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どうすれば煩悩を断ち切る事ができますか?

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私は数学を専攻する大学生です。今後は研究者に進み大学教員になるつもりです。

ですが常に邪念があるのです。
世の中には食料に困る人もいれば、戦争などで苦しむ人も多くいます。他人の事だから気にしないなどということは私には出来ません。私が奮闘したところで多くを助けられないでしょう。人は動物ですから各々苦悩を抱えるのは仕方の無いこでしょう。それでも助けられるのなら助けたい。

これを邪念と言うのもおかしな事ですが。世界の誰かが苦しむ中、私は数学の研究を続けてもよいのか、回答を得なければこのまま一生悩まされ続けてしまうでしょう。

私はどう生きれば良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩でも邪念でも無く、素晴らしい誓願です

世の中には食料に困る人もいれば、戦争などで苦しむ人も多くいます。それでも助けられるのなら助けたい。

これは、煩悩でも邪念でもありません。仏教では、「誓願」といいます。
宮沢賢治は、『農民芸術概論綱要』という著書の中で「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と述べています。あなたの誓願はまさにこれと同じです。

 もう少し、詳しく説明しますと、これは大乗仏教における菩薩の誓願です。 菩薩が一切衆生を救済するという願いと誓いを立て、願いが叶うまでは自分が涅槃には赴かないとすることを言います。

 学問は学問として研究発展して行くことが必要かもしれませんが、社会に向けては確固たる哲学も求められると思います。「人類全体に貢献する」という哲学です。この哲学を欠いた研究から、核兵器、化学兵器、細菌兵器が開発されました。実に悲しくも情けない人類の歴史だと思います。あなたは「人類全体に貢献する」という哲学を持っておられるから、どうか今後の研究においても、その哲学を忘れないでいただきたい。
 「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という言葉にあるような「世界全体の幸福」は、簡単には実現できないでしょう。しかし、簡単に実現できないからこそ、すべての人類が考え実現に向けて行動すべきことだと思います。どうか、素晴らしい誓願を持って、研究を続けてください。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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数学を社会福祉に

正義の味方さん、こんにちは。私は保育所の所長もさせてもらっている僧侶です。
保育所は社会福祉法人です。
社会福祉の目的は、人が人として最低限の生活ができるように支援していくことだと思っています。

吉田俊英師の回答にもありましたように、正義の味方さんの数学の研究が信念を持つものであれば、大変有意義なものになるでしょう。自分の知識欲を満たすためのものではなく、他の人の幸せを願う研究ならば尊い研究です。
仏様も、仏になるために誓願をたて、それを成就して仏となります。
その願いは、「あなたが幸せになれるのならば、私は幸せだ」という考え方です。
他者の喜びを自らの喜びとするのです。

正義の味方さんが数学を社会福祉の現場に生かしていただけたら、私も大変うれしく思います。
あなたが目指されていることは、菩薩様と同じなのかもしれませんね。
たゆまぬご研鑽を願います。
南無阿弥陀仏

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おきもち

みなさまこんにちは。 浄土真宗本願寺派の緇川(くろかわ)と申します。 ...
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「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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