルギーがなくなり、本当に冷めてしまっています。 病と心・生活のありかたは、どのような関係があると考えていいのでしょうか? また、こんなに冷めた気持ちでいる自分は死が近いんでしょうか?死の近い人間は心は冷めていくものなんでしょうか?あたたかみをもったほうがいいのでしょうか?

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大好きだったおじいちゃんの死を受け入れる

初めて相談させて頂きます。29歳女性あかりです。 わたしが生まれた時から家族のように可愛がり育ててくれた近所のおじいちゃんが、余命1か月の宣告を受けました。 病名を聞いた時から、もう長くないことを知っていましたが、段々弱っていくおじいちゃんを見ると胸が張り裂ける思いです。 わたしの一番の願いは、おじいちゃんが少しでも痛み苦しみ少なく楽に、残された時間を過ごしてほしい。と思うのですが、 おじいちゃんとの思い出がたくさんありすぎて、こんなに身近な人を失う経験が初めてで、悲しいとか辛いとかよく分からない、どうしようもない気持ちで押し潰されそうです。 おじいちゃんが幸せだったと思える人生だったかな?亡くなる前におじいちゃん自身の人生を満足して旅立てるかな?とか、ここ最近ずっと考えてしまいます。 今はもう直接聞くことができませんが、おじいちゃんが満足できた自分の人生を歩んでこれたなら、私のこの悲しみも少しは和らぐのですが。。 痛みを伴い苦しい病気の中でも、安楽な気持ちで最期を迎えることができますか? そして、残される側の気持ちを実感していますが、どんなふうにこの悲しみを乗り越えていけば良いのかを悩み相談させていただきました。

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幸せを感じると死ぬのが怖い

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。

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