2025/04/02回答受付中障害を心の拠り所にすることの是非
私は中学生の頃にasdという発達障害と診断された者です。
障害者が、障害者であることを心の拠り所にすることは間違っているのでしょうか?また、これが間違っていた場合、私は何を心の拠り所にすればいいのでしょうか?
ある日の晩のこと、何気ない会話をしていたら母から「発達障害は病気ではない。あなたは健常者だ。」と言われました。
私は混乱してしまい、泣いてしまいました。心にヒビが入った感覚を今でも覚えています。
当時なぜあそこまでショックを受けたのか考えたところ、自分が障害者であることを心の拠り所にしていたからだと思います。
「いじめられたり仲間はずれにされたのは、障害の特徴があったから、相手も私も悪くない」「不登校になったり、留年したのも、辛い思い出からくるメンタル疾患のせいだからしかたない」「asdだけど、社会に受け入れてもらえるようにコミュ力を上げるトレーニングをしよう」などなど、asdは私の不幸の言い訳を手伝ってくれていました。
もちろん、障害を盾に社会に理解や配慮を求めておいて、自身は何もしないなどという甘ったれたことはしようとは思いません。障害を言い訳に改善できるところを改善しないのは言語道断です。
私は自分が辛い思いをしていることに正当性をもたせて「しかたないよね」と前に踏み出したいのです。そのために障害者という属性が必要なのです。
と、ここまで書きましたが、最終的に私が欲しいのは私を前に踏み出させてくれる心の拠り所であり、障害者という属性は手段にすぎません。これを拠り所にするのが不適切なら捨てます。
そこで前述の質問に戻ります。長文失礼しました。回答よろしくお願いします。

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