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嫉妬する気持ちを消したい。軽くしたい。

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はじめて質問します。
仏法を何度も聞いていけば、自己を見つめていけば、嫉妬をする気持ちは小さくなるのでしょうか?

嫉妬をするのが人間だし、そんまんまでいいんじゃない?と言われてしまいそうな気もしますが、

私は普段、あまり嫉妬はしない方だと思っているのですが、

どうしても、自分と同じような土俵で活躍している人を見ると、
「私の方が力はあるのに!チャンスが巡ってこないだけだ。」
なんて、嫉妬心がムクムクと湧いてきてしまいます。

自分はそういう気持ちを持ちたくないと思っているので、そういう嫉妬心が湧いてくると、そのこと自体に苦しくなってしまいます。

気にしない気にしない。阿弥陀さまはいつでも私の見方。

と呟いてはみるものの、

あまり効果を感じられません。

徳を積まれたお坊さまは、嫉妬なんてほとんど感じないのですか?

どうすれば、感じないですみますか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手の現状を“わたくし視”しなければ良いのです

あなたにとっては他人の成功が煌びやかに映るかもしれませんが、相手もあなたと同じく、平等に与えられた24時間を使っているだけです。
ただし、その時間の使い方があなたより上手なのかもしれませんね。
ですが、いくら人の成功を羨んでもそれはあなたではありません。

嫉妬とは、無意識に相手を“わたくし化”することで起こるうらやみの感情です。
嫉妬で苦しんでおられた時の心境をよーく思い出してみてください。
相手はあなたとは独立した存在であるにも関わらず、あなたは相手を、
・我がことのようにしていた。
・わたくしごとにされておられた。
・マイルールに当てはめようとしていた。
・自分ワールドのものの見方でみていた。
・自分の期待、もくろみ設定に外れたことが許せない。

それは、現実のそのままの相手をみていない状態なのです。
あたかも元々まっさらなパンにジャムやバターを塗りたくって、そのもの自体を味わおうとしていない姿なのです。
相手はもともとまっさらな食パンのようなもの。そこには何の味もついていません。
あなたは自分の味に変えて、“まげて”ものを見てしまっている。
無意識で思いのフィルター越しに相手を脚色していることが冷静に理解されれば嫉妬は自ずと消えましょう。

相手はただ自分のペースで、自分を使って自分をやっているだけ。
あなたもあなたのペースで、自分を使って他人にヤキモチ焼いてるだけ。
それでは時間が勿体無いですね。σ(^_^;)
あなたは今立っている土俵が本当に現実の土俵であるかどうかを見極める時です。
嫉妬はどこまで行っても虚妄のイメージ上の相手を敵対視した独り相撲でしかありません。
独り相撲であることに気がつけた時こそ、はじめて仏法を“聴けた”事になるのです。
あなたが本当に対すべき相手が、今日の、ここ、目の前の現実の土俵で、さっきから「コッチ、コッチ」と手招いてますよ。σ(^_^;)インナー土俵から降りてきてください。

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いっそ自己研鑽の原動力に

ほとんどの人は自分の嫉妬を嫉妬とは認めたくないものでしょうから、それをしっかりと認めてらっしゃることは素晴らしいですね。気にしない気にしないと阿弥陀様に、、、とありましたが、敬服いたします。

私は大した徳を積んでませんので、あまり参考にならないかもしれませんが、本当に徳を積まれている方ほど「いやいや、自分はまだまだです」とお答えになります。ですから、とんとんさんも、きっと他の多くの方より嫉妬心が少ないのだろうと私は思いました。

しかし、実際にそのことで苦しんでおられるのですから、今の状況はお辛いですね。
いっそ嫉妬は嫉妬として受け入れて、嫉妬を競争心に、競争心を自己研鑽の原動力に変えていけたらいいのではないでしょうか。動機は不純でも、やがて周囲が賞賛するような、とんとんさんになっていることでしょう。その頃には苦しさも嫉妬心も今よりずっと少なくなっているはずです。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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いい嫉妬 悪い嫉妬

とんとん様へ

私はまだまだで、正直嫉妬という感情を抱くことがあります。
しかしながら、ある考え方に気づきました。

いい嫉妬と悪い嫉妬があるということ。
いい嫉妬とは、その感情により自分のエネルギーに変えて
いい方向へ努力していく。
そうやって増田様の回答にもありますが
自分の原動力に変えていくことが大切ではないのでしょうか。

ぜひ次、嫉妬という感情を抱くことがありましたら
実践していただきたいと思います。

                    合掌

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鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
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智慧(空の理解)と方便(慈悲・利他)行の実践へ向けて

とんとん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

嫉妬は煩悩の一つであり、誠にやっかいなものでございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/嫉

煩悩に関しましては、下記問いにても扱わせて頂いております。

問い「人の悩みって」
http://hasunoha.jp/questions/82

問い「世の中で一番醜い事は」
http://hasunoha.jp/questions/66

煩悩を出てこなくするためには、その根本的な原因としてある無明(根本的な無知)を何とかして、真理に明るい状態へと持っていくことが必要となります。

この無明を退治していくには、智慧(空の理解)と方便(慈悲・利他)行の実践が求められるものとなります。

もちろん、仏教の初学者において、いきなり智慧だ、方便だと言われてもなかなか理解が難しいかとも存じます。

そのため、まずは簡単にでも「無常」、あらゆるモノ・コトは移ろい変化していくものであるということの観察として、「嫉妬」している自分、またその対象の者についても、永久永遠に変わらない何かがあり得るのかどうか、寝ても覚めても永久永遠に「嫉妬」している自分の状態ということがあり得るのかどうか、永久永遠にその対象の者についても変わらずにそのままの者、状況としてあり得るのかどうか、例えば、100年後においても嫉妬する側と嫉妬される側として変わらずにその状態があり得るのかどうか・・など少しずつでも「無常」や「無我」と言った仏教の真理について考えて理解されていくことと併せて、善い行いとしてある「十善戒」(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)を意識して守るように心掛けて日常を過ごしていくことから始められてはどうであろうかと存じております。

http://ja.wikipedia.org/wiki/十善戒

更にできれば、積極的な善徳行として、ボランティアや奉仕・慈善活動といったものに取り組むことも大切なことになってくるかと存じております。

やがて、他の様々な者たちの幸せを平等に思っていく心が滋養できていければ、きっと嫉妬は起こらなくなっていくのではないかと存じております。拙生もまだまだであります。共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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