孤独感を無くすためにどうしたらよいですか
30代未婚です。
親とは離れて暮らしています。車で五時間くらいの距離のため、
盆、正月に帰るくらいです。
関係は良好で、一人でいる私を心配しながらも、
温かく?見守ってくれています。
身近に友達もいますが、結婚してそれぞれの家庭をもっているため、
相手をしてほしい、一人で居たくないときに、わがままを言える状態ではありません。
最近、孤独感が半端なく押し寄せてきます。
自分が一人ぼっちのように感じて、誰かと話したいと思うんですが、
つい家に引きこもりがちになっており、
満たされない心とどう付き合えばよいか悶々としています。
どうしたら孤独感を取り除くことができますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『無量寿経』に曰く 「独生独死 独去独来」
曹洞宗の吉田俊英と申します。冒頭から難しい経典の言葉を載せてしまいまして。すみません。まず経典に説かれる孤独感から考えてみたいと思います。
人在世間愛欲之中 (人、世間の愛欲の中にありて)
独生独死独去独来 (独り生じ独り死し、独り去り独り来りて)
當行至趣苦楽之地 (行に当たり 苦楽の地に至り趣く)
身自當之無有代者 (み 自らこれをうけるに 代わる者あることなし)
これは無量寿経という経典に有る言葉です。私の宗派ではこの経を読むことはまずありませんが、或る時本を読んでこの言葉に出会い、かなり強烈なインパクトを受けました。かなり厳しい言葉ではありますが真理を衝いているなあと思います。
愛する伴侶、愛する家族が居ても、生まれる時から死ぬまで一緒ということは不可能です。信頼しお互いに認め合っている友人が居たとしても、「常に一緒、生涯一緒」という訳には参りません。家族と言えども、期間限定。友人と言えども期間限定。そう理解すべきだと思います。
心が満たされたとしても、満たされた状態が永遠に続くものではありません。「満たされない心とどうつきあえばよいか」と悩まれているようですが、むしろそれが普通だと思います。誰もが抱えている悩みだと思います。決してあなただけが悩んでいる訳ではありません。
こういうことを道理として理解することは出来ると思います。しかし、「団欒を共に過ごす家族」「喜怒哀楽を共に分かち合える友人」が居ないわけではないが、側に居て欲しい時に側に居ないというのは、寂しいものだと思います。現実的な対応としては、あなた自身が行動を起こすことです。「家に引きこもりがちになって」いる自分から脱却しましょう。
酒好きな方なら居酒屋の常連となり、他のなじみ客とノミニケーション。歌が好きなら、「カラオケサークル」に入る。健康志向なら、トレーニングジムに入会。体育系が苦手なら、カルチャーセンターで、茶道、華道、書道、俳句、短歌、詩吟、料理等を習いながら、仲間を見つける。お寺だって、坐禅会や御詠歌をやっているところもありますよ。
今を共に過ごし、今を語り合う。人生の出会いは常に期間限定。ますはアクション。
独りでも、それは❝孤独❞ではなく自己に親しむべき時間
最近では類友(ルイトモ)という言葉がきかれるようになっていますね。
わたしはギターを弾きますので、フェイスブックでギターのサークルに加入しています。ですが、まぁ、実際にお会いしたことのない方ばかりですので、それほど親しくはなりません。
(^<^)
自分では禅のサークルも開いていますが、理解者は乏しいものです。
ちなみに私は周りの坊さんとはあまり溶け込むタイプではなく浮いたキャラであると自分では自覚しております。友達はそれほどいません。それでいいと思っています。
人付き合いを深めた時期もありましたが、心底理解し合える関係というのはたぐいまれなものです。
独りを親しめる、一人で過ごしているという事は肯定的に捉えるべきです。
物事に親しむにしても、一人の方が親しめるものです。
あなたがこれより課題、問題にするべきことを一つご提案いたします。
それは、孤独な時に「一人の状態を❝嫌う自分がいること❞に気づくこと」です。
一人でいる時は、一人でいるということは確実な真実です。
他の人といる時のことと比較をしてしまっていませんか。
その状況を厭わず、そのままにしてみてください。
状況を変えようとしない。変化を求めない。
それが親しむということです。
親しむという事は、孤独ではありません。
自分自身と親しんでいるということです。今のあなたは一人でいる時に、せっかく一人でいるにもかかわらず、他の状況を求めてしまって、本当にゆっくり自分自身に親しんでいない状況であると思われます。
これらの点を踏まえたうえで、今日から仮に一人で過ごして、寂しいと思うことが会った時は、自分に親しむ、という事をやってみてください。
特別な変化を求めず、強がらず、理想を描かずにお過ごしください。
「孤独感」への対処法
かじ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「孤独感」への対処法・・
もしも、その孤独感が理由のないものであるならば、是非、下記の内容をお試し下さいませ。
理由がない「さみしい」「悲しい」への対応法7つ
http://matome.naver.jp/odai/2134053824108123701
「上を向く、光を浴びる、意味なく笑う、ポジティブな言葉を独り言で言い続ける、楽しかったころの音楽を聴く、楽しかった頃の匂いをかぐ、身体をちょっと強めに動かす、寝る」
もしも、理由がある孤独感であるならば、その理由、原因を何とかすることで解決が可能になるのではないかと存じます。
とにかくこの世は、無数の因・縁によって成り立っている世界でございます。仏教では「縁起」と申しますが、私たちは、何かに依存して、頼り、支えとなっているものがないと生きていけない存在でございます。ですので、本来的に絶対孤独ということでは存在できないものでもあります。
例えば、ふと今、かじ様が食べようとしてるオニギリがあったとすれば、そのオニギリに関わった多くの支えが、口に入れるまでにあったからこそ、空腹を満たす、命をつなぐ食べ物として食べることができるのであります。自然の恵、お米を作る人、具材を採る人、加工する人、運ぶ人、販売する人・・と多くの関わりを想起させることができます。このように、どの何気ない一つをとっても、独立自存にて成り立っているものなどありえないのが、事実この世界でございます。人の繋がりもそうですが、もっと広くにそういった無数の「縁」の繋がりを思うことができれば、「孤独感」というのも無くすことができるのではないかとは存じております。
そこで、自ら自身の存在への支えや助けとなっている無数の者たちへの感謝報恩を思うことにより、また自分も何かで支えとなり、助けることもできるようにと調えていくことが大切なことになるのではないかと存じます。
何事も「縁」次第であり、より善い縁へと向けた努力がより善い結果へと向けても必要なことになります。
とにかく、この度は、「縁」について考えて頂くきっかけとなりましたら幸いでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
すーっと心が軽くなりました。
離れてはいても想ってくれる人々がいるにも関わらず、
どうしてこんなに孤独なのか、もしかすると
その人たちを失うことをわかっていて不安なのかもしれません。
でもその事を怖がってうちに籠っていても、
仕方ないですね。
自分で外に出ていこうと思います。
ありがとうございました。