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「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

人生の選択をしなければならなくなりました

現在30歳、既婚で息子が一人います。人間関係がうまくいかないのと、自責の念で鬱になり、住んでいた土地を息子と二人で離れることになりました。主人は仕事があるので今は別居しています。故郷を離れてからもう3年になりました。全く知らない土地でしたが、周りの人もよくしてくれて鬱はだいぶ良くなりました。仕事も転々としましたが今は派遣社員として開発の事務をしています。今年の2月まで働いて故郷に帰る計画をしていました。理由は息子が小学生になるので、故郷に帰らなければと思っています。実際は帰りたくありませんが息子のためと思ってそうするべきだと思っています。派遣の仕事も辞めるつもりですが、これまでやった仕事では必要とされていなかったのですが、私を必要としてくれて、アシスタントで入ったのですが、仕事の成果が認められて主担当になることになりました。すごく嬉しかったですし、これまで人に認められて来なかった人生なので自分が認められることが嬉しいのです。この件で更に故郷に帰りたくなくなりました。職場の上司は「契約がすぐに切れることはない。長く勤めて欲しい」と言っています。確かに一般事務とは違いますし、専門職の仕事を資格も経験もない私がさせてもらえるというのはすごく貴重な経験だと思ってやりがいがあります。けど派遣だし、もし派遣の契約中に妊娠したら産後戻れるという保障はわかりません。ということも考えたらやっぱり仕事は諦めて故郷に帰った方が良いんだと思いますが、もしかしたらそこで社員になれることも考えられると思うとそういう欲も出てきてしまいます。もう1月も半ばに入ろうとしています。帰るか残るかもう決めなければなりません。どうかご意見をお願い致します。ちなみに主人は「帰ってきてもそこにいてもいい。自分で決めて」と言っています。。

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“今・ここ”を生きると言うこと。

いつも質問・回答をありがたく拝見しております。 私は今を生きることを意識しており、こちらのサイトで様々な仏教の考え方を知り、自分の理想としている生き方に近いものを感じて共感する部分が多く、もっと教えを学んでみたいと思っている所です。 私が普段意識していることを具体的に挙げると 「目の前のことに集中する」 過去や未来を悩むより、今、やるべきことをやる 今、目の前の人、環境、あるものに感謝する。 「その時その時の感情を、否定せずに味わう」 ポジティブな感情はもちろんですが、ネガティブな感情も、抑えようとするから苦しいのではないかと思っており、「今、自分はネガティブになっている」「ネガティブになるのも仕方ないよ」と、受け入れるようにしています。 「まずは自分を大切にする」 気が進まない事をしなければならない時、深呼吸をしたり、コーヒーを飲んだり、とりあえずトイレに行ってからにする等、まずはその場その場の自分を整えてから行動をする、ということを意識しています。 「できないことはしない」 時間がない、能力がない、できないものはできないので(笑)今の自分にできることを、できる範囲でやることを意識しています。 私の今のこのような考え方は、自己啓発系のたくさんの本を読んできて、自分が良いと思ったものだけを集めたものです。 私は元々とても落ち込みやすく、自己否定ばかりして生きてきたのですが、このような生き方を意識することで、比較的穏やかな心を保てるようになってきました。 いつか自分が様々な考え方を勉強して穏やかになれたように、学んだ考え方を何らかの形で発信して、誰かの心を軽くできたらと考えています。このような行動は仏教でいう自利利他に当たるのかと思う反面、ただの押しつけや自己満足の偽善行為ではないかとも思い、迷ったりもしているのですが…。 前置きが長くなりましたが、質問です。 お坊さまは「今・ここを生きる」とは、どのような生き方だとお考えですか?私は穏やかに生きるヒントは「今」にあるのではないかと考えています。仏教的視点、個人的意見、どちらでも構いませんのでよろしければ、お聞かせください。

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人前で泣けたら

久しぶりに来ました。 いっぱいいっぱいで、頼れるところもなくて。 家はまだ出てません。言われると、知っとるわ!と思います。家離れたほうが良いのは当の私が一番わかってるわ!実際やるのがどういうことかわかってんのか!と激昂します。それでハスノハにも来ませんでした。 辛いがたくさん溜まると、私はすべてが敵に見えます。すべてを敵にして、心を守ろうとします。でもすべてを敵にするのはあんまり良くないと思って、違う心のゆるめ方を探しています。 家出なさいって言われると、私は侮蔑の目で見ます。相手は絶対の安全地帯にいて、そこが揺らぐことはない。自分は安全な場所にいて、私に同情して正義を語るように、助言されると腹が立ってしょうがない。そんなことが言えるのは、自分がこっち側じゃないからでしょう。警察沙汰になる、シェルターにいく、大学を休学する、生活保護を受ける、リアルなこと何にも知らずに、ただの知識だけで、それ薦められると、本当に腹立つ。というか、私が物凄く混乱するし、言うほうはなんも責任はないし言っただけで済むからいいかど、言われた私は大変。…と、言っても、また上から目線だとか、性格歪んでるとか、怒られるのかなあ。怒るなら両親をまず怒ってください。 私は人前で泣けない。どうしようもなく辛くても、それを表に出せない。他人や友達や先生の前で、思い切りため息つきたい。仏頂面で毒吐きたい。すべての不幸を背負ったような顔して絶望したい。助けてと言ってみたい。泣けたらどんなにいいだろう。 ニコニコ笑顔でいるのがクセなのです。 小6のある日、悟りました。痛いとき痛い顔しても、痛みは治らない。辛い顔してても状況は変わらない。じゃあ笑顔でいた方がいいんじゃないか。人も不快な思いしないし、ウチの虐待のことがバレることもないし、いいこと。 おかげで虐待がバレたことは24年間一度もありません。どうやら虐待の子特有の雰囲気もおくびにもでない完璧な隠し方ができてたようです。母親から虐待はうちの中だけの秘密にすることは暗黙の了解だったし、父親のしてることバラせば殺されてたんだから。 そしたら辛くなってきた。幸せでもないのに笑顔でいることが苦痛以外なにものでもない。でももう染み付いちゃって、辛い顔ができない。泣けない…。 体も病気で病弱で、授業も休みがち、もう本当に辛い。助けて。

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心を平静に保つには。支えとなる本や言葉はありますか?

季節が秋、冬になると、心がふさぐことが多くなるのでご質問しました。 毎日いろんな経験をすると、その都度心が揺れ動きます。 人間関係のもつれや仕事が上手くいかなかったときの失望、家族につらく当たってしまったあとの後悔・自己嫌悪。将来どうなるのかといった不安や自分が独りぼっちになったことを考えたときの悲しさ。失恋や身内の不幸など、大きな衝撃をうけると体調にも影響がでます。 およそ「一日平和だったな」と思える日のほうが少ないような気がします。 そんな時、よく「お坊さんはどうやって心を平穏に保ってるんだろう」と考えます。 法事で家にいらしたとき、温かい雰囲気で話を聴いてくださる。いつもにこやかで、周りの人を優しい気持ちにさせる。私自身そういう人になりたくて、仏教に興味をもちました。 ただ、本屋さんに行ってみても、これは!としっくりくる本に出会えずにいます。 お坊さまがたには、心を落ちつかせるおまじないとなるような本や教え、言葉はありますでしょうか。 仏教のこと、おぼろげには知っているものの、自分の心の糧にできるまでには至っていません。 お坊さまがたの心のよりどころをお教えください。

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知らない人の悪意から身を守る方法

私は、何度か知らない人から悪意を受けることがあります。 例えば、電車の車内で本を読んでいたら、男子学生グループからいきなり蹴られたこと。 後ろからクスクス聞こえるとは思っていたのですが、まさか私のことを標的にしていたとは蹴られるまで思わず・・ダッシュで駅へとゲラゲラ笑いながら駆け降りる、全く知らない男子グループを見て、あまりに突然のことであっけにとられ何もできず、その時はただただ、ショックでした。 例えば、満員すし詰めのイベント会場で、後ろの女性の肘がずっと我慢できないほど痛い位置に当たっており、仕方なく(あの、肘が、)と声をかけると、よりグッ!と押し込まれ、うるっせーんだよ、ブス、このブス、と暫く耳で囁き続けられたこと。 他にもあり偶然ではないようで、道行くおじいさんから、おじさんから、酔った女性、意地悪そうなカップルからなど・・友人と複数でいたとしても、まず私が一番の標的になることが、とても多いです。 過去、友人に相談した折には、「その人たちは怖い人には絶対に突っかからないだろうから、責めても反論しなさそうに見えるんじゃない?」と言われたことがありました。 そういえば外国の方によく道を聞かれるように、隙のある人相なのかもしれません。 どんなに心の中で「あの人たちはイジワルしたくなったんだ、余裕がなかったんだ、気が立ってたんだ、同じ土俵に立ってはいけない」と自分を慰めても、些細なことで頭の中で、その時の彼らの笑い声や、蔑む声が聞こえてきて、ああいう人たちにずっと言われる人間なのだろうかと、とてつもなくみじめな、泣きたい思いになることがあります。 どうにかこの理不尽なサンドバッグのような思いから脱却したいです。 人生の中で、多くの人が経験しているようなことなのでしょうか。 何とかこういった人たちや、過去の出来事から、身を守る、見方が変わる考え方は、ないでしょうか。

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正解はない。

自分のことは後回し。 傷つける人のそばから離れない。 悲しくても笑って怒りさえ出ない涙する日々。 他人の言動で自分を家族を振り回す日々。 今を生きたことはなくいつも妄想の現実。 過去を思い出せば映像しかなく、心はなかったかのように。 今を生きたい、自分を幸せにしてみたい、自分を幸せにしたら、家族も幸せにしてみたい、家族の今、将来を明るく照らしてみたい。 本気で生き続けたい。 こちらでお世話になったり何冊か本をゆっくりですが読んでいると、ようやく自分に響く本が見つかり、生きる知恵を身につけることができはじめてはいます。 でも答えはないと学びました。 人には人それぞれの正解がある。 だからこそ生きることが難しく思ってしまいました。 答えが見つからないのです。 自分にとって大切なものは自分と家族。 そう思えるようになり、そしたら、人間関係で自分は大切にされてはいないな、この方と繋がっていても得はなさそうだと考えるようになり、ジャンルは問わず毎日関わる会社の人も、知人も、この先縁を遠ざけて面倒になるかもくらい毎日顔を合わさなければならない近い付き合いの方も自分の価値がさがる、損をするなら関わらない方がいいと思って距離をおき、ゆっくり縁を遠ざけるようになりました。 自分を守る、それが家族の幸せにつながる。 自分を守るというのは、私の中の正解では、私自身余計な悩みは抱えないこと、余計な悩みを抱えるくらいなら人間関係を切り切ったあとの相手への妄想(ああ、どう思ってるかな、とか。無意味ですし、本来しちゃいけない見たいですが)を抱えるほうが楽になりました。 でも自信がないんです。正解は人それぞれ。 私は自分のために、でも相手は感じ方がちがう。それで勝手に悲しみ、落ち込み。 それも振り回されてるだけかもしれませんが、どうしても自信がないのです。 私の正解。 でもあの人たちの正解じゃない。 みんなに嫌われたらどうしよう。 でも私はもう辛さを抱えながらも自分の楽な道を見つけた気がする。 でも相手の気持ち聞かずに言わずに、なんとなく距離をおき、そのうち切って、申し訳ない。 本当に嫌われたら、たとえ繋がってくれている友人がいても、身近に関わる人に嫌われるのは辛すぎる。でも、関わるほうが苦しい。 自分が正解だなんて人間関係においては自分本位に感じることばかりです。 正解がないの、難しいです。

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何ものにもなれず中途半端な自分に劣等感を抱いています

2歳の育児中です。子供は可愛いです。 夫は割と高収入で、育児にとても協力的です。私自身も働きやすい職場で仕事を続けています。 仕事が楽しいかと聞かれれば「まあ・・・普通」ですが、自分や子供の都合で休みが取りやすい、早退遅刻も大丈夫、という点で、環境がとてもいい職場です。 それだけで周囲から見れば十分幸せだと思います。私もそう思います。 でも私は満たされず、さみしい思いを常に抱えています。 一言で表すのは難しいですが、「ナニモノにもなれない自分」に、すごく劣等感を抱えています。 30代半ばくらいまではよく友人と集まっていましたが、それもほとんどなくなりました。 今年などは古い友人に新年会を企画しても、断られてしまい、その人のブログに「人付き合いは日々の生活につれて更新していくもの、 昔の付き合いにしがみつく必要なし」というようなことを書いてあったのにショックを受けてしまいました。 その友人はミュージシャンをしています。昔よく集まっていた仲間は、絵描きやイラストレーター、建築士として着実に力を付けてきていますし、 震災を機に海外に移住してもまだ仕事を多く受けているデザイナーもいます。 彼らを見ると、「ああ、40代は実りの時期なんだな」と実感します。 そういう、得意な分野がある友人達は、何処に行っても仲間を見つけ、友達を増やしていきます。 私の世界は縮んでいます。 「普通が一番、いまは子育てが私のメイン業務」と思っても、気休めにもなりません。 じゃあ仕事を頑張ろう・・・と思っても、私の育休前にバイトだった子が社員になり、存在感を増していて、前は年に2・3回行っていた海外出張も、当然のようにメンバーから外れています。 自分以外のみんなが充実しているように見えて苦しいです。 私はナニモノにもなれなかったし、 これからもナニモノにもなれないでしょう。 若い頃、打ち込める物を極めなかった自分、才能を磨いてこなかった自分に強烈な劣等感があります。 これからなにかに打ち込む?育児と仕事で、細切れの時間しかとれない私に出来ることって何??? 毎日むなしいです。私みたいな人は、どうしたらいいですか?

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努力することが怖くて困っています。

 3年前から努力しようと思うとひどい不安感に襲われ(体調が悪くなるほど)、やらなければいけないことがなかなか手につきません。不安と向き合うのが億劫と言えばいいのでしょうか、自身のないことに対峙するといくら頑張ってもダメだという気持ちでいっぱいになってしまいます。  このような状態になってしまった背景には教育実習があります。高校3年生のときから、勉強はもちろん、趣味も含めてすべての事を教師になる糧となるように考え努力してきたつもりです。しかし、教育実習のときに、今までの疲れと完璧主義が相まって、頭が真っ白になるほど授業案が手につかなくなってしまいました。泣きながら担当の先生に相談し、何とか完成しましたが、担当の先生には「勉強が足りない」・「中学生より子ども」と言われ、軽蔑した目で見られてしまいました。また、他の実習生(友人含む)にも心配のレベルを越えてどん引かれてしまい、もう何をどうすればいいのか分からない状況に追い込まれてしまいました。  それからは、わたしはどんな努力をすべきだったのだろうか、いつから努力の仕方が間違っていたのだろうかと悩む毎日でした。そうしていつしか自信をなくして、好きなことも好きでなくなり、向上心もなくなりました。死んではならないから生きている感覚になりました。努力をすることが億劫に感じるようになったのはそのときからです。  このままではいけないと、いろんなサイトを見たりカウンセリングを受けたり、メンタルの勉強をしたりしてして、学校の課題はできることから少しずつやってきました。それでも期限内に課題ができなかったり、失敗ばかりで、不安感は増すばかりです。良いようには何も変わりません。  最近は卒論も間に合いませんでした。ずっと応援してくれた先生や家族、友人に申し訳ないです。頭の中ではみんなのために頑張らなければいけないのはわかっています。でも、最近はもう努力する気力もなくなっていまいました。努力するくらいならいっそ死んでしまいたいとすら思うこともあります。  このままでは心の底からクズ人間になってしまいます。わたしはどうしたらこの状態を抜け出せるでしょうか?どうしようもない質問で申し訳ないですが、どうかアドバイスをいただきたいです。また、具体的にどのような行動をしたらいいのかあれば、教えていただければ幸いです。

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幸せになるにはどういう心持が必要ですか?

33歳で離婚し2年が経ちました。 1年目は、自己嫌悪と自責の念にかられ、2年目は自分の好きなことをはじめようやく離婚した自分を受け入れることができるようになりそして歩き始めることができたところです。 この2年間は、自分について、これからの人生について考える良いきっかけにはなりました。 そんな中、自分は死ぬときにまあまあ幸せだったなと思える人生にしたい。 離婚する時は、一人で生きていく覚悟で決断したのですが、いざ一人になりこのまま本当に一人で生きていて幸せだと思えるのかという不安がでてきました。 私が考えるまあまあ幸せだったと思える人生とは、生きた軌跡をしっかり残せたときなのかなと今は思っています。 一人で生きて幸せだったと思える人生にするには、国民に影響を与えるほどの大きな実績を残せる人になれればそうなれるような気がしますが、私にはそんな力量はありません。 そう考えたときに、私にとって子供をしっかり育てあげることが一番の幸せにつながるのかなと思います。 その次の幸せは、子供がいなくても一回目は築けなかった、次なるパートナーとお互い切磋琢磨して生きることだと考えています。 そんなことを考えていると、バツイチの私が再婚を望んでもいいのか、それを口にしてもいいのか、自分から好きになっても良いのか、そもそも再婚できるのかと元気になりかけていた気持ちがまた沈んでいきます。 それでも、前に進まないととは思うのですが‥ まだ離婚した自分を受け入れ、許してあげられていないのでしょうか? 自分でも分かりません。 人生が終着するとき、幸せだったと思えるようするにはどういう心持でいれば良いのでしょうか?

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