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仏教とは死後の幸せを求めるものですか?

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それとも、生きている時の幸せを求めるものですか?

また、宗派によって違うのでしょうか?

先祖供養をしたり、生きている人の煩悩を消すようにしたり、

両面を見ることがあります。占いをしているところもあるし

宗派によっても随分違うのでしょうか?

色々な宗派のお坊様にご意見を賜りたいです。


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く

わからんちんさま

どうも初めまして、hasunohaの 井上広法と申します。

さて、仏教は死後の幸せを求めるかとのことですが、そもそもの捉え方から考え直さないとならないかもしれません。

仏教では今の人生のみを人生とは捉えません。

弘法大師のお言葉に次のようなものが有ります。

『生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死に死に死んで死の終わりに冥し』
この言葉はただ単に生まれることや死ぬことを繰り返している言葉遊びではありません。

なんども「生まれては死ぬ」輪廻を繰り返し、いつまでたってもその苦しみの無限ループから逃れられないと嘆いているのが弘法大師のお言葉の真意です。

ですからただ単に死後の幸せを求めるのではなくこの苦しみの連続から離れて安寧を求めるのが仏教のスタンスです。

では、なぜ仏教が死後の幸せを願うものかのように受け止められているかというと、浄土思想に大きく影響を受けていると思います。

浄土思想とは、この世界ではなく、『死後』に極楽浄土へ往って悟りを得ようとするものです。

そこで生じる疑問はおそらく次の二点でしょう。

①なぜ、この世で悟りを得ようとしないのか?

②なぜ、死後の極楽浄土で悟りを得るのか?

①への理由は、この世では悟りを得ることが非常に難しいからです。

②への理由は、極楽浄土で悟りを得ることが極めて楽だからです。だから『極楽』と言います。

この思想を大成した法然上人に次のような言葉があります。

『生ければ念佛の功つもり 死なば浄土にまいりなん とてもかくてもこの身には 思い煩うことぞなきと思いぬれば 生き死にともに煩いなし』

大意は『念佛を称えれば死後に極楽浄土にいける だからもうこの身にはなにも思い煩うことなどないと知れば、生きることも死ぬことにももう煩いはないのである』

つまり『死後』に極楽浄土に往くことができれば、もうなにも悩まなくていいという教えです。

そういった意味から「仏教は死後の幸せを求めるもの」という誤解が生まれるのだと思います。

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hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を...
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平気で生きている

わからんちんさん、はじめまして。

俳人の正岡子規さんが病床で書かれた『病床六尺』という本に、

「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。」

と出てきます。

私が聞いてきた仏法を、文学者が端的にあらわした素晴らしい文章だと思っています。

お釈迦さまは、いかに心の苦しみをなくして生きられるかを説かれて、死後の話をなさいませんでした。「無記(むき)」
それでも安心させるために浄土往生が説かれたり。
自分はいいけれど、先に逝った人たちでさえすくわれる道を求めて供養したり。
人生のいろいろで迷う人のサポートの手だてとして占いという手段を講じたり。

でも、一番の目的は『わたしが平気で生きられること』だと思います。

なかなか世間の荒波が厳しく、「平気に生きる」難しさが実感されますが。
そういうときこそ、仏法が寄りそいサポートしてくれるのだと思っています。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

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平松理薫(釈理薫)
真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動...
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死語の世界は誰もわからんちん

わからんちんさんこんにちは。
結論から言うと両方です。
たとえば、お葬式も法事も亡き人と、生きている人の言うに言われぬ気持ちをきちんとした形でお弔いする鎮魂、報恩、供養の儀式ですから、亡くなった人と、亡き人を慕う生きている人の為の具体的な行為です。
そのほか仏の教えを広めるというのは簡単に言うと医療活動にも似ています。
生きていて苦しい、悩みがある人へのものですから。仏教のメインは生きている人の為のものです。
ではあなたの言う死後の幸せとは何か。
(._.)まず生きている人は誰も死んだことがないし、誰も死後の世界のことは分からんちんです。誰か死んで帰ってきた人はいますか?え、いない?
では死後の世界なるものが誰があるなんて言い始めたのですか?え、生きている人の想像?
この四つを考えてみてください。
①「生きている世界」あなたも元気で生きているこの現実世界。
②「誰かの死後の世界」この世で誰かが亡くなったとしても、あなたは生きている。彼・彼女らの死後もあり続けているこの現実世界。
③「自分の死後の世界」自分が死んだ後も、この世界はあり続けるであろうはずだから自分の死後も存続していくこの現実世界
④「世間一般で死後の世界と思われている空想の❝死後の世界❞」死後の世界は誰も立証できない。思想、空想上の産物である。観が個々のイメージによって世界観は異なる。だが、そのイメージをする本人が存在しているのはこの世界において生ある間。
自分が死んだ後は、幸せも不幸もない。あるのは永遠の涅槃、やすらぎ。
しかし、遺族は違う。亡き人に対する想いがある。
だから生ある間に安楽に生きるため仏の教えを学び、自らも安心して生き、安心して死に、自分の死後も残った家族も安心して過ごせるよう、苦しみを無くし、幸せに生きる為の教えが仏教です。

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お釈迦様をわかりやすく言うなら

この世で、一番死ぬのが怖かった方といわれています。
経文には、至る所に 不老不死 とかいてあります。
わかりやしく言えば 回向 徳をみんなに回すこと。
確かにお葬式も大事ですが、お釈迦様は、三世回向と、説かれています。
これは 過去 現在 未来 です。
したがって、今生きている方も含めすべての方の幸せをねがっています。
情けは人のためならず は この回向の精神からきたといわれています。

本門佛立宗 開運寺 住職 秋山現信 合掌

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3月11日の突然起こった東日本大震災。私の住む茨城県水戸市も大きな被害を受...
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原則は「違います」

わからんちんさま、はじめまして。
浄土真宗なごみ庵の浦上哲也と申します。

表題の件、原則を申せば「違います」となります。
仏教を開かれたお釈迦さまは、自分の死期が近づいた時、弟子たちに「お前たちは私の死にかかわらず修行をし、葬儀は一般の者に任せよ」とおっしゃったそうです。

また、「死後の世界はあるのですか?」といった質問には「知らんがな、いいから修行しなさい」とおっしゃいました(セリフ脚色あり)。

お釈迦さまの教えは、あくまで仏道修行による人格の完成を目的としており、その求める幸せも「快楽」ではなく「安楽」です。なので、死後の幸せを求めるものではありません。

しかし、お釈迦さまの時代から2500年の時を越え、地域もインドからチベット、シルクロード、中国、朝鮮半島を経て日本に伝わっています。その中で、大いに発展し変化を重ねてきたものが、現在世界中に広がる仏教なのだと思います。

お釈迦さまの時代にも「死後の世界はあるのですか?」という質問がありましたが、この疑問は人間にとって普遍的なものなのでしょう。ですので、死後の世界があると考え、故人がそこで幸せに暮らしていると思うことによって、結果的には生きている者の幸せに繋がっていくのではないでしょうか。

こんな事を書くと、「お前は浄土真宗の僧侶なのに、極楽浄土を否定するのか?」と言われてしまいそうですが、そんな事はありません。
私はこの世で仏教に出会えたことによって大きな安心を頂き、この人生を生ききっていこうと思います。
そしてこの世の縁が尽きた時、浄土へ往って仏として生まれ、先に旅立った方々と再び会い、後に残った方たちを見守りたいと思っています。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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「利益」(りやく)にあずかるために

わからんちん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教とは、確かに「幸せ」を求めるための教えでございますが、その「幸せ」は、私たちの欲望を満たすような世俗的な意味合いでの「幸せ」ではございません。仏教における「幸せ」は、「涅槃・悟り」の境地というもので、世俗的な幸せとは次元の異なるものでございます。生死を超えての「幸せ」が誠に大切となります。

どんなに欲を出して求めても求めても得れないという苦しみを「求不得苦」と申しますが、簡単には、主体である自分にも客体である対象にも実体が無い「空」・「無自性」なるものであるため、捉えようがない、つかめないものでしかないのですが、そのことを理解できずに、モノ・コトを実体視してとらわれて執着を起こして、様々に迷い苦しむこととなり、本来的に得れないものをいくら求めても求めても仕方が無い、意味が無いことを理解できずに求めてしまい苦しむということでございます。

もちろん、「空」・「無自性」とは言っても、何もないわけではありません。私も対象のモノももちろん確かに存在はしています。しかし、そのありようは「縁起」により成り立っているものでしかないのだと説明することとなります。

この「空と縁起」の考え方はひとまずここではこれ以上述べませんが、例えば、現世利益や来世利益とよく言う場合の「利益」(りやく)とは、仏法・仏道を修し実践することでの善利による福徳・恩恵にあずかることであり、善い行いという原因・条件(縁)によっての善い結果におけることを申します。

法要の際における回向文の中でも「現世安穏」・「後生善処」という言葉が出て参りますが、善因善果の理を理解し、善い行いを実践することでの善い報いにより、この生である現世にて安穏無事に安心に過ごすことができ(釋理薫様のおっしゃられている「平気で生きる」とも同じでございます)、この生を終えた後、来世でも、その善き報いにより、善き赴きがありますようにという内容を扱ってございます。

仏教における「利益」(りやく)にあずかるためには、悪い行いをなさずに善い行いを実践することが、とにかく大切になるかと存じております。もちろん、なかなか私たち凡夫にとりましては難しいことではございますが、しっかりと仏道を進む中にて努力して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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わからんちん様。

仏教とは…死後の魂の安寧や、残された方の心の安寧を求めるもので有り、
且つ生きている人間の幸せを求めるものでも有ります。
その為に先祖供養をしたり、生きている人の煩悩を消す事もしているのです。
当方等は、其の一つの手立てとして占いをしています。
また、加持祈祷も行っています。
さらに申せば、宗派によって違う様に見えますが、根本の所では同一なのですよ。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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