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>「環境やタイミングで良縁、悪縁の価値観は逆転する 」
人間は自分というモノサシを中心としてあれこれ考え、悩む生き物なのですが、自分の環境や、タイミング、自分が変化すればその良縁、悪縁の価値観も逆転したりします。
いかなる悪縁でも、恨んだりする事だけで終わらず、色々教えてくれた縁と思い歩んでみますと景色も変わってくるのではないでしょうか?

これは、こちらで、お坊様が書かれてた説法です。
仰られてること、わかります。そう思うように自分の心を変えていくことで、人を恨んだり、憎んだりしなくなるのでしょう。

しかし、過去に傷つけられた傷は、なかなか癒えません。
そして、人を平気で言葉で傷つけたり支配したりした人が
、反省と謝罪をしてくれる人はいいですが、「忘れた」や「過去の事でしょ」と何もなかったように、ふるまう人には、どう、自分の心を持てばいいのでしょうか?人を傷つけておいて、人の心を痛めておいて過去の事だと言う人の気持ちがわかりません。
また、忘れた風にして、過去に傷つけた人を、頼ろうとしてくる人の
気持ちもわかりません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手の気持ちを無理にわかろうとする必要はありません。

恐れ入ります。過去の傷、とくにこころの傷というものは
そう簡単に癒えるものではたしかにありません。
それが「人情」というものです。
感性、ともいえますでしょうか。

もうすでに現在起こっていることではないのですが、
こころは一種の防御行動として、過去に起こった出来事を
未来に起きないように防御する手段としてこうした人情を
もってあなたを守っているのです。ですからこころの傷は
癒えないのです。守るために。

ひとに平気で傷つけるような発言を投げかける人間は、
かなしいことにわたしたちの周りに必ずおります。
そうした人物とかかわらないように働きかけるのも人情です。
しかし、どうしても会わないといけないということもあります。
そのように
あなたのおっしゃるように「かこのこと」と切り捨てるような方との
関係に関していえば、
関わらず会話せず知らんぷりが一番なのです。

こちらの言葉が通用しないのですから、相手に聞いてほしかったら
相手の言葉でしゃべるしか方法はありません。
それができないならば、関わらないしゃべらない知らんぷりがいい。

相手があなたを嫌ってしまうことを恐れるならば、逆に徹底的に
嫌われた方がいいのです。
相手にとって嫌いな人間にこちらがなってやるのです。

あなたを傷つけ、それを「過去のこと」といってしまう人と友達になる
必要はありません。

それがもとの回答にあった、自分を変える、ということにつながるのでは
ないかと思います。悪縁を変えるというよりも、利用するくらいの気持ちが
いいのではないでしょうか。

とはいえ、上記したようなこともあなたには難しいといわれてしまいそうです。

わたしはそんなときに、自分の回答の最後に書くことを唱えます。
おまじないみたいなものですが、案外、効き目があるように感じてます。
「さちあれ。さちあれ。やすらかであれ。やすらかであれ。
明日がいい日であれ。いい日であれ。みんなにいい日であれ。」

願うということですね。
あなたの苦しみがはやく楽になりますように。さちあれ。さちあれ。合掌。

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イジメの加害者のことは気になりますが

  確かに、イジメの加害者のことは気になると思います。気になると思いますが、平気でイジメをするような人間のことに、あなたの時間を割いていることがもったいないと思います。そんな人間のことは無視することが一番だと思います。

 そもそもイジメなどで人を踏み躙った人間が、幸せになれる訳がないんです。
http://hasunoha.jp/questions/3582

  加害者の言葉があなたの心を傷つけてきたと思います。心の傷はすぐには治らないかもしれません。今後、傷を負わないための心がけを提言させて下さい。
他の方の質問へ回答したものですが、2つの方法があると思います。

 1、あなたが強くなること

 2、つまらん人間を相手にしないこと。

http://hasunoha.jp/questions/4826

人生、生きていれば、いいこともありますよ。いい人との出会いも有りますよ。

但し、一方で、嫌な人間も多いですよね。そういう人間から自分を守る「防衛力」を身に付けていきましょう。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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服と不服は医の咎にあらず

 例えばです。
 あなたが病気になってお医者さんにかかったとします。
 お医者さんは、あなたに薬を処方します。
 あなたはその薬を「苦いから」「面倒だから」と言って、その薬を飲みませんでした。
 病気は治りません。
 この時、病気が治らないのはお医者さんのせいではありません。
 「苦いから」「面倒だから」という「いいわけ」のせいです。

 さて、お医者さんはお坊さん、薬は教えです。
 引用したお坊さんの言葉は、仏教の教えです。あなたはそれに理由を付けて服用したくない、とおっしゃっている。

 確かにあなたのおっしゃるように、許せない人はいます。でも、そこをなんとか折り合いをつけて許していかないと、前には進めません。

 もし、病気を治したいなら、「いいわけ」を捨てて薬を飲むことです。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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「心構え・生きる智慧」問答一覧

指圧の心 母ごころ 圧せば命の泉湧く

先日、hasunohaのお坊さんの法話をお聴きする機会に恵まれ、お寺の全国の集まりに参加することができました。 バスの中で、お咳の止まらなくなった方がいらしたので、会場に入る前のほんのわずかな陰で、兼ねてから勉強していた治療学(指圧)の実践をしました。咳の原因は、後ろ向きに体をよじって、緊張気味でうつむきがちなの多くの御年配の方々の顔を見ながら高い声を出し続けたために、酷使したお喉に邪気が…自然と絞り出すように咳が体のサインとしてあらわれたようにお見受けしました。 ですから、バスを降りた時、ゆっくりと後続の方々がお出でになるまでのほんの僅かなひとときに、咳に効くツボを快圧、と、さらにその場で、腹式呼吸をわかりやすくイメージできるように言葉にしてお伝えした結果、その後の本番では呼吸が乱れる様子なく、お咳も一切出ることなく、落ち着きを取り戻された模様でした。 このように「診断、即治療」をモットーとした、指と心が成す思いやりの予防医学、日本の伝統医療をお寺でも継いでいきたい、故に学校へ入りたいと、前から仏さまにお願いしてきたことが「あなたならできる、思ったことをすぐに行動に現してご覧なさい」と仏さまのお達しどおりに動いた結果、ひとつの望みが実現した一日でした。 余談ですが、午後の次第まで進み、お席を立たれた時に「お咳、治りましたね」と具合をお尋ねしたところ、「実は、〇〇性〇〇炎で…」その方の既往について、さらにお話を伺うことができました。「からだの炎症は、こころの炎症。心身一如」おそらくそちらも、治す方法がある、こうすれば良いのでは、と直感した訳ですがまだまだ修行中なので、学会の指導員の先生や、現役で治療に当たられている先生にお尋ねしながら自分の中の引き出しを更に広げたいと、意欲が湧き出ている母の日です。 徒然となりましたが、本来ならばその日は仕事を休めない日でしたのに、hasunohaのお坊さんがお導きくださったお陰で、上司も先輩も送り出してくださり、お寺の参道で手に入れたお土産も喜んでくれました。一日、朝早くから皆様方とご一緒できたことで、夕方仕事先へ戻ったあとは、身も心も軽く仕事が一段と見違えるように捗り、たくさんのヒントが心に浮かび、職場でさらに良い評価を紡ぐことにも繋がっています。 その節は本当にありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いします。

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情状証人で出廷

来週末、成人した子どもの裁判があります。 担当弁護士と初めて電話で話をし、その後1カ月何度連絡を入れても繋がらず、情報交換も出来ていませんでしたが、やっと連絡がつき、裁判の事を質問しましたら、 弁護士から、情状証人には立たれないのですか? 面会も手紙のやりとりもしていないのに、それで情状証人になれるとお思いですか? こうなった原因は、何だと思いますか? お子さんの事どのようにお考えですか? など質問されました。 遠方の為、頻繁に面会は行けませんが、手紙のやりとりはしています。 質問に答えましたが、今回で2度目ですよね? 検察官から、2度目ですがそれで情状証人になれるんですか? また同じ様な事起こすかもしれませんよね? そこは、どうお考えですか? などと、酷い言い方をされる時もありますが、それに答える事は出来ますか? と言われました。 その質問に、答える事は出来ませんでした。 本人を信じてあげたいですが、また同じ事を繰り返すのではないかと不安の方が大きいです。 こんな不安な気持ちのまま、情状証人に立ってもいいのか? 子どもを見捨てる事は出来ないので、出廷した方が良いのか? 必ず出廷しなければいけない訳じゃないので書面の提出でも大丈夫ですよと言って下さる方もみえますが、色々調べると、出廷した方が罪が軽くなると書いてあります。 裁判官や検察官の質問に、キチンと答えれるかも不安です。 人前で発言すると声が震えて、言葉に詰まったりします。 出廷する事が本人の為になると思っておりますが…。 弁護士さんもお忙しいのか、なかなか面会に行ってくれず、こちらからの電話にも出られずで、裁判の事も何も連絡がきませんので不安です。

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苦手は克服すべきか、我慢すべきか

こんにちは。   苦手なことについての向き合い方についてご教授いただきたく質問させていただきます。   結婚や出産を経験し、苦手なことについてどうすべきか考えることが増えました。 独りの時は苦手なことからはなるべく避けることができたのですが 家族が増えるとなかなかそうもいきません。   【苦手なことの一例】 ・他人から自分の写真を撮られること(自然な笑顔ができない ・大人数での食事(色んな話が混ざってどれに対応していいか分からない ・初対面の人との会話(リアクションが薄いことで相手が楽しいか不安になる   苦手の原因は自分の容姿や話し方、話の内容について自信がないからというのもあります。   このほかにも苦手と感じることは多々あるのですが料理や掃除など生活や仕事においての苦手なことは毎日やってくるので工夫して「克服」することができるのですが 上記の他人が絡んでいる事柄については 克服するにも頻度がバラバラなので 向き合うにも向き合えず「我慢」するという形になってしまいます。   子供のために仲良くしておかなきゃ、旦那のためにいい顔しなきゃ と過ごしていますが、後々どっぷり疲れが溜まっているのが分かります。   数回だから我慢して過ごすべきか、自分のためには克服するのか克服するとしたらどのくらいがんばればいいのか何をすれば正解なのか…と答えが出ずにいます。   苦手に対する向き合い方について助言をいただければ幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 12
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自分の機嫌のコントロールが出来ません

親と兄弟と暮らしています。 モラハラ癖のある父親を除けば、仲が悪い方ではないと思います。 と言いつつやっぱり他人同士なので、どうしても性格など人として合わないなと感じることも多く、よく家族の行動や発言に対してモヤモヤした気持ちを抱えてしまいます。 特に自分は家族の中でも心が弱くネガティブ思考なので、1日から長くて1カ月ほど考え込んだり生活に支障が出るくらい落ち込むこともあります。 悩んでいるのは、 「イライラしたりモヤモヤしたあと、どう気持ちを切り替えたらいいのか」 です。 例えば他の人が聞いたら「それだけで?」と思うくらい小さいことに対してどうしようもなくモヤモヤしてしまった時に、 ・落ち込んでる時間が無駄だとわかっていても、笑って流せない ・自分の不機嫌さで家族の団らんに水を差すような奴になりたくない(父がそういう人間なので似たくない) ・でも家族にはハッキリと「ここが嫌だった」と言わないと伝わらないし気づかない という気持ちが同じくらいの大きさで存在していて、いつも苦しくなってしまうのです。 団らんに水を差すと言っても当たり散らしたり暴力や暴言ということはもちろんしません。 部屋から出てこなかったり、出てきたと思ったら泣いてたり、母に愚痴を言ったりという程度です。 それでも「また始まったよ…」のだるさはあると思います。自分もそれが嫌なんです。 どうにか自分の感情とも家族とも上手く付き合っていきたいです。 おすすめの考え方や心構えなどありましたらお言葉をいただきたいです。 一人暮らしをしたい気持ちはありますが、諸事情で今すぐには難しいです。 心から楽しめるような趣味もあり、朝から晩までモヤモヤしてるということは少ないのですが、家族との接触はどうしても避けられず、悩みも尽きず…という感じです。 お忙しいところ申し訳ありません。 何卒よろしくお願いいたします。

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自分について

3回目の質問です。 長文すみません。 実家にいるべきか悩んでいます。 HSPという気質からか、親や家族(人)といるとどこかで素を出せず、自分が消極的になっているのがわかるからです。 家族のことは嫌いなどではなく、仲はとてもいいです。例えば家で家族との会話はできますが、勉強するとき声を聞かれたくなくて音読ができなかったり、今何をしているか知られたくない、家族の機嫌やその場の状況によって左右されてしまう、などがあります。 私は以前海外留学していました。 その時の理由の一つも、家から離れたら何か変わるかもしれないから、でした。 確かにその期間は自分で考えられて積極性もついていたと思います。自分でも変わったと思った瞬間がいくつもありました。でも帰ってきたら元に戻りました。 再び海外に行きたいですが、海外生活が思ったより寂しいものと気づき、情けないですが、次行っても孤独に耐えられる自信があまりありません。また自分が親に依存していることにも気づき、どこへ行けばいいか悩んでいます。 であれば首都圏へ行ってみるか、でもお金もかかると思います。(資金力はある方ですが、環境を変えればなんとかなると思って結局居住費などお金のムダ、なんてことになると良くないと思い踏ん切りがつきません。) 地元で図書館に行ったりして、知識を積んで家にいない時間を作るか、それでも家に帰れば無気力なのかな。と悩むとキリがありません。 何よりも、親や家族に自分を出せていなければ、自分は世界どこへ行っても誰にも理解されない孤独な人間になるのでは、という寂しさが耐え難いです。 私は成長したい気持ちから海外や別の場所へ行きいろんな世界を見たい気持ちだったり、今の自分ではいけない気持ちが強いです。留学へ行って自分を出していた経験から、現在がとても遠いもののように感じられ、もどかしい焦燥感のような気持ちを感じています。留学の時も、このように自分を責めてばかりでしたが。 でもいざ行動してみると1人とても寂しい自分の姿がイメージとして浮かぶんです。 考えが甘い部分があると自分でも感じています。迷ってばかりで申し訳ないです。 行き先をどう決めるべきか、お叱りやアドバイスをくださらないでしょうか。長文すみません。何卒よろしくお願いします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ