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瞑想 頭ピリピリ

回答数回答 3
有り難し有り難し 39

瞑想をしようとすると、またしていると、右頭のこめかみらへんがピリピリと神経痛のような痛みを感じてしまいます

瞑想をしていて、頭にピリピリ感を感じていたお坊さんはいらっしゃらないでしょうか

質問受付数も制限されている今に聞く質問ではないとずっと考えていたのですが、

自分にとって瞑想(サマタやヴィッパサナー)ができないということは、生きるという行為が無意味と感じてしまうほど

大きなことなので、質問させていただきました


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

頭がピリピリということは一度もありませんし、修行仲間や地域のお寺さんにもそのような人は1人もいません。

日本では止観ならともかく、サマタやヴィパッサナーという呼称で教えるお坊さんは多くないはずです。それに今年の8月の末に「最近仏教を知り」とおっしゃっていますね。ひょっとして本やネットで読んで独学でなさっていませんか?瞑想で一番やってはいけないのが独学です。きちんと僧籍のあるお坊さんのお寺に行って学びましょう。

時々、瞑想センターやセミナーのような場もあるようですが、そちらも避けて下さい。実は中身はカルト団体でしたということがありますので。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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 独学の瞑想の危険性については、大慈師のおっしゃる通りです。

 頭のピリピリは、肩こりなどにより起こる事があるようです。一度お医者さんにかかると良いでしょう。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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カマラシーラ大師の「修習次第」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

昨今は、瞑想やマインドフルネスやと流行りのようなところがありますが、まあ、仏教と言えるのかどうかというアヤシイものも・・

もし、止観の実践について正しく学ばれたいとなれば、カマラシーラ大師の「修習次第」がお薦めになります。

もし宜しければ、来月のダライ・ラマ法王様御来日の横浜でのご法話では、修習次第・中編もテクストとして扱われるようですので、参加なさられますと善き学びがあるのではないだろうかと存じます。

修習次第(中篇)テクスト和訳
http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/text/pdfs/gomrim_barpa_201612-2.pdf

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

皆様回答本当にありがとうございます

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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回答数回答 1

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ