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それってさ、
「なぜ1+1=2なんですか?」
という質問と一緒じゃない?
ちなみに「1+1=2の証明」は、何やらすごく高度な数学の理論では証明できるらしいんだけど、僕なんかは論文を見てもサッパリわからない。
でも何も困らない。
たしかに仏教では、【苦】の原因は【無明】であると説明し、無明の闇を破す事で人生の苦悩を超えていくメソッドを教えているわけだが、はたして【無明】の原因を追求する必要はあるのだろうか。逆にいよいよ無明を深める事になって危険なのではないだろうか。
無明の病みというと、
常に口ずさんでしまうのが、
無明の闇を破るゆゑ 智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆 ともに嘆誉したまへり
思い出しました。
個人的にはなんとも懐かしい。
有難い気持ちになります。
無明という、闇の世界、
不安な気持ちを打ちぶって、
くださる有難い仏さまなので、
阿弥陀さまを、智慧の光の仏さまと、
申し上げます。
仏さまがたが皆さん出てこられて、
阿弥陀さまをお讃えになりました。
心の闇、不安、葛藤、
誰でもがみんな持っています。
その闇を信心、
阿弥陀さま一尊にお縋りして、
お救いいただく。
無明とは、
救いを求める心の叫び、
渇望と考えています。
南無阿弥陀仏
川口英俊でございます。
問いへの拙生のお答えでございます。
無始なる無明・・
いつからこの無明により輪廻を彷徨うことになってしまっているのか・・
いや、無明という病にさえ気付けなくされてしまっているのでもあります・・
その病に、ようやく気付けるようにして下さったのが釈尊でございます。
無明の原因は、突き詰めれば無限遡及に陥ることになり、あまりそれを考えるのは益でないのではありますが、今、この自分の無明のありようを理解することができれば、その無明を対治していく処置は、仏教により可能となるものであります。
無明は、「有染汚の無明」とか、「倶生の諦執」とか、「真実執着」とか申すものでございます。
簡単には、モノ・コト、ジブンを「実体視してしまう悪い執着」であります。
この「実体視してしまう悪い執着」が我々に悪業を働かせ、そして、迷い苦しみを輪廻させる大元なのであります。
これがまた厄介なのであります。
仏道修行をある一定段階進めれば、煩悩は無くすことはできて参ります。しかし、「実体視する悪い執着」というものは、なかなか容易には無くせられない、ラスボスなのであります。
しかし、決して倒せない相手ではありません。しっかりと仏道修行における智慧と福徳の力がレベルアップしていければ、必ず倒すことのできるものとなります。
頑張って参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
しばらく目を閉じてみてください。
何が見えましたか?
何も見えなかったですね?
それが無明です。
目を閉じている、つまり、目の前の現実から目をそらしているのです。
ではどうすれば無明から抜けることができるのか。
目を開ければいいのです。
目の前の現実をありのままにしっかり見ることが無明から抜ける為には大切なのです。
たいへん貴重なご回答を頂き、本当にありがとうございました。
この質問をして、よかったです。
何度も読み返すような気がします。
これからの自分に、とても役立つと思います。
本当に、ありがとうございました。