お釈迦様もお大師様もダライ・ラマ法王も、輪廻転生つまり生まれ変わりを説いておられ、死んでも「無」にはなりません。ダライ・ラマ法王です。「死とは古い衣服を着替えるようなものである。肉体が滅びた後...
当山では人生相談を行っておりますが、真剣に悩む方を相手にしての〈世間話〉はしません。未熟な行者としては、皆さんの人生に関わる問題について、み仏と一体になる法を結ばずに対応することはできないから...
供養する心が起こった時は、〈見捨ててはおけない〉という霊性の核が動いています。
むしろ、向こう側から発信されているものに純粋な心が感応していると言った方が正確かも知れません。
それは尊...
原因と結果の糸をすべて結びきれない私たちは、「どうして?」という疑問にとりつかれ、周囲の誰かのせいにしたり、あるいは自分のせいにしたりと、苦しむ場合があります。そして、答の出ない疑問と後悔の念...
私たちは、願っている方向へ進むのに役立つ材料が順調に集まってくると「運気がよい」と感じます。
草取りに突然、助っ人が登場するといったケースです。
また、思いもよらなかったよいできごとが...
「~と思う」という状態と、「~と思わなきゃ」と自分に言い聞かせている状態はまったく違います。前者には開放感が伴い、後者には圧迫感が伴っています。例を挙げましょう。A:「自分はこの仕事に向いている...
家庭とは多かれ少なかれ、そんなものです。
生まれも育ちも、箸の握り方も頭の下げ方も違う大人同士が〈心からうち解け合って一緒に住む〉などということは、テレビドラマならいざ知らず、例外的である...
上司は何のために怒っているのでしょう。チームとして仕事を円滑に進めるため?あなたに対する口に出せない不満があるため?自分のうっぷん晴らしをあなたへぶつけやすいため?あなたは「叱る」ではなく、「怒...
マントラとは真実の言葉であり、み仏の世界へ真っ直ぐに入るための聖なる言葉です。人間のいのちと心のはたらきは身体と言葉と心を通じて表れ、三つが煩悩と無智に穢れていれば悪しき結果を招くく三業(サンゴ...
まず、心よりお詫び申しあげます。
1 亡き方を供養し、慰霊しないではいられないまごころに気づく
人は太古の昔から、死と死人と御霊とを畏怖してきました。そもそも「畏」は霊的な力の前でかしこ...
般若心経は「是(コ)の諸法は空相(クウソウ)にして不生不滅、不垢不浄、不増不減なり」と説いています。
貴方様の疑問はもっともですが、そもそも、ここで言う「諸法」とは、私たちが日常生活で見聞きす...
現在の彼は袈裟衣をまとう資格のない最低の僧侶です。彼の将来を思ってあげるのならこう言いましょう。
「貴方はそれでも僧侶ですか?」
ちなみに、江戸時代を代表する慈雲尊者(ジウンソンジャ)と...
私たちは不完全な生きものです。常に自分の耳目を用いて掴む限られた情報の中から、自分の能力や好き嫌いなどによって取捨選択したものを用いて判断し行動しているので、後から〈過ち〉と判断せざるを得ないよ...
貴方様が求めておられる「お守のような言葉」をマントラ(真言…真理・真実の言葉)と言います。
有名な般若心経は、最後にある「ぎゃてい、ぎゃてい~」というマントラの功徳(クドク)を説いたお経です。...
お焚きあげを希望される方々は、さまざまな願いを込めて人形や仏像などを送って来られます。その中には、「故人へ贈りものを届けたい」という願いのこもったものもあります。
では、いったい、どうやっ...
心は刻々と変化して止まりません。相手の心も、自分の心も。自分が一瞬後に何を考えているのかが予測できないのだから、相手の心がどう動くかはより、わかりようがありません。だから、〈あてにできない〉ので...
追いつめられ、藁にも縋る思いになる時、拝むという行為が現れます。たとえば突然、不治の病に罹っていると宣告され、いのちが惜しいというよりも、どうしてもやらねばならないことが頭に浮かんでくるならば...
貴方様の悩みは「知っているとおりにできない」あるいは「こうありたいと思うとおりの自分になれない」と言い表せそうですね。これは貴方様お一人の悩みではなく、まじめに人生を考える人に共通の悩みです。な...
まったく問題ありません。そもそも仏教は、普遍的道理への目覚めをもって、私たちが自縄自縛に陥っているところからの解放をめざすものであり、一部の宗派や人間のつごうによる束縛には妥当性がありません。生...
水子供養やペット供養などでよくお唱えし、「すごいですね」「とてもわかりやすい」「目から鱗が落ちる感じでした」と言われているのが『地蔵菩薩讃歎(サンタン)経』です。
その一部を転載します。
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