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現世利益とは何ぞや?仏教、信仰のマコトとは?

回答数回答 3
有り難し有り難し 20

いつもお世話になっております。
護摩は祈祷でも呪力でもなく、仏への供養であるとのご回答、大変勉強になりました。
私は生意気ながら、昨今の「信仰」について、地味に疑問を感じています。
✳︎
お寺の願い札や絵馬を見ると、
「あいつに天罰を!」「高収入!」「背後霊消して!」など、なんだかちょっと違うんじゃ?と言いたくなるような内容の物を多々目にします。
自分の願い事を叶えたいが為に他のご信徒様のお気持ちを蹂躙するような行動を取る方、ご迷惑を考えない方も見かけることがあります。
✳︎
私の考えとしては…
願い事、成就したい物事は神仏ではなく、自分の力量や努力、その他外的要因に左右される。
また仏とは、素直に甘えさせてくださる存在、
遠く、堅苦しいように見えて実はとても身近で優しい、信じる人たちみんなの親のような存在…
荼枳尼天さんも、歓喜天さんも、供養法や何かを間違っても祟ったりなんかしない……
なんじゃないかというのが正直な意見です。
✳︎
なんだか、ああいう自分自分!した願い事、神頼み的な物を見ると悲しくなります…。
この人たちは、本当に信心があるのかと。
先生方は、どう思われますか?
お答えをいただけたら嬉しいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当の意味での「現世利益」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

本当の意味での「現世利益」とは、仏教によって、迷い苦しみが無くなることにより、平穏無事に現世を過ごしていけることにならなければいけないところでありますが、残念ながら、現状では、俗世における煩悩的欲求を満たすということになってしまっております。

そこのところを、もっとお寺、僧侶が、皆さんに分かるように改めて説明していかなければならないと存じております。

また、護摩・呪法には、大きく「息災・増益・敬愛・調伏」の四つの意味合いがあります(更に、鈎召・延命を加えることも)が、これらは、あくまでも悟りへと向けた補助的・補完的なものとして修するのであり、当然に煩悩的欲求を満たすものではないということになります。ここも、「現世利益」と共に誤解のあるところで、やはり改めて説明していかなければならないと存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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しぐせいがん

あなたの思いは尊いものです。どうぞその思いは大切にして、
これからの人生に活かして行って頂きたいと願います。

わたしは、信心というものはだれにもあるものと存じます。

しかし、あなたのいうように、「天罰を」や「背後霊を・・・」
などというものは願いではなく「自分の都合」というものです。

自分の都合ですから、それが叶わなければ苦しみが続き、
叶ったとしても次の自分の都合を叶える為にまた苦しむのです。

こんなものは願いでもなんでもありません。

お釈迦様の短いお経に、「願い」についてのものがあります。

人々の苦しみは尽きないが、それが尽きるように救って行きたい
苦しみのもととなる自分の都合というものを見つめ、断って行きたい
幸いに、そのための教えは沢山あるから、学んでいきたい。
そしてだれもが幸せになれるように、教えを学び護ってわたしもまた
幸せの道を歩んでいきたい。

多少、意味に関しては宗派などによっても違いますが、「四弘誓願」
というものでどの宗派でも読まれるお経だと思います。

これはどれも途中で叶うものではありません。
継続していくなかにこそ苦しみを離れ幸せを見つけることを
示していると思っています。

故に信心というものは、「かなう」ことを願うものではないと
おもうのです。その過程を大事に、日々を歩む。その心こそが
「信心」なのだと思います。

それを自分自身で確かめるものとして「絵馬」などが
あるものでしょう。

自分の都合に縛られる人も、いつか必ずそれに気づく日がある。
そう信じて、今は自身の道を歩むのが、わたしの思う「信心の道」
と心得るものです。さちあれ。さちあれ。

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有り難し
おきもち

おっしゃる通りだと思います。

一方で、そういうのが信仰の「入り口」になったらいいな、と思います。(他の人の邪魔はよくないですけどね)
だって最初っから「仏教の本質とは」なんてやってたら、とっつきにくいですものね。入り口が広いのも仏教の魅力と思います。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

【光禪 先生】
ご回答ありがとうございます。
共感して頂けて嬉しいです!\(^o^)/
ちなみに私は…不動尊信仰が入り口になって浄土宗に行き着きました(笑)

✳︎
【星 大晃 先生】
ご回答ありがとうございます。
私の思いは尊いんですか…(;▽;)
かく言う私も昔、「どうして私ばっかり!家でも学校でもイヤな思いして!!仏さんも神様も助けちゃくれない!」とか言って八つ当たりして仏壇壊したっけなぁ…(苦笑)今はちゃんと新調して、毎日供養してます(笑)

【川口 英俊 先生】
ご回答ありがとうございます。
そうなんですよね!それで願いが叶ったら逆に恐いです。そもそもなぜ、仏教、現世利益は誤解されてしまったんだろうか…。

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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