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不幸続き、、、厄年になるからでしょうか

回答数回答 3
有り難し有り難し 57

最近たて続けに怪我をします。

始まりは二番目の子を妊娠したときに卵巣嚢腫になり出産と同時に摘出し完治しました。
今年に入り、左足の指を骨折して、治った直後に右足の指を骨折しました。
二回目の骨折も治り、もう怪我をしないようにと思っていたところ、直線の道路で渋滞していたときに後ろから車で突っ込まれて、首と肩を痛め救急車で運ばれました。

夫が前厄で周りからは夫の厄を背負っちゃったのかねーなどと言われます。

私は来年から前厄なので、今からこんなに怪我してたら怖くてたまりません。

もう一度しっかり厄払いをし、車も中古車だったのでしっかりと車もお祓いしようかと考えています。

普段は前向きな性格ですが、結婚してからこのような事も増えてる気持ちもあり少し落ち込んでいます。
なにか改善することがあれば教えてほしいです。。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

厄とは実体のない「魔」

ご相談拝読しました。ケガ等が続いておられるのですね、それは不安になりますよね。お見舞い申し上げます。

さて、ケガ等の理由を厄年とお考えの様ですが厄年とは何だか確かめたことはあるでしょうか?例えばアフリカの人には厄年ってあるのでしょうか?日本人がアフリカで暮らしていたら厄年はどうなるのでしょうか?

ちょっと考えればわかります。厄は厄年にあるのではなく、厄と考える人の心にあるのです。

しかし厄年というのは全く根拠がないわけでもなく、統計的に体調の変化などが起きやすい年というくらいのニュアンスだそうです。厄だからと決めつけるのでなく、厄という考えを参考にして気をつけないといけないと自覚し、自らに注意喚起するものとして利用したいところです。
くれぐれも厄に利用されることのないように…いや、お祓い代を払って心がスッキリするというのならかまいませんけどね。

ちなみに世界には色々な厄年があるようです。
http://www.yakuyear.com/about/world.html

これを統合すると、男性なら

4歳12歳14歳23歳24歳36歳42歳43歳44歳48歳54歳60歳63歳64歳
以下4のつく年齢、12の倍数の年齢

が厄年になります(笑)ほぼ厄年になりますね(笑)

人間ってこういう後付け・意味付けが大好きです。理由が分からないことをわからないままにしておくと気味が悪いという弱さをもっています。その弱さにつけこむものを仏教では「魔」と呼んだりします。厄も魔の一つですね。実体・事実として魔があるのではなく、何かに理由を求めてしまう人間が魔に振り回されてしまうのです。

仏教は因果の教えですので、全ての物事には原因があると説きます。ケガになるのはケガになる原因があったからです。
同時に、その原因は全てを人間の知恵で把握やコントロールはできないと、人間の分限を教えてくれるのも仏教です。
そして起きた出来事自体に幸・不幸や善悪があるのではなく、物事は物事。それに(その時の自分にとって都合が)良い・悪いという評価をくだすのは自分であるということを教えてくれるのも仏教です。

病気やケガはもちろん好ましくはないですが、それがあったから気づけることもあるものです。
雨の日は悪い日か、晴れの日は良いかというと、それはその時の状況によって自分の評価は変わるようなものです。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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幸せに気づいてくださいと出来事が起こっている

あいmama様こんにちは。拝見させていただきました。

愛する人との間に二人も子供を授かることが出来た幸せ
卵巣嚢腫になるも手術が成功し完治した幸せ
左足のみの怪我で済んだ幸せ。そして障害もなく完治した幸せ
右足のみの怪我で済んだ幸せ。そして障害もなく完治した幸せ
交通事故に遭いながらも子供も無事で、自分も死ぬこともなく助かった幸せ。

幸せ続きだと思います。その事を「気づかせる」ための出来事だったのではないでしょうか。厄払いではなく、感謝の心から手を合わせることを忘れていませんでしょうか。それとも不平不満を言いながらこれからの人生を歩むのでしょうか。

不安になった時、以下の事を唱えてください。そして紙に書いて毎日見る鏡の端にはっておいてください。

私は愛されている
私はまわりに受け入れられている
私と共に仏様は歩んでくださっている
当たり前の幸せを見つけよう

どんな出来事もすべては幸せへの「過程」です。応援しております。

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おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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 こんにちは。

 「厄年」思想は、仏教由来ではなく、陰陽道がはじまりのようです。仏教には「この日は悪い」とか「この年齢が悪い」などの考えはありません。
 「厄年」とされる時期は、加齢により無理が利かなくなり、年齢により立場がかわる時期(例えば係長が課長になるような年齢)に当たることで、体調を崩しやすかったり人間関係の変化などによるストレスを感じやすい時期でもあり、なるほど、うまい年齢を「厄年」というなぁ、と思います。

 従って、厄年となった人の所に、どこかから悪魔的な何かがやってきて、悪さをする、というものではありません。配偶者が「厄」を背負うなんて、全くもって荒唐無稽な話です。

 災難な事が続きましたが、「厄年」とは全く無関係の偶然です。気にすることなく、体調に気をつけ、あまり無理はしませんよう。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

本当に素晴らしい回答ありがとうございました。
これをきっかけと思い今一度自分自身についても考えていきたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ