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「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

2022/04/25

三世の因果について

あるところで、「因果応報はありますか?」と聞かれたので、 「ある」と答えたら、「生まれたばかりの子供が虐待されて殺されました。 その子に責任はあるのでしょうか?」と聞かれ、「ない」と答えたら 矛盾だと攻撃されました。 確かに因果応報は善因善果悪因悪果ですから、あると思うのです。 しかし、三世の因果については、私は否定されるべきと思っていて、それは それが差別などを肯定してきた歴史があるからです。 しかし、その人が言うにはあるえらいお坊さんに聞いたら、「虐待されて 殺されるのは(過去世の行いの結果だから)当然だ。」と答えたというのです。 それに憤りを覚えたのですが、確かに過去に「親の因果が子に報う」 みたいなことは盛んに説かれたとおもうのですが、それが差別を温存 することになったと思うのです。だから、私はそれは否定されなければ ならないと思うのですが、現世の行いで来世の行く末が決まるという 輪廻転生がある以上過去世の行いで現世が決まっているともいえるわけです。 私の信仰は浄土宗ですが、それがベースにあり阿弥陀様の誓願により西方極楽 浄土を願生し、念仏するわけです。なので三世の因果を否定すべきか肯定 すべきか迷っています。どう考えたらいいのでしょうか?

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神様・仏様って本当にいるんですか?

私の母は子供の頃に説法をよく聞かされたため、生きること自体が修行で、嫌なことも沢山あるが正しい行いをしていれば、神様・仏様は見ていてくれている。 きっと悪い人間にはバチが当たるから、日頃から清い人間であるよう、心がけなさい。 辛いことは神様・仏様が与えた試練だから我慢しない。 と、よく言われます。 このような場で言うのも大変申し訳ありませんが、私は無宗教で神様・仏様も全く信じていないため、そうは思わず、私が職場などで嫌な事があったときに少しでも愚痴を言うと、必ずその話が出るため、最近はそういう相談はしないようにしています。 よく神様・仏様は見ていると言いますが、結局は要領の良い人が得をし、要領の悪い人間が損をする世の中だと思っています。 実際に職場でも働かず大半を悪口ばかり言って過ごしている人間の方が、待遇や周りの評価なども良い状態(立ち回りが上手い)ですし、真面目にやっている人間は評価されず…いじめだってただ他人と少し違うだけでターゲットにされ、結局罪のない方が自ら命を絶ち、いじめていた人間達がのこのこと生きている。そんな世の中です。 理不尽な事ばかりなので、仮に神様・仏様は居たとして、絶対に見てないでしょって思ってしまっているのが現状です。 大変失礼な質問かも知れませんが、お坊さんから見て神様・仏様とは一体何でしょうか?

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2022/09/25

宗教と危険物は似ている。宗教よ、どこへ?

 いつもお世話になっております。先日、こちらで、「お寺で、私に だけあれこれ言ってくる怖い奥様」のご相談をしました。それの続きの ようになるのですが、近頃、思った事があります。 「宗教と危険物は、似ている」  適切な管理と用法用量を守れば人の助けになるけれど、盲信… つまり、管理方法や使い方を間違えれば、プシュー、ドカン。  その奥様は、博識で、元から教えたがりの性格のようです。 他の事を話すときは和やかに見えるのですが、仏事の事になると豹変、 「私の知っている事が正しい。私の知っている事を聞け」 といった感じの態度や表情になります。後からお坊様に尋ねると、 「ああいった作法やしきたりは、定めていないよ。そこまで、 こだわらなくてもいい」 と笑っています。もしかしたら、カルトなのかもしれませんが… 家に誘われたこともあるので。  宗教映画を手掛けた、カルト問題にも詳しいある映画監督さんが、 「宗教は、必要ではあるが、危険を伴う」 とおっしゃっていました。なるほどと思いました。  「いい」「悪い」の二極で言うと、宗教は、「いい」事を説いて いるものでしょう。ですが、先述の奥様のように、「私たちが一番 正しい、一番いい」と盲信し、儀式行為等に執着する、つまり、 用法用量や管理方法を間違えると、宗教は、たちまち、「薬」から 「毒」…はたまた、「化学兵器」にもなりえると思います。  この奥様の延長線上が、新興宗教や、海外のテロ組織でしょう。  こちらの問答でも、しばしば、先生方が質問者様に、 「独学は危険なので、お寺のお坊さんに教わってください」 とご助言なさっているのをお見掛けします。  私は、独学の結果か、親鸞上人のお歌にあるような、誤った認識を 持っているご信徒様が多いように感じており、憂慮しております。 「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめ つつ 卜占祭祀つとめとす」 拝む事だけ熱心で、何かが起きれば、全部「霊」や「神様、仏様」 のせい。祈りというより、たたり信仰。拝んでさえすればいい…  「薬」だったはずの宗教が、「毒」や「化学兵器」になりかけて しまっている印象です。  半分、私の愚痴でした。どうにかしたい、でも、できない。 先生方のご高見、賜りたく存じます。

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お墓にご先祖様はいるんですか?

こんにちは。いつも楽しく・癒されながら拝読しています。 先日、お彼岸という事で、久しぶりに祖父と祖母のお骨があるお墓にお墓参りに行ってきました。 祖父母のことは大好きで、亡くなって7年くらいたつ今でも家族団欒の席で祖父母の話が持ち上がります。 仕事が忙しくてなかなかお墓参りに行く機会は作れないのですが、お墓の前で手を合わせれば、「おじいちゃん、おばあちゃん、家ではこんなことがあったんだよ」とか、たまには「お母さんがお父さんの所為で滅茶苦茶ふてくされているのでどうにかしてください」とか願ってみたりします。なかなか無茶ぶりをしているかなと自分で思ったりもします(笑) さて、そんなお墓参りですが、このサイトや他のサイトを見ていて、ふと疑問が浮かびました。 宗派によっても異なるのかもしれませんが、亡くなってすぐ、(少なくとも祖父母の場合の7年より前には)ご先祖様は生まれ変わってしまって、もう元々の家族のことは忘れて違う人生を歩んでいるものだという考え方があるのを知りました。 それでは、お墓にいって何かを報告しても、報告しているつもりの相手はそこにいないのでは?と思うのですが、当然一方通行なのでしょうか? それに、私はお盆やお彼岸の機会でもお墓にお参りに行けない時は、せめて仏壇に手を合わせるのですが、その場合仏さまは仏壇とお墓を生きている人が手を合わせる都合に合わせて瞬間移動しなくてはならないのでは…!? 是非その仕組みがどうなっているか教えてください!

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南無阿弥陀仏?

お世話になります。 ここでご相談させていただいているうちに大事なことに気付き、気付かせていただいたお坊様に、手を合わせて『南無阿弥陀仏』と唱えるだけで落ち着けると教わり、とりあえず意味も分からずやっています。 毎日何かに向かって唱えていると、病気の原因の1つである母の声を電話で聞くだけでイライラし、調子が悪くなっていた私の状態が、今までと違い、ある変化をしたことに驚きました。 最初の頃、主治医から『自分のために、家族とは縁を切りなさい』とアドバイスされていました。最近は『なるべく接しない様に』と言われています。私の調子がとても悪くなるからです。ときには自傷してしまうほどのストレスを抱えてしまいます。 その私が、電話口で私が電話したことを喜んでいる母の様子を、何となく…“喜んでいるよ..良かったなぁ..”と感じました。発症して以来、初めてのことです。電話を切ったあとも、特別調子が悪くなることはありませんでした。 このまま順調に回復するとは思えませんが、これが南無阿弥陀仏の力なのでしょうか? だとしたら凄いとは思うのですが・・・・よくわかりません。 お坊様の皆様は、この変化をどうお考えになりますか? まだ、1回こういうことがありました…というだけですが・・・。 お考えを聞かせていただけると、参考になります。 宜しくお願い致します。

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仏教徒に対する疑問パート2

この掲示板に2度目の質問をしに来た者です 本日もよろしくお願いします 最近仏教について色々調べたんですが 仏教にも原始仏教と大乗仏教があるそうですね そしてそれぞれの宗派ではお釈迦様に対する供述が違うようで・・・?  どちらを信じればいいかわからないのですが なんとなく原始仏教のお釈迦様について考えることにしました  そしてある疑問にぶつかりました お釈迦様は全ての煩悩を絶って涅槃入滅されたんですよね?  そして輪廻の輪から出て2度と生まれてくる必要もなくなった それなのになぜ人々を救おうとするのですか? 人々を救おうとする考え自体も煩悩なのではないのですか? 五陰盛苦?を超越して全く煩悩がない白紙の状態になると一切の考えはもはや沸き起こらなくなり 人々を救おうなどとも考えなくなるんじゃないんですかね?  たとえ当初のお釈迦様は人々を救いたいために修行してても 涅槃入滅した状態になるともう昔のことなんてどうでもいいやってなるんじゃないですかね? それなのにお釈迦様はまた人間界に戻って人々を救おうとしてるのはなぜですか? お答え出来る方がいらっしゃったらお答えください

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仏教の話をすると馬鹿にされます。

昨年末からお経に興味を持ち始め、スマホと電子辞書を傍らにお経の一節一節をわかりやすいように今の言葉に変えています。 元から古典が好きなのと、漢字や言葉にひかれるところもあって、この作業が楽しくてしょうがありません。 時代背景を理解するために、親鸞様の本を読んでいた時のことです。 たまたま知人にその本を見つかってしまい「変わった本読んでるね」と言われたのでお経を読み砕いている話をしたら 一言目に「俺はさ、宗教なんていらないと思ってるよ」と切り出され「お経をわかりやすく読もうとか本当にマジ、キモいから」と。 お経をわかりやすくすることを否定された訳ではないのですが、会う度に(週1ぐらい)「仏教野郎が来た!」とか「仏教なんて信仰する奴の気がしれない」と。 はっきり言われたのは「仏教の話なんかしてたら、変わってると思われるし、キチガイみたいだからやめた方がいい」 私は仏教の話ばかりしている訳ではないし、仏様を信じるべきだ!と声高に強調したこともありません。 ただ、親鸞様の本を読んでいたことと、親兄弟知人でもない誰かが常に自分を見ていてくれて、救ってくれるとしたらありがたい(お釈迦様や阿弥陀様)としか話していません。  高1の娘にも誤解されていて、私が朗読の会の先生からいただいた「法性寺」という発声練習に使うプリントを読んでいたら 「家の中でお経あげるのやめて!!」 と言われ、違うことを説明したんですが 「家の中でお経読んだり、法話聞いたり、気持ち悪いことばかりしてるから間違ったんだよ!」とキレられました。 私にとって仏教とは子供でも、大人でも心の支えになるんじゃないかと思っていて。 でも、そう断言できるほどの知識がある訳でもなく、どこかのお寺に通っている訳でもなく、ただ楽しくてお経を読み砕いているだけなので説得力がありません。 先に話した知人も「仏教、仏教って変人ここに極まれりですね」と馬鹿にしてくるし、「俺を本当に巻き込まないでくださいね!」と念押しされるし。 お経を通じて、仏教に心を寄せていくことは他人から全否定されるぐらい、おかしなことなんでしょうか? 長くなりましたが、よろしくお願いします。

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浄土真宗の教えについて3

おはようございます。 今回も引き続き浄土真宗の教えについての質問です。 昨日文法様に教えて頂き、私というものがいかに自我という錯覚に踊らされ執着し、分別に苦しめられているのかという事がわかりました。仰る通り自分にとって都合の良い物は欲しいし悪い物は遠ざけたい。 そしてこの道理を知った所で「はい、そうですか。では自我の錯覚を見破りますね。」と簡単にはできそうもありません。 吉武文法様の御回答より引用 〉煩悩を煩悩と知るところに、煩悩の身のままでも煩悩を引き受け、煩悩を活かしていける道が開けれるという救いです。 1、この煩悩を活かしていける道というのは具体的にどういう事でしょうか? 「道理としては病む。でも病気になりたくない。これは煩悩だ。でも何とかしたい!病気になっても治せる様に医者になろう!」という様な事でしょうか? 病む事に変わりはないけれど、少し安心し救われる。安心して迷っている。という様な。 〉これは味わいが強い表現ですが「安心して迷っていける、悩み苦しみ切っていける」とも言われます。 2、ここも具体的に文法様の例えやすい物で構いませんので何かに例えて教えて頂けないでしょうか? 本当は正確には言葉にできない所の様な気がしますし、もしかするとすべきではない様な気もしますが「安心して迷う」という一見矛盾している様なこの表現や「悩み苦しみ切る」という一見普通に過ごす以上に辛そうに見えるこの表現に文法様が込められた真意に触れさせて頂きたいのです。 文字数の関係がありましたら、2の方の質問を優先して御回答下されば幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

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