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因果応報の始末のつけ方。

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自分の今の状況は因果応報によるものだと聞きます。
ならば、今苦しい状態は自己責任ということですよね。
この苦しい状態を招いたのは自分なら、死ぬことでその始末をつけるのはいいのでしょうか。

自分の怠惰でいい加減な性格で、今の状況を招きました。
仕事を辞めるか、無理難題な仕事を続けるか。
辞めるにしても、間抜けな自分の学歴職歴では転職も難しい、このコロナ禍ではさらに厳しい状態です。
仕事を続けられる自信もありません。

自分に辟易しています。
すべて自分の責任で、こうなったのも自分の責任です。
こんな間抜けな自分を始末したい。
命ごと絶ちきって、くだらない自分の因果応報を終わらせたい。

2021年5月17日 21:24

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「仏法の世界」にお越し下さい。僧侶方 皆でお待ちしています

 御自身で結論を出していらっしゃるのですね。
 ご相談内容を拝見して、今までの経緯が筋立てて論理的に語られています。成る程それで、そのような人生の結論を出されたんですね。
 申し上げたいのは、それはあなたの、あなたなりの結論に過ぎないということです。
 私達他人がそれを否定することは出来ないかも知れませんが、でも仏様は『違う見方』をされるお方だということは申し上げます。
 結論を申せば、『結論を出さない』のが仏教的生き方なのだということです。
 大体 私達は正しい答えが導けるほどの知識も経験も持ち合わせていません。にも関わらず自己判断で「見切り」で生きているのが私の身の事実です。
 私が思うほど世間は狭く閉鎖的でなく、私が思うほど私は私自身のことを知ってはいません。
 ならば、御自身で結論出すのは時期尚早でしょう。
 どうしても結論出したいなら、その為に学びましょう…本読みましょう。経験を積みましょう…何かに真剣に取り組みましょう。
 その上で結論を出して下さい…。
 ただ、大概 人生の結論出すことは難しすぎて、人の一生では無理なんですよ。時間切れになってしまうのです。
 それほど人生は深く、広く、だからこそ面白いのです。
 釈尊は法悦(真理を悟ったよろこび)に浸られました…法の、真実のよろこびを味われたお方です。もうこれ以上のよろこびはないから、後は静かに息を引き取ろうとされたのを、梵天という神様が「どうか、お釈迦様 その尊い法を人々にお説き下さい」と願われ、そのことで仏法が釈尊の悟りだけに終わってしまうことなく、令和に生きる我等にまで届いて下さっているのです。
 あなたも法悦味わってみませんか…もちろん人生の結論出すのは、そのよろこびの後のことですよ。
 あなたを仏法の世界にお誘い致します。ハスノハ僧侶方 皆があなたの法友になります…。

2021年5月18日 10:30
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有り難し
おきもち

因果応報と業

たぬき1号さま

因果応報は、この生のみにおけるものだけではなく、はるか遠い昔からのところでもあり、業(カルマ)の問題はもっと長いスパンで見なくてはいけないものとなります。

ここで例えばこの生は終わらせたとしても、その終わらす前までの今世だけでなく過去世における全ての業の状態により、次の生、来世が決まっていくことになります。

その業の状態によっては、また同じように苦しむ、あるいはもっと苦しんでしまうこともあり得るところとなります。

また、その逆に、はるか過去世における功徳や仏縁により、今世だけのことを考えれば、悪いところへと赴いてもおかしくないけれども、天や浄土などにて善い境涯の有情に生まれることももちろんあり得ます。

仏教においては、基本的に人という有情に生まれられるというのは、かなり善い業の因果があってのことであると考えます。

過去世でそれだけ善い業、功徳、仏縁に恵まれてあったということと言えます。

ですから、せっかく人として仏道を歩める境涯であるならば、しっかりと功徳、善業に励んで、心を清らかに調えていければ、それだけ過去世からの業の状態もより善くしていくことができ、来世、来来世へ向けた結果も良いものとしていくこともできると考えるところとなります。

全く遅いことはありません。今、これからでも是非、業をより善くしていく方法である仏教を学び修していって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

2021年5月18日 10:14
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

川口さま、小林さま、ありがとうございます。
お礼が遅れてしまい、申し訳ありません。
生半可な知識での「因果応報」を多用した下らない質問…改めて見返して、お恥ずかしい限りです。貴重なお時間をこのような質問に割いていただき、ありがとうございました。
結論を急ぐのはひとまずやめ、今の人間としての境遇をむげにすることも一旦やめようと思います。
ただ、仏教を本格的に学ぶのはだいぶ後になりそうです。

結局、無理難題な仕事……まったく異業種といっていい部署への異動を受け入れました。
今その部署での仕事をなんとか覚えているところです。
案の定散々言われています…「高い給料もらってるのに」「他の店ではバイトのする仕事」「えらいえらい~(笑)誉めたらのびるんでしょ~」。しかし、自分の招いたことですし、結論を急ぐのもも今世を無駄にするのもやめましたから、つらくてもなんとか飲み込めています。
一度糸が切れたのか涙が出たりもしましたが、思えば滑稽ですね。自分で招いたことなのに(笑)
ひとまず、現実問題としても、仕事を覚えないと職場にも迷惑がかかるので、今はそちらに専念して、
それが身に付いた時に、改めて仏教を学んでいこうと思います。

「因果応報」問答一覧

過去の過ちと因果応報への恐れ

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。 一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。 私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。 また、あろうことか ・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった ・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている 以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。 今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。 また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。 そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。 忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。 最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。 また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。 今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。 本題です。 罪を帳消しにしたいとは言いません。 いつか罰は下るだろうと常に考えています。 ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。 こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。 ※内容をかなりぼかしていてすみません。 この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。 また、会社での立場は確実に無くなります。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ