皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

お坊さんは幽霊が見えたりしますか?

お坊さんは幽霊や霊魂が見えたりするのでしょうか?もし見えてしまったらどうしたらいいですか?

運命・見えない力
有り難し 293
回答 10
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

幽霊の本当の意味

幽霊というのは外にいる、とか実在するものとして考えるべきものではありません。
ただ昔から同じ姿で描かれているのには実は深い意味があります。

①長い髪を垂らしているのは、“過去”を引きずっている心を意味しています。
②手を垂らし遠くを求めるのは、“未来”のことに不安や恐れを持っている心を意味しています。
③地面に足がついていないのは、“今 現在”を生きていないという心を意味しているのです。
🎶過去を思い未来をここに引き寄せて今現在をとこやみにする🎶という道歌もあるくらいです。よって本来の仏教的には幽霊という空想の産物、絵空事に用があるのではなく、迷いや苦しみ、とらわれの心から出離すること(仏道、悟りを求める事の必要性)を説くために用いられたわけです。
過去、現在、未来、常に、暗い思いや憂いの心に取り憑かれて生きている人間の姿、それが幽霊の真意です。
決して何処かに存在する、というものではありません。
私も含め、あなたも、いや、世界中の人が皆、時には過去を後悔したり、未来に怯えたり、そういう思い(念)に取り憑かれる事はあるでしょう。
だから、思い(念)が残ることを「残念」というそうです。
思いが残って成仏できない霊、とは実は生きている人間の事なのです。
だから憂いの思いから抜け出して成仏を目指すのが仏教です。
ちなみに霊とは、
①生きている私たちの亡き人への思い
亡くなった人を思い起こす時に心の中に現れるあなたの心象作用を霊魂というのです。
これも、心の外に存在するのではありません。
霊を鎮めるというのも、亡き人に対する自分の内なる思いを鎮めるものです。マンガや映画じゃあるまいし、その他のどこに霊魂などが存在しましょうや?(^<^)
②亡き人の影響力
故人はその生を終えた後でも関係していた人間の中では影響力として生き続けます。
ドラえもんやサザエさんの原作者は亡くなっても作品が今もなお生き続けています。
死者の影響力が生きている人に働きかけることもあります。そういう影響力をこそ正しい意味での霊と言います。
霊が見えるという人は、霊が見えるということにして、それがもたらす効果で人の心をある種の方向へ導いている人であるというべきでしょう。

慈しみを向けてください

「六道(ろくどう)」という言葉があります。

いまだ迷いの中にある生命が、生まれ変わり死に変わりしながら輪廻する6つの世界で、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄を指します。
幽霊とはその中の餓鬼道に生まれた生命です。

この自分を含め、それら生命にいずれも共通する気持ちがあります。
それは、幸せになりたい、苦しみたくない、生きていたい、という強烈な思いです。

「一切の生命が幸せでありますように」「体と心の苦しみがなくなりますように」と慈しみを向けてさしあげることです。ここでは、見える、見えないはあまり重要ではありません。怖がることもありません。
恐怖(=拒絶)ではなく、いま自分が見える生命も、見えない生命も、みな煩悩(ぼんのう)という心の汚れを除いた、苦しみのない境地へ行けますように…と願ってみてはいかがでしょうか。

幽霊も、仏さま

ruiさん、炎暑にふさわしいヒヤッとするご質問ですね。

私は一般家庭出身ですが、お坊さんになる前からサッパリ霊感というものがありません。幽霊らしきものを見たこともありません。

親戚のお寺からお坊さんにならないかと話があった時、こんなに霊感が無い人が僧侶になっていいのかな? と思いましたが、浄土真宗の教えは私と合致していました。

浄土真宗では、一切衆生が全て阿弥陀仏に救われて、極楽浄土で仏に成る、と説きます。ですから理屈の上で「成仏出来ずに彷徨う霊」というものが存在しないのです。

もし幽霊が私の目の前に現れたとしたら、それは私に大切なことを伝えるために仏さまが化身した姿であろう、と考えています。
こう思うようになってから、夜の本堂や墓地が怖くなくなりました。

…とは言っても、ホラー映画は少し苦手です (^_^;)

正直見ます

rui様へ

正直申しますと見ることはたびたびあります。
でも決して怖がることはありません。
見えることには意味があることと考えます。
もし見る機会がございましたら
なぜ見えたのか、この方はどうしてほしいのか
それについて考えてほしいと思います。

もしわからなければ僧侶に相談してください。合掌

ruiさん

こんばんは。
幽霊ですか。。。私は、見えたり、感じたりしませんので、なんとも(^~^;)
霊という捉え方も、浄土真宗ではしないので。

もし、ドラマなんかであるようなものが見えたら⁉ 怖すぎて、僧侶なんて やってられないかも(笑)

ruiさんは、何か感じるのですか?
私たちが、恋しくて強く願ったら、きっと お側にいてくださるでしょうね(*^^*)

お坊さんだからという訳ではありません。

普通の人でも見える人見えない人が居ます。
お坊さんも一緒です。お坊さんも普通の人間です。
霊感の強い人は感じたりしやすいですし、
感じない人も居ます。
人に害を与えるような霊でなければ
見えても別に問題有りません。
肉体の無い、魂だけの人間です。
良い人も居ればたまに悪い人も居ます。
しかし全てが人に害を加える訳ではありません。

幽霊はときに癒やしにもなります。

被災地では、こんな話があるそうです。

すみません…お盆中なので、リンクの紹介だけで許して下さい。苦笑。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081202000040.html

その場ですぐに教えてもらえるはずです

まずお坊さんは幽霊が見えますか、というご質問ですが、見えるという方(見たと感じる方)も見えない方(見たと感じない方)もおります。僧侶とは仏様の弟子という生き方であり、幽霊とが見える見えないという事とは直接は関係ない世界の住人です。見えても見えなくてもやることは一緒なのです。てんぷら屋さんが、天ぷらの語源はポルトガル語であるという知識を持つ必要が無いことと一緒です。

見えたらどうするか、というお話ですが、ruiさんはそういうものが見える、あるいは見えたらいやだな、とお思いなのでしょうか。仮にそういうものが現れたら、きっと何かお話をしたいのだと思いますから、落ち着いて「何かメッセージがありますか?」とお聞きするのがいいと思います。もし仲良くなれたら、あの世の様子をぜひ聞きおいてください(^^)

「聞く」とか「仲良く」なんてとんでもない、とお思いでしたら、仏教でしたら合掌して、弾指、ご真言、あるいはお念仏、お題目を唱えれば大丈夫です。神道の場合、拍掌になります。

これらの詳細は、申し訳ありませんが、師僧からの口伝となっている宗派が多いのでここでは書けません。近くのお寺の御住職に直接教えてもらってください。忙しいときでなければ、その場ですぐに教えてくださるはずです。

「霊」・「霊魂」のこと

rui様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

「霊」・「霊魂」のことにつきましては、これまでもいくつかの問い( http://hasunoha.jp/questions/126 )にて回答させて頂いております。

拙生は、基本的に「霊」のことについては、「無記」として扱うべきであるという方針ではございますが、ただ、もし存在するとしても、天野和公様と同様に、苦しみのない境地へと至れるようにと、慈しみの心を向けることが大切であると存じております。

以下、「ブッダのことば・スッタニパータ 中村元訳 岩波文庫」第一・蛇の章・八・慈しみから引用

『究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上ることのない者であらねばならぬ。足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。何ぴとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。また全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。』 ・・引用ここまで。

川口英俊 合掌

みえる、みえない、というのは、なにも幽霊に限ったことではないです。
もしかして自分にだけ見えるもの、というのは、数限りなく存在しているのでは
ないでしょうか。幽霊というものもそのうちのひとつ。
もしみえたら、というときにだけに限らず、いつもお祈りを傾ける気持ちが
一番だと思います。

ちなみに小生は幽霊というのもの、いつもわたしのなかを出入りしている、
呼吸のようなものだと感じています。
貴方様にとって幽霊とは「いのちだったもの」という認識であるならば、
ひとのみならず、この世界が多くの死の上にあります。
その死のぬくもりを呼吸して生きているものです。

いのちのぬくもりこそ幽霊だと思います。
ちゃんとした「幽霊」の定義とはかけ離れているわけですがね(^^;)


この問答のキーワード:(クリックすると関連問答を表示します)
お坊さんに質問する
このページの先頭へ