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50億年後、人類含め全ての生物が死滅しても

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50億年後、太陽の寿命は尽きると言われています。
現代科学では実現不可能な宇宙船でも造って
太陽系を脱出でもしない限り、
人類含め全ての生物は死滅します。

子孫を残して命のバトンを後世に繋げても、
偉業を達成して世の為、人の為に尽くしても、
太陽は終焉の際に膨張して地球を飲み込み、
生命の痕跡を全て消してしまいます。

それでも、人が生きていく事に価値はありますか?


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考えても仕方がないことは考えないという智慧

別に後世に何か残してやるために生きているわけではありません。
生きる価値を見出したから生きているわけでもありません。
そういうのは創造主たる唯一神が自分に与えた役割を理解することを目指す一神教の人たちの発想です。
ウチのお釈迦さまなんか「意味なんか考えるな!そういうの悪い癖だぞ!」とおっしゃってますもん。

苦を離れて楽を得ようとしたら、自分という結果に繋がる原因を一つ一つ大切にするしか他に方法が無いんです。つまり他者を大切にしろと。他者のためと自分のためが一緒になるように生きろと。そうすると苦を離れて楽を得られますよ…と。そういうのがお釈迦さまの教えです。

ぶっちゃけ脳みそでどう考えようが、この身体は生きよう生きようとしてるわけですし。頭が身体の足を引っ張るようじゃ、それこそ苦しむだけです。

そうすると死んでる場合じゃないんです。50億年後のことなんか知らんのです。1歩先を予想するのもままならんのですから、50億年も先まで贅沢なことは考えんのです。今できることを1つ1つやっていれば、死ぬ余地がないんです。まぁ、まずは寝ろって話なんですけどね。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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今生きている生物は、100年後も生きているでしょうか?

私は50歳なので、
50年後も生きているかも知れませんが、
100年後まで生物として生きていることはありません。

それどころか、
今日事故で死ぬかもしれません。
これは詠春童子さん含め、
誰もが同じ宿命です。

それでも我々に生きていく事に価値はあるのでしょうか?

少なくとも、
私は生きたいです、
私に価値が無くても…。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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「百千万億那由他阿僧祇劫」

詠春童子様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、劫(ごう・こう)という長い時間の単位を扱いますが、一説では、一劫は、一つの宇宙が誕生して終わるまでの長さであるとも。そうなれば約200億年となるでしょうか。。

経典には、「百千万億那由他阿僧祇劫」、「百千万億劫」と言う表現が出て参りますが、つまり、100×1千×1万×1億×1劫(上記で考えれば1劫200億)って、いったい幾らなの・・となります。まあ、膨大な時間の長さであることはお分かり頂けるかと存じます。

例えば、その膨大な時間にわたり、私たちは、無明(根本的な無知)のために、この迷い苦しみの世界を輪廻し続けていると説明されることになります。

そう考えますと、まあ、50億年も、一瞬と申しますか、あっと言う間と申しますか、そんな感じとなります。

そして、衆生は、何も地球のみにだけ存在しているものではなく、他の惑星、あるいは、他の宇宙、更には、今の私たちでは想像も及ばないような世界、色界や無色界、もちろん、浄土等、更には、六道としての地獄など、たくさんにあり、無明と業により、無数の世界にて輪廻し続けてしまっているというところとなります。

ですから、この輪廻を脱せない限りは、例え太陽や地球が無くなろうとも、別の惑星、別の宇宙など、別の世界で、更に永い間にわたり迷い苦しむことになってしまうとお考えを頂けましたらと存じます。

もちろん、その迷い苦しみの輪廻を脱するための教えが、仏教となります。

何とかできれば次の生では、人間の境涯よりも、更に善い赴き、できれば仏法がある世界、仏法をお説きになられておられる如来様のいらっしゃられる世界、つまり、浄土など、仏教が修習できる境遇に生まれることを目指して、今生にもしっかりと無明と悪業を対治して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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何一つ無駄なことはありません

地球が消滅してもこの宇宙が消滅しても、我々の想いや行いは全て宇宙普遍の無意識に貯蔵され、いつしか別の惑星(あるいは新たに発生した宇宙)の衆生に発現します。何一つ無駄なことはありません。

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遠藤喨及
僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、...
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それでも今日を生きている

先のことはその時になってみないとぶっちゃけ分からんですが、人間の一呼吸は人間の考えや価値観で呼吸をしているとお考えでしょうか。
本当にあなたの呼吸はそういうことを優先しながら呼吸をしているでしょうか。
このひと呼吸は生命の大真実です。
仮に木星が地球に衝突するなんてことがあったとしても、死ぬ直前までこの呼吸は絶えることなく続いていきます。
人間の思考や考え、価値観で生命は生きてるわけではないのではないでしょうか。
あなたは何かが不安な状態にあるのではないでしょうか。
あらゆる不安を滅するのが仏教です。
仏の生き方です。
人間は想念・思いで傷ついたり、暗い思いになったり、不安になるのでしょう。
ならば、あなたが向き合うべきなのは、その負のおっもいに陥りやすい自分自身の思い・心に向き合うべきです。
心はありもしないことを考えて、今、悩む。
心は、先のことを想像して、実際にそうなっていない内から、そうなったらどうしようか、という思いで悩む。
人間は自分の思いで苦しんでいるのです。
先を思うのは今。
アッチだこっちだと思うのはどこか。
アイツがこいつがを思うのはどこか。
50億年後を想像するのはどこか。
どこが動くか。誰がぐらついているか。
遠く先のよその世界を思い描いて今の目前が色あせるほどに人間の想念というものは、自身を乱れさせる働きが生じます。
50億年先の世を憂うる、そのわが心をこそ、まずおさめるべきです。
🌌

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たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える

ドイツの宗教改革者、ルターが、こんな事を言ってました。

「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」

私もリンゴの木を植える人でありたい。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

皆様、ご回答有難うございました。
私はかつて天文少年で、暇さえあれば宇宙や星の事を考えていました。
太陽系にも終焉が来ると知ったのは14か15歳くらいの頃で
1ヵ月ほど悩んだ記憶があります。
この事実に対し、何とか折り合いをつけて暮らしているつもりでしたが、
心の中に燻り続けるものがあったので、いささか子供っぽいとは思いましたが
当時の気持ちをそのままに質問としてぶつけさせて頂きました。

遠藤喨及 様
心強いご回答ありがとうございます。
私達の行いも何一つ無駄では無いのですね。
希望が湧いてきました。

和田隆恩 様
大変思いやりのあるお言葉、有難うございます。
人間、せいぜい生きて100年程度の命ですものね。
母の家系が癌で早死にの傾向がありますが、
やはり、死にたくはないものです。
私も、死ぬまでは生きていたいです。

光禪 様
いつもご回答ありがとうございます。
ルター師がそのような事をおっしゃったとは初耳です。
私は学校がカトリック系で、「カトリックは何となく肌に合わない」と思って
こっそりルター派(プロテスタント)の教会に通ってたりもしてました。
色々悩んで、結局キリスト者にはなりませんでしたが・・・
(キリスト教の問題より、当時の私の心構えの問題だったと思います)
こんな所でルター師の名前を聞くのも何かの縁です。
ぜひ私もご一緒に木を植えさせて下さい。
どんなあだ花が咲くかはわかりませんが・・・

川口 英俊 様
スケールの大きい話、有難うございます。
たかだか(?)50億年程度の問題で悩んでいた事がちっぽけに感じます。
私も現世での解脱は無理そうなので、せめて仏道に励んで
来世でも如来様や観音様とご縁を結べる世界に生まれればと思います。
もちろん聖天様とも。
今月末には長男が生まれます。
苦の世界とは言っても、娑婆も結構楽しんでいる自分が居ます。
いきなり解脱はせず、何回も生まれ変わり、納得の行く答えが見つかるまで
修行と遊行を繰り返したいです。
出来れば、少しづつ善い世界に上がりながら。

丹下覚元(たんげかくげん) 様
厳しいお言葉、有難うございます。
心を見透かされたようで、耳が痛いです。
まずは「イマ、ココ」を精いっぱい生きる事にします。
台所仕事も大事な仏道修行ですよね?
では自分の呼吸を感じて、雑念を払い、
今から皿を洗います。
(身重の妻は、今日はくたびれて寝てしまいました)

大慈 様
深夜というか早朝のご回答、大変ありがとうございます。
その時間帯より前、私は布団の中で質問の問題を考えて、
ストンと寝落ちしてしまいました。
どうも私の頭脳は衒学的な問題を考えるのに向いていないようです。
考えて答えの出ない問題は、考えないのも知恵だと言う事、
心が軽くなりました。

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こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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