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勝手な事を言う人達に対して

私の周りの人達は皆、勝手な事を言います。
八つ当たりだったり、自分がやりたくないからと命令したり、憶測で悪口を言ったり、約束を破ったり。

皆、それぞれ病気や、余裕がなかったり、思い通りにならない事があったりと事情があり、本人が1番辛いのは重々理解出来るので、私が何か言って追い詰めてしまったりしてはいけないなと言葉を飲み込む日々です。

相手に今の私の気持ちを理解して欲しいと言うのはありません。私は暖かく見守りサポートしたいと思っています。皆が仲良くしているのが良いと思っています。

なのに、わかってはいるのに、私の心の中に悪い感情や、悪い言葉が沸いて溢れそうになります。

それを感じると、自分の心の幼さを思い知らされ、外からも中からも心を針でチクチク刺されている感じがします。

勝手な事を言う人が余りにも多い気がして、私がズレていて、実は私のワガママなのではないかとさえ思ってしまいます。

自分に沸いた悪い感情や言葉をどの様に考え処理していったら良いのでしょうか。

怒りを抑える
有り難し 31
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

バラバラでいっしょ

「勝手な事を言う人が余りにも多い」

おっしゃる通りだと思います。なぜなら「勝手な事を言う人しかいない」からです。もっと深めると言われた言葉をどう思うかは「私の勝手」だからです。

人が何を言うかはコントロールできません。その人の自由です。そして言われたことをどう思うかは私の自由です。人にとやかく言われることではありません。

しかしこれだけではバラバラで寂しい世界、あるいはぶつかり合う悲しい世界になってしまいます。

大事なことは「勝手を勝手と知る」事だと思います。人が言う事は勝手だけど私は勝手じゃない、のではなく「私も勝手である」と。
そこから始まる視座があると思います。勝手同士を認めるからこそ、手を取り合いどうしていったらいいか共に考えていく寄り添いが生まれます。

私は正しい、あんたは勝手
あんたは正しい、けど私は私の勝手にさせて

では「共に」の視座は生まれません。そしてこの「共に」というのは何もお互いがお互いを理解しあって仲良しこよししていけることではないのだと思います。
お互いがお互いの言い分に納得は出来なくとも、もっと極端に言うのであればいがみ合ったままでも、出会っていける世界が「共に」だと思います。相手は相手、私は私として認め合う。同じにならなくてもよい。

「お互いに仏から願われたいのちであり、根っこのところで同じ願いをもっている。」

そういう出会いをいただけるのが仏教の「共に」ではないでしょうか。

心の中に悪い感情や、悪い言葉が沸いてもいいのです。良い心になったり、良い人間になって救われるのではないのです。どんな人もそのまま救われる道があるのが仏教です。

たとえ人を悪く思う感情が渦巻こうとも、そんなことで私はあなたを除け者にしない

と誓われた仏様がいます。阿弥陀仏という仏様です。

苦しい時は「南無阿弥陀仏」とお念仏してみてください。現実は何も変わりません、心も穏やかになりません。しかし、阿弥陀様に願われていることに気づく時、阿弥陀仏が願う願いが私の奥底にも流れていることに気がつく時、私は辛くとも苦しくとも生きていけるのです。たとえいがみ合っていても、人と出会って生きていきたいと思い、その道を問い続けていけるのです。

南無阿弥陀仏

回答僧

円通寺

邦元

あなたはきちんとわかっている^_^

周りが勝手ばかり言う。
それはそれぞれの我見であり憶測、事実とは程遠いことをあなたはわかっているのです^_^
だから相手にしないことです。
人はそうした憶測や想像で嫌いだの好きだの、損だの得だのいうのです。ワガママですよね。その人をどうにかしようとする必要はありません。それはそれとして、迷っている人の姿です。あなたはきちんと物事の真理を見抜く力があるのですからそこに惑わされることなく、人がなんと言おうと、それはそれ。話になる必要もないし、そっとしておきましょ。
話は終わった瞬間に消え去ってます。あなたが握ることであなたも迷いの世界に行ってしまいますよ^_^
耳の働きのように、好き嫌いせず、是非も言わず、ただ聞いていたらいい。耳は全て受け入れつつも価値評価していませんから、そこに学ぶのですよ^ ^


質問者からの有り難し - お礼

「勝手な事を…」と思う私が相手の気持ちを自分本意な考えで「ワガママ」とカテゴライズしてしまっているのかも知れません。

もしかしたら私も勝手を言っていて、「あなたも言うから私も言うわ」と思わせているのかも知れません。

私の周りに勝手な事を言う人がいなければ、自分を振り替える事もなく、傲慢に勝手な事を言っていたかも知れません。

このように考え、今回有難いお答えを頂くチャンスを頂いたと感謝している今の気持ちを大切にしていきます。

そして時には、阿弥陀様に甘えて自分の悪い心とも上手に付き合っていけたらなと思います。

ありがとうございました。

お言葉ありがとうございます。

よく「まずは受け入れる」と言いますが、とても難しく、それが状況の場合は不運を嘆いたり、人の相談事ならば少ない自分の経験や知識を振りかざしてアドバイスしてみたり、悪口ならば恩着せがましく「こんなに貴方を思っていたのに」なんて悲しんだり恨んだり。

どうしたら「まずは受け入れる」と言う事ができるのかと考えていましたが、もう、私の中の「耳」と言う部分は「まずは何でも黙って聞き入れていた」のですね。

それをごちゃごちゃと難しくしていたのは、私自身だったなと感じました。

相手は文句や愚痴を言わなければ心がパンクしてしまいそうなのかも知れません。そんな時、ただただ聞いて欲しかっただけかも知れません。自分の辛さを感じ取って欲しかったのかも知れません。

耳は既にきちんと相手がして欲しい事をしてあげられていたと思えたら、何だかとても安心しました。

自分が何とかしてあげなければと力むより、相手に考える時間と安心感をあげられたら、それが私の精一杯で1番ベストなのかなと思う事が出来ました。

自分の無力さを知る事はネガティブに捉えてしまっていましたが、無力であるからこそでしゃばらず恩着せがましくならずいられるのかなと思います。

ありがとうございました。

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