hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

正しい教えとは (私は勘違いしてる?)

回答数回答 2
有り難し有り難し 20

よろしくお願いします。

仏教で「正しい教え」という言葉をよく目にしますが、正しい教えと正しくない教えはどう違うのでしょうか?

ある僧侶の方が新興宗教や自己啓発に批判的なコメントをされているのを見て、自分にもそれが当てはまるのかなと不安になりまして。

というのも、私は新興宗教ではないのですが、50歳を過ぎてから仏教の教えにふれて以来やたらポジティブになりまして(ポジティブなのは夫の存在があるからという事も理解しています)、仏教の教えを調べたり、実践して気付きを得られるのがとても楽しいのです。
この楽しさや気付きを私は勝手に「仏様からのご褒美」だと受け止めていたのですが、こういうのって仏教本来の教えから見て大丈夫なんでしょうか。

念持仏を開眼して頂いたお寺の護摩行にたまに参加して皆さんと一緒に読経したりご真言をお唱えするのがとても楽しいです。声を出すのでスッキリします。

良いことばかり過ぎて、ひょっとしたら私は仏教の教えを誤解しつつあるのではと不安になってきました。

※正しい教えをもっと学びたいので将来は灌頂も考えています。

2024年1月30日 14:11

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正伝の仏法には人間の都合に基づいた主義思想がない

仏教の王道は「正伝の仏法」といいます。
正伝の仏法には曹洞宗とか真言宗とか天台宗とか臨済宗とか念仏宗というラベルすらありません。思想や主義思想もありません。
人が心底ちゃんと救われる教えこそが本当の仏教です。そこには宗派根性や自分のところの宗派こそナンバーワンだなんて優遇もない。
どれほど宗派が沢山あったとしても、世界中にある医院・病院と名乗る施設と同じです。中には藪医者もいますから騙されないように慎重に受診をする必要がある。
仏教も同じなんです。我こそは正しいる仏教者ぢゃァなんていう人はかえって怪しいタヌキも多い。うちの宗派でも世間でよく知られた有名僧侶も見る人から見ればまだまだな人も多い。いわゆる有名な坊さんは知名度認知度が高いというだけでの自己実現欲求を優先したい。正伝の仏法、正法を重んじないところがある。それは私が僧侶業界で見てきた現実です。
とても良いご質問ですので、これは多くの人に考えていただきたい課題でもあります。
そもそも、お釈迦様に宗派はない。
お釈迦様は仏教を学んだ人だと誤解する人は一般の方も僧侶の方でも多いですが、
別にお釈迦様は聖書のようなものや経典のようなものを片手に仏教とかいう宗教を広めた人ではありませんよね?
現代僧侶は仏教学問を学ぶ。
釈尊は仏教学問を学んだ人ではなく、この自分自身の本当の様子、本来の様子を明らかにされた。そして、その内容を説かれた。それを正しい仏教という。
裸一貫で、仏教や真言や坐禅なんて言葉もなかった時代に、すべてを打ち捨ててこの自分自身を深く見つめられた。
色々試してみて本当の心の処し方を会得するのに6年間違った方法で修行を試行錯誤の中やり続けた。最後にやっと正しい方法が見出された。「そこ」が正しい仏教の在り処とみるべきでしょう。
どう処すれば人は自分の心を救えるか。
それは例えば調理でも同じですよね。
我々素人がある料理を作ろうとしてもプロの味になら愛。クックパッドやクラシルをみてもちゃんとその通りにやっても上手くいかない。有名店の再現レシピがあっても本当に本質を突いた正しいレシピでないと同じ味にならない。
あるいは楽譜があっても上手に弾ける人でないと再現できない。
あるいは経典があっても、真意を読み取れない人にはそこに正法、正しい仏教が記されていても、価値がわからない、真意がわからないということがあるのです。

2024年1月30日 22:14
{{count}}
有り難し
おきもち

正と邪の間にいろいろある

悟りに近づく教えが正しい教えで、遠ざかる教え?はダメダメな教え?とは言えるでしょう。
 近づく教えは、無我だと分かること、無我なんだからと思い立ってがんばって我を減らすこと、我をなくすこと≒悟り、です。
 煩悩を三種に分ける怒りと欲と無知の無知が、我(私という気持ち)です。我があるから、欲も怒りも出て、あらゆる問題が生じる、と見ています。
 無我に気づく大きなきっかけが、無常だと分かることです。すべての現象がじつは実体なく生滅の連続だということ、生滅は、因果因果因果因果因果の連続であること、を、自分に生じる感覚や心の流れを観察して知る(ヴィパッサナー観瞑想)、あるいは仏法を学んで知識レベルで納得すると、無我に気づいて、悟りへの道が始まります。
 遠ざかる教えは、欲のまま、怒りのままに、殺す、盗む、嘘をつく、などでしょう。
 悟りを基準に見るのは仏教だけの見方ですが、他の宗教や道徳などで、あるいは同じ仏教でも宗派ごとに、いろいろ異なることを言う中に、細かく見れば善悪があります。
 慈悲喜捨の四無量心は、本当は無我でやっていれば最高ですが、その時々で他者のために動けば、やはり善行為です。先祖供養なども善行為です。各宗教、宗派ごとにやり方や言い方は異なっても、「徳を積む善行為」になるものはたくさんあります。それは悟りへの間接的な力にもなります。ただし、良いこと言ったりやったりしているように見えて実は真反対のことだったりもありますので注意が必要です。
 我が諸悪の根源だと分かっていれば、心配はないと思います。

2024年1月31日 8:55
{{count}}
有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

丹下さま、
私に教えを授けて下さり、ありがとうございました。

新興含めて宗派の垣根はなく「心底、救われるか」が大事なのですね。

経典を読んで真似をしても本質を掴んでないとお釈迦様の真意が理解できない。
→未熟者の私には経典を自分勝手に解釈する危険性がありそうなので気をつけようと思います。hasunoha問答から「おすすめ 本」で検索してみます。

自分を救うノウハウ
→今は楽しい時期なので何を考えても楽しいのですが、人生は嫌な事の方が多いのでそんな時はネガティブな事ばかり考えてしまいます。私は真言宗なのでお不動さまのお力を借りる事になりますが、実は座禅にも興味がありまして近々、座禅体験に行きたいと考えていたところです。
好奇心と行動力だけは無駄にあるので、勇み足に気をつけながらお釈迦様の真意から外れないように励もうと思います。

本日はありがとうございました。

追記です

丹下さま、
過去の問答を見ていたのですが、そこで丹下さまの
「苦とは思い通りに行かないこと」「四苦八苦という苦は仏の教え、教理によって解脱できる」というお言葉を読ませて頂きました。
胸に刻もうと思います。
ありがとうございました。

慈照さま、
教えを授けて下さり、ありがとうございます。
無常を経てから無我に向かうのですね。
おそらく私の頭では考えただけでは真の理解にたどり着けないと思いますので、実際に“思うようにいかない事”を体験しながら会得しようと思います。私のこれから人生、嫌なイベントが沢山待ち受けている事はわかってますので。

追記になります。
「無我に生きる」の意味がようやく理解できました。
ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ