皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

死刑制度で質問です。

日本弁護士連合会(日弁連)が6日、福井市内で開催した死刑制度に関するシンポジウムで、”瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。
日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。”とあります。

しかし、一番野蛮な行為をした犯人が、軽い刑で済むのはどうかと思います。

また、”目には目を歯には歯をは”いけないのはわかりますが、刑期を終えて出所して社会に復帰すると恐ろしいです。

これでは被害者サイドは泣き寝入りかと存じます。

どう思われますか?ご意見を何卒よろしくお願い申し上げます。

世の中・自然
有り難し 56
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

圓常寺

聖章

私としては

私としては。
人の思想は様々、境遇も様々、犯罪を犯した原因も様々ですから、一つの正解というものは無いと思います。

昔インドにアングリマーラという連続殺人鬼がいました。100人目を殺そうとした時にお釈迦様と会い、目を覚まし弟子になりました。
お釈迦様は彼を罰することはしません。悟りに至るように導くのです。

つまり、犯罪者も反省したなら、許すべきと思えます。

しかし、アングリマーラはその後托鉢で町を歩いている時に、遺族達によって石を投げられ、棒で打たれ、最後には殺されてしまいます。
お釈迦様は当然の報いだから耐えなさいと言いました。

ここからは、因果応報、悪因を作れば当然その報いを受けることになる。これを止めることはお釈迦様でもできないし、遺族の気持ちも当然である、ということだと思います。

死刑制度が無ければ、遺族が犯罪者を殺すでしょう。それも当然の報いです。
ただ、その場合は返り討ちにあう遺族もいるでしょうし、反対に殺された犯罪者の遺族が、仕返しすることもあるでしょう。
怨みは際限無く続いていきます。
その怨みの継続を止める為に、死刑制度が役に立っている、という面もあると思います。
死刑になるのは当然の報いなのです。

ただ、最近は冤罪が多いようですから、十分な検証が必要ですし、可能なら、死刑ではなく終身懲役など別の形で報いを受けることも、遺族の気持ちによってはありなのかなと思います。

現状では、死刑廃止は難しいと考えております

 以前、「死刑は廃止すべきでないか」という立場からの質問を受けたことがあります。
その時の回答をご参照ください。
http://hasunoha.jp/questions/2648

 私は教誨師というお役を頂戴しているので、定期的に刑務所に行き、服役者の更生のお手伝いをしております。
  個人教誨と言って、個々の服役者の依頼を受けて服役者の親兄弟のご供養をしたり被害者の方のご供養をしたりして、その後に面談の時間を取ります。人の命を殺めて無期懲役や長期受刑の方も多いです。何でこの人が凶悪な犯罪をしてしまったんだろうと不思議に思い場合もあります。処遇困難と言って、「更生しよう」という意欲に欠けている方も居ます。暴力団の抗争の中で殺人を犯し、対立組織からの報復に怯え、「こんなことの繰り返しから抜け出したい。」と言っている方も居ます。一般論から言っても、「人を変える」というのは容易いことではなく、不可能な場合も多いと思います。同様に犯罪者を更生させるということもなかなか難しいものであると感じております。
 仮に、死刑を廃止して終身刑にしたとして、その犯罪者は更生できるのかでしょうか?はっきり言って難しいと思います。死刑廃止することによって、犯罪者が更生される可能性があるのか?現在の司法制度行刑制度をどう改善すればよいのか?そういう具体性を持った提言を未だに聞いたことがありません。

 私は死刑廃止が望ましいと思っております。しかし、犯罪の抑止という点を考えれば、終身刑よりは死刑の方が抑止効果があるのではないかと思っております。

非常に判断が難しい問題でございます。

Carbuncle_Male_To_X様

日本の死刑制度は、最高法規の日本国憲法第31条の逆説的解釈から、刑法第9条の刑罰規程、刑法第11条と刑事訴訟法第475条から第479条までにおいて執行規程が定められています。

死刑制度は、刑法の法益保護機能と人権保障機能のバランスの中において、日本の場合の死刑制度については、応報刑論・目的刑論(日本では相対的応報刑論の立場)における犯罪抑止力としての法益保護機能を重視する観点から制度が存続していると従来から考えられています。

とにかく、日本の場合では、「法律の定める手続きによれば、人を合法的に殺すことのできる」という日本国憲法第31条の逆説的解釈を国民が容認しているということ、刑法・刑事訴訟法にて死刑の法的根拠・執行根拠を容認しているということは言えるのではないだろうかと存じます。

次に、仏教的な立場と致しましては、「不殺生」(みだりに生き物を殺めてはならない)がございます。何故不殺生なのかと申しますと、殺生が、煩悩や煩悩の親分の無明(根本的無知)による行為であるとして、その行為は、迷い苦しみ続ける輪廻の原因となる「悪業」となってしまうからであります。

では、煩悩、無明によらない行為(例えば、純粋な善行為・慈悲行為として)であれば、殺生は認められるのかどうか、場合によってはもちろん認められる余地はあるにはありますが、かなり判断が難しいものとなります。(軽々に凡夫では判断できないところでもございます。)

例えば、ご質問の内容のように、死刑とせずに無期懲役刑で、20-30年で刑務所から出てくるが、更正の余地は全く無く、社会に出ればまた確実に多くの人を殺すのが明らかな場合において、尊いたくさんの命を守るために、その者の命を奪うこと(死刑にすること)が、果たして仏教的に許されうるものであるのかどうかというところでございます。死刑としてのその殺生が、煩悩、無明による行為では全く無いと、仏教的に果たして言い切れるのかどうかというところであります・・

仏教の場合では、「業」(カルマ)の問題を考えて、死刑制度を容認している場合は、それが悪業となるものであると悪意有過失(知りつつ不注意にて是正せずに放置している)であれば、自らの悪業となる恐れも否めないというところがございます。

字数制限上ここまでにて・・

川口英俊 合掌

国家が犯す殺人が「戦争と死刑」です

どこの国でも「殺人」は、犯罪。その当の国家が「戦争と死刑」によって殺人という犯罪の犯す。これは”矛盾した話だなあ”と思います。死刑が未だある国の方が少ないというのが世界の現状で、終身刑があれば、日本も死刑制度をいつか卒業できるでしょう。そして未来の歴史の教科書には、「かつて日本には死刑制度がありました」と書かれることでしょう。未来の人は、「その頃は、野蛮だったんだね」と語ることでしょう。(戦争もそうですが、、、。)僕はそう信じています。


質問者からの有り難し - お礼

冷静かつ理に適ったご回答ありがとうございました。

瀬戸内さんは言い切れない事を言い切ったのでしょうか。。。
ありがとうございますm(__)m

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