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輪廻転生六道と浄土

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有り難し有り難し 22

大切な方が亡くなりました。
これは宗派によって考え方も違うと思いますが、禅宗の和尚さんにお参りをしてもらいました。
四十九日を終えて、六道に生まれ変わったと言ってみえました。
六道に生まれ変わった、六道の中には人間界もあって、どこかに生まれ変わっているのでしょうか?
空から見守ってもらっている?と思っていたら違うのでしょうか?
お盆や何回忌に追善供養をするというのは、地獄にいる前提なのでしょうか?人間界に生まれ変わっていたら、人間界に生まれ変わった誰かに追善のお経がとどいている。ということでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

表現は多様です。

六道は、十界の中の、地獄(界)、餓鬼(界)、畜生(界)、修羅(界)、人間(界)、天上(界)のことを言うので、果たして亡くなったら個々の世界へ行くという表現が合っているのかは分かりませんが、よく死んだ地獄へ行くと言います。
でも本当にそうなのかは、生前中の行い考え方の結果として、それぞれの世界へ自ら行くということも間違いではないと思います。

しかし、本当は死んでからではなく、今、こうして生きている間にも、それぞれの世界を体験しているということです。それぞれの世界は、どのような心なのかと言えば、地獄は怒り、餓鬼は貪り、畜生は怠惰、修羅は闘争、人間は平静、天上は喜びとなり、常に私たちは出来事に対して反応しています。

心もそうですが、実際に肉体的にも病気などで苦しい時や、空腹で辛い時、また、邪な男女の関係など、戦争もそうでしょう。でも美味しいものを食べた時の喜び、満足なども心身共に体験しているとなります。

さらには、十界の残りの4つは、声聞(界)、縁覚(界)、菩薩(界)、佛(界)となり、向上心や、慈しみの心、愛情なども経験しています。人を無条件で助けるなど、菩薩そのものであります。ゆえに死んでからではないとなります。

今、こうして世の中をみれば、私たちはそれぞれの世界を瞬間瞬間に体験している最中となり、そのまま死んだ後の世界を言うのではあれば、その延長線上にあるのでしょう。

死後の世界については、これだ!と解明されていませんから、単純な表現であれば六道のいづれかにとなると思いますが、本当のところは分かりません。もう少し複雑なのか、もっとシンプルなのかさえも分からないです。
でも、古来から多くの書物やお話は伝わっていますので、あとはどのように表現するのかの問題だと思います。

あくまで宗派の考え方や個人的な考え方は個々に違います。どれを選択するのも自由なので、あとは自分が納得するかどうかで、生き方も変わるというのが教えなのでしょう。

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おきもち

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仏教史の流れと民俗文化の中に答えがある、と思います

 曹洞宗の吉田俊英と申します。大切な方を亡くされ、お悲しみのことと存じます。まず仏教の来世観についてザックリとした説明をさせていただきます。

 お釈迦様は弟子たちには死後のことよりも、目の前にある問題にしっかり対処し、しっかりと修行して今をどう生きるべきか考えなさいと説きました。(毒箭の喩え)ですから、出家者は死後のことを説かれませんでした。しかし、一般の信者には「布施をしなさい。功徳を積みなさい。そして、五戒を守りなさい。そうすれば死後天界に生まれるよ。」と説きました。こういう信者への説法のことを世論戒論生天論と言います。お釈迦様の当時のインドの一般的な来世観(善業の者は天界か人間界に生まれ、悪業の者は悪道に墜ちる。)に則って教えを説いています。この来世観を後に三界五趣とか三界六道と体系づけました。

 こういう立場から見れば、葬儀を勤めたお坊さんが戒名を付けないで俗名だけの葬儀を行った場合なら、「六道に生まれ変わった」という説明は正しいと思います。

 私も禅宗系の僧侶ですが、ちょっと違う説明になります。葬儀で戒名を故人に授与します。葬儀で授戒という儀式を行います。故人に仏戒を授け、故人を仏弟子とし、仏弟子として名前を授与します。これが戒名です。授戒して仏弟子となった故人は、来世に旅立ちます。読経では「一路涅槃の径に入る」と唱えています。「涅槃の径」とは迷いを離れた世界のことです。仏様の世界のことです。仏国土とか極楽と呼ばれる世界です。
「草葉の陰に眠り、草葉の陰から来世に旅立つ」https://hasunoha.jp/questions/7220
其の「禅宗系のお坊さん」が葬儀で授戒を行い戒名を付けた場合、説明としては間違っている可能性があります。

 私の立場から申し上げますと、葬儀で授戒を受け戒名をいただき仏弟子となった方は地獄には行きません。仏弟子として仏国土に居ます。年回供養・追善供養は「仏弟子として精進することを祈り、後押し・応援するために勤める法要である」と私は理解し檀家さんに説明しております。

 尚、お盆については、仏教tasteの民俗行事と理解された方がわかりやすいと思います。下記の回答をご参照ください。
「亡き人々の幸せを願い、今生きてることに感謝する」
https://hasunoha.jp/questions/44431

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有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

吉田和尚様、ご回答ありがとうございました。お葬式では戒名をいただきました。葬儀をしてくれた和尚さんも仏さんの弟子となって。と仰っていたので、仏国土という遥かな仏様のところで安らかにいてくれると考えれば、見守ってくれている。という私の思いも叶うような気がします。

鈴木和尚様、ご回答ありがとうございます。私たちは今がそれぞれの体験をしている。宗派によって個人によって考え方は違うので私がどれを選択するかによってどう生きていくかというお答えに、吉田和尚様の示してくださったお話を信じたいと思いました。

「浄土真宗」問答一覧

救われない予感がします

浄土真宗に救いを求めた者です。しかし、考えてみると僕は阿弥陀如来様の救いを享受する資格がないのではないかと思いました。 これまで何度も食べ物を無駄にして、嘘をついて暴言を吐き 謗法罪や五逆罪に当たる様なことまで考えていました 過去に「家は浄土真宗だから、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるよ」 という言葉を聞いておきながら、前述の蛮行を辞めず、インターネットでは誹謗中傷や違法ダウンロード/アップロードをしてしまいした これらのことをしておいて、僕は反省することも信じることもできず、聴くべき聴聞も説法もまともに聴けません 今日でも、極楽浄土はどれ程美しい世界なのか、僕の様な罪深い人間でも、救ってくださるのかと考えておきながら 時間泥棒に邪見、嘘などの罪を犯してしまいました 今後も邪見や、食べ物を無駄にする行為を繰り返してしまったり、都合よくクリスマスや阿弥陀如来様の恩恵を受けようとしてしまうと思います。もはや救われることなどあり得ない気がします 過去にも僕の様に、阿弥陀如来様の救いを得られる身でありながら、悪事をおこなった者が破門にされたと知りました 前述の通り、僕は心から反省することも信じることもできません 阿弥陀如来様を疑い軽んじ、これを書いている間も書いた後も、何度も動画サイトに移動するほど真剣さがありません。先程も破れば地獄に堕ちる法のことを、軽んじる様なことを言ってしまいました。僕はやはり無間地獄に堕ちるしかないのでしょうか

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亡くなった父が救われて欲しいです

10日ほど前に父親が亡くなりました。葬儀は浄土真宗のお坊さんにお願いしました。実家には高齢の母親が1人で住んでいるため、1人でいるときに火を使うのは危ないと思い、お線香をあげないようにお願いしてしまいました。しかし、四十九日まではお線香を絶やさないように、といったものを見るとほんとうにそれでよかったのか悩んでいます。お茶や、ご飯、生前好きだったお酒などお供えして手を合わせることでも大丈夫でしょうか。またそれらを母が毎日しなくても大丈夫でしょうか。 ろうそくも危ないので、蝋燭灯を買い求めつけてくれています。 離れて暮らしている私も手を合わせることで供養になりますか。その時お念仏を唱えるのか、父に話しかけたらよいのか、どのようにしたらよいでしょうか。 父親は、生前お念仏を唱えたり、信仰があったわけではありませんが、それでも救われますでしょうか。お酒好きでわがままなところもあり、怒りやすく人に迷惑もかけたこともあったと思いますが、優しく愛情もある人だったと思います。 間違った行いをしたこともあると思いますが、それを反省したのかはわかりません。 父がどこにいくのか確かめようがありませんが、救われて欲しいと願っています。 質問が複数になってしまいすみません。どうぞよろしくお願い致します。

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浄土真宗のお念珠を教えて頂きたいです。

私は真言宗のお坊さんを目指している中学生です。 将来おばあちゃんが亡くなった際、おばあちゃんは浄土真宗(代々の)で供養し、 私と母は真言宗に改宗して、おばあちゃんのお墓は墓じまいする。と決めました。 (おばあちゃんと母は苗字が違います) お寺とのお付き合いもないので、おばあちゃんの葬式は新しいお寺さんになるかと想像しています。 しかし浄土真宗は浄土真宗です。私達が真言宗でもお墓参りと法事にはしっかり浄土真宗で臨みたいね。と母と話しました。 そして私は来年高野山の高校(通信)に行きます。急に仏教学校に入りたいとお願いし、認めてくれて応援してくれた。今まで育ててくれたお礼に、仏教好きな私なりに、お念珠をプレゼントしたいと考えています。 その際、今後使える真言宗の念珠+ おばあちゃんの供養や墓じまい後のお参りの時に使える浄土真宗の念珠をプレゼント予定なのですが、 Amazonで見ていて、いいのは見つけましたが2連の念珠が多いように感じます。 しかし浄土真宗本願寺派や真宗大谷派は公式には略式念珠、単念珠を紹介しています。 しかし葬儀サイトにはみな女性用は2連なんです。 そこでお聞きしたいのは、お坊さん的に浄土真宗の女性用のお念珠は2連なのか単念珠なのか、どちらをおすすめだとお考えでしょうか。 西本願寺、東本願寺共にサイトで2連は蓮如結び、単念珠なら松房と書いていたので、そのものを購入予定です。

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厭離穢土欣求浄土の意味

「厭離穢土欣求浄土」の意味について、今年の大河ドラマをはじめ昨今の小説やドラマでは「この世を浄土のような平和な世にする」というスローガンだと説明されていることが多いですが、浄土宗は唯心の浄土ではなく指方立相の浄土を説くはずで、凡夫に浄土は築けないと教えているはずですから、この解釈は浄土宗の教義に矛盾していないでしょうか。元来の意味が厭世的過ぎて現代人に受け入れにくいので無理矢理こじつけたように思えます。これはむしろ即身成仏を説く真言宗や娑婆即寂光土を説く日蓮宗の考えに近い解釈ではないでしょうか。 凡夫に浄土が作れるのなら弥陀も念仏も要らないことになってしまいます。 ただ、「浄土宗は死を待つだけの教えではないのか? 法然上人の時代のように道を歩けば死体がゴロゴロ、いつ自分もその仲間入りするかしれない世ならともかく、現代ではそんなに今生きているこの現世を否定しなくてもいいんじゃないか?」というこの胸に芽生えた疑問への答えとしては厭離穢土欣求浄土の現代風解釈は便利なので、指方立相の浄土とは矛盾すると知りながら都合よく取り入れてみるのも悪くないかなとも思っています(真剣勝負と八百長との狭間をウロウロするプロレスファンなので、こういう曖昧な考え方は得意なのです)。 できれば浄土宗のお坊様のみならず、他宗のお坊様のご意見も聞きたいです。

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