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神社での出来事で喧嘩しました。

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先日の日曜日、節分って事もあり某神社にて節分祭があったので私の親と子供で行きました。家では巻き寿司食べて終わりなので子供のために何処かでイベントをやってないか探していて、近くにスーパーでのイベントはなく、たまたまネットでヒットして動画を拝見し見てみたいと思った次第です。
京都の神社だったのでどんな神社かも分からず御朱印集めてる母に行った事あるか聞いたら一緒についてきました。
そこの神社は厄落としでも有名で、私は一応本厄にあたりますが、その日は祭が目的で祭り見て参拝だけして私は帰るつもりでした。祭見てる最中、親は厄払いの祈祷料や今年の厄年の看板を見ていて、見てる最中に呼び出され、厄払いしたら?と言われました。祈祷料5千と3千があり出す気もないのに勝手に5千円のをしたら?とかせっかく来たしとか、ひたすら言われ断っていました。看板には家族でとも書いていたので旦那いないし、やっても意味がない。私自身に働いてもいないのに出したくない。今日は祭りが見たいから来ただけで厄払いは目的ではないと散々としつこさにイライラしつつ断りました。
その後、子どもがトイレが空かずおしっこを漏らしてしまい2回目の公演?を断念して山を降りてる最中にも厄払いしたらいいのに、俺の時はと父が言い出しイライラも限界で本音がポロリでました。
自分に出したくない。祈祷の後の持ち帰る矢が邪魔。神様も半々しか思ってないから押し付けられても困ると、言ってしまい。そこからバチ当たり!と罵られています。
今もLINEでこちらの返信にはブロックして見ずにひたすら罰当たり、罰があたる。こっちにまで、とばっちり食らうと嫌やから実家に置いてる荷物外に出しとくから取りに来い!信仰心のないものが雛祭りとかもするな!
子どもが可哀想。子どもにも罰があたるとひたすらLINEが来ます。

私にはそこまで悪い事をしたと思っていないのですが、むしろしつこく言ってきて最後言わさせた貴方がわるいのでは?と思いますし、厄払いも自分の意思でやるものではないのですか?まして、その日は旦那もいないのにやった所で意味ないし、本当に信じてるなら、一人かけてるのにやれとも言わないと思います。

これだけではなく小さい事ですが、どこか押し付けがましい所、兄弟の稼ぎの比べ合いが度々あって、こちらもあまり謝りたくありませんがストレスです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【追記あり】大変でしたね

【追記】
厄についてはこちらなどをご参考に

https://hasunoha.jp/questions/28596
https://hasunoha.jp/questions/14765

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ご相談拝読しました。お子様とのお出かけなのに大変でしたね。

さて、今回の親子げんかは「神様」とか「信仰」という言葉を借りて結局はどちらが正しいか言い合いになってしまったようにお見受けします。

特に親御さんの方がその自分の思う正しさをあなたに押し付けてきた感が強いですから、あなたとしてもイライラしてしまったのは無理はないでしょう。

罰が当たるとか、厄とか、そういうことは仏教的に見ればありません。

でもこう言うと、今度はあなたが「お坊さんがこう言ってた、私が正しい」としてしまうと、結局また売り言葉に買い言葉になってしまいます。

相手を変えることは難しいですから、これから先は上手く流せるようになるといいですね。距離をとるのも一つかもしれません。

ここはあなたが大人の対応で、最大限相手の気持ちをいい様に受け取って

「厄払いを受けてほしいということは、私たち家族のことを心配してくれたのよね。ありがとう。その気持ちはありがたく受け取ります。でも私は厄とか信じていないし、何か悪い事があっても厄とか神様の罰とかのせいにせず、きちんとその起こったことの原因に向き合っていきたいから厄払いは受ける必要がないの。お父さんとお母さんが信じることを私は否定しないから、私は私が信じる道を歩むことを否定しないでほしいな。今回は言い合いになってしまってごめんね。」

くらい言って差し上げるとぐうの音も出ずひっこんでくれたり…そう甘くはないかな?

まあ喧嘩の引き合いに出される神様もかわいそうなのでお互いに流せる道を選択しましょう。

それからこれからもお子様とイベントは楽しんでくださいね。罰なんかあたりません。
でもイベントや行事の本来の意味を調べてみるのは勉強になるでしょうけどね。

多くのものは結局のところ除災招福の縁起をかつぐもの。つまり自分の都合に合うものを引き寄せ合わないものを遠ざけたいというもので、その自分の都合自体が問題となっていないような浅いものであることが仏教を学べば見えてきます。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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ほとぼりの冷めるまで。

この出来事自体が厄のようですね。

まあ、親は、せっかく来たので、ついでに厄払いでもと、何ら信仰心もなく責任もなく言われているようで、そんな状況の中でエルサさんは、とんだとばっちりを受けたということで、正しくこれが厄のようなものです。と言いたくなります。

もう少し、ご両親ともに厄のこととか、信仰のことが理解されていれば、普通はこんなことにはならないはずですが、それも仕方ありません。

少し時間をおいて、またほとぼりでも冷めた頃、お孫さんが中和剤になるでしょう。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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怒りが冷めるまで気長に

日本の神道は、古来は荒ぶる神を慰める、つまり恐い神様(天災や病気をもたらす、祟りをもたらす神様)を慰めるような信仰が主体だったのです。
余談ですが、そのような日本人の考え方は先祖供養や水子供養にも受け継がれており、供養をしないと何か不吉な感じがすると思ってしまう日本人は多いです。
いわゆる「戦犯」とされるような方や、罪人・反逆者(平将門の首塚など)に対しても手を合わせる日本人の感覚は、外国人には理解が難しい、「日本人は犯罪者を尊敬しているのか?」と思われる可能性もあります。
あなたのご両親は、日本古来の「拝んでおかないと不幸になるかも」という恐怖信仰のマジックにかかっているのかもしれません。
仏教的には、そのような迷信への執着も煩悩だから、迷信にこだわらない方が良いのですが、私たち人間には煩悩があるので、迷信を捨てられないのも現実です。
また、私たち人間には「昔から拝んできた、これが私たちの伝統だ!」みたいなプライドの煩悩もあります。
怒りも煩悩です。
何千円も払うのは嫌だ、と不愉快になるのも怒りの煩悩なのです。
神社に寄付(見返りを求めないプレゼントをして神主さんに喜んでもらう)をするつもりで支払う場合は、なんとなく明るい気分になりますが。
結局、ご両親もあなたも、迷信への執着、プライド、怒りといった煩悩によって思考・感情が混乱してしまっただけなのです。
ボタンの掛け違いみたいなものです。
小さな子供は、昨日ケンカしても今日は仲良く遊びます。
あなたは、怒りを手放して歩み寄る、ケンカは忘れて普通に接するようにしましょう。
ご両親もそのうち怒りの煩悩が冷めるかもしれませんし。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。ただこの喧嘩事態が厄だと言うなら毎年厄になります。と言うのもこういうことは何度もあるのです。
戌の日参り、お宮参り、結婚式、こういう行事があるたびに神社、神さんと言い特に母が先頭になり仕切ります。
戌の日参りも主人と二人でと思っていましたが、あの日とこの日に何とか行けと押し切り何故か叔母と行く始末。
自分の思いどおりの日でないと怒ります。
もちろん厄となぜ言われるのか他の行事の意味も知っていますが、信仰心のない私はとてもくだらないのです。
雛祭りの意味も知っていますが、意味合いよりただ単に子どもの事だからしてあげようぐらいなのです。
母が信仰あるのかも知れませんがこれ以上押し付けられるのはまっぴらごめんなのです。

私が謝った方が話は早いのですが、、、
謝って仲良くできても、厄にかかわらず、他の行事でも祈祷もそうですし、うちは旦那さんが土日祝と仕事あり、大型連休も取れない職場の為、子どもとの旅行、お出かけは私が行くのですが、遠出するたびに危ないとか言って付いてくるのも正直迷惑なので、、、これ以上やはり謝りたくはないのです。
少しきもちは和らぎました。もう少しほっとこうかと思います

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

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神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

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稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ