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大切な人の死を弔えなかったこころの傷、放置していませんか?

はじめまして、葬祭カウンセラーの Okei(おけい)です。

私は行政書士として遺言や相続、墓じまいのサポートもしており、身近な人を亡くしたばかりのかたや、余命宣告を受けたかた、遺言をつくってご自身の「死」を意識しはじめたかたとお話しする機会が多いです。

メンタルの専門家ではないので、細かな症状の対処法のことはわかりません。ただ、皆さんとの対話や自分自身の経験から、死別の悲しみのただなかにいる人の多くは心臓のあたりがフワフワするという症状を抱えていらっしゃり、孤立感や極度の不安を抱えている人の多くは、心臓にゾウリムシの毛が生えたように、ゾワゾワする症状を抱えていらっしゃるということを感じています(もちろん、違う感じかたのかたもいらっしゃいます)。

葬儀の縮小化が進み、弔いたくても弔えない人が増えている

ここ5~6年は、都市部を中心に家族葬や直葬が増え、「同僚を亡くしたけれど、お香典を持っていったら受け取れないと断られた」、「親友が亡くなったけれど、家族葬だからと呼んでもらえなかった」といった声が増え続けていました。新型コロナの流行により、葬儀を縮小化する傾向はますます強まっています。

その影響で、「亡くなったあの人が成仏できているのか不安」、「まわりで亡くなる人が多いけれど、葬儀にも呼ばれないので落ち着かない......」という声も多くなってきました。

また、日ごろの自粛生活に追い打ちをかけるような相次ぐ有名人の訃報などもあり、なんとなく気持ちが晴れない、仕事が手につかないという人も大勢いらっしゃると思います。

放置されたフワフワは、やがてゾワゾワとした孤立感へつながることも

死別のショックは、葬儀に出なかったとしても、日常生活に追われ日が過ぎてゆけば、だんだんと弱まり、いつしか忘れ去ることができます。しかし、親しかった同僚や親友、大好きだった著名人との別れを、葬儀の場面を見ることなく終えてしまうことは、見えないところにこころの傷を放置することにもなりえます。

死別のショックとともに沸き起こったフワフワ感を、儀礼の力を借りて五臓六腑へ落としむことをせずに、ただ時間の経過だけでやりすごしてしまうと、人の生き死について、あっけなさや、やり場のない虚無感が残ります。

その虚無感が知らず知らずのうちに、こころの奥底に澱(オリ)のようにこびりついていき、まったく別のちょっとした心配事が起きたときに、積もった澱と相乗して、うつ症状のような不安感や孤立感=ゾワゾワにつながってしまう可能性があるのです。

なぜなら、人は1つだけの理由でうつになったり、シニタイ気持ちになったりするのではないと言われているからです。不安が募って希死念慮にまでいたる場合は、少なくとも5つ以上の不安要素が重なっていることが多いと、自死対策に携わる僧侶から聞いたことがあります。

死別によるこころの傷は放置せず、きちんと弔いの機会を設ける必要があるのです。

より自由な弔いのかたちを

弔いにおいて特に重要なのは、読経など儀礼の力を借りることと、故人についての思い出話を誰かと共有することです。

そこで私がご提案しているのが、僧侶派遣でお坊さんを呼び、個人的に弔っていただくことです。

お棺がなくても、いまは映像葬などさまざまな準備があります。同じ思いの仲間を募って数千円ずつ出せば、読経をお願いできる金額になるでしょう。

10年くらい前だと、「故人と別の宗派で弔うのはおかしい」、「いろんな宗派の僧侶に読経されては御魂が迷ってしまう」などと言われることもあったと思います。

かし最近は、このhasunohaもそうですが、自死自殺に向き合う僧侶の会や、おてらおやつクラブ、各地の子ども食堂の連携など、宗派を超えた若いお坊さまがたの活動が盛んになり、「尊重するお経や、儀礼の方法が違うだけで、どれもお釈迦さまの教え」という認識が強まっています。

もちろん、いまでも特定の宗派への思い入れが強いご家庭では、故人が別の宗派で弔われることを嫌うでしょうが、葬儀に呼んでいただけなかった他人が、遺族に知らせることなく、自分たちのために個別にひっそりと弔うのであれば、問題ないだろうと思います。

なにより、お香典も固辞され、自分のフワフワが処理できなかったのですから、ご自身を守るため、ひそかに弔うことくらい許されると思います。

【動画】アカの他人が弔ったってイイ!



僧侶派遣を選ぶ際のポイント

僧侶派遣といってもさまざまですが、営利企業が運営するものより、僧侶が主催するものを選びましょう。業者が運営している場合は、法事の読経など定型のものに限られることが多く、読経の時間も決められている場合があります。

僧侶主催のところならば、法要以外にグリーフケアのメニューもありますし、事情をお話しすれば、たとえば「故人への思いを皆で語らうので、そのあとで読経をお願いしたい」など、ある程度は柔軟に対応してもらえると思います。

場合によっては、オンラインでの対応や、「hasunoha回答僧侶のかたにお願いしたい」ということなども、聞き入れてもらえるかもしれません。

(ここhasunohaでも事務局を通して、有り難いことばをいただいたあの回答僧侶にお願いしたいと依頼すれば仲介してくれるそうです。)

20年前の葬儀から学ぶ、弔いの意義 

弔いのツボは、儀礼  思い出の共有。家族葬・直葬が流行する以前の、ごく普通の葬儀には、そのどちらの役割も、きちんとありました。

そもそも20年前の葬儀には、参列した人の人生観を変えてしまうくらいの大きな力があったのです。

【動画】本来の葬儀には、若者の人生観を変えてしまう力があった



藤原竜也主演のドラマにもなった湊かなえの小説『リバース』の登場人物も、原作を読むと父の葬儀で教師になることを決意しています。

その小説のように、教え子の美談というドラマティックなエピソードはなかったとしても、親戚や幼なじみ、かつての職場の同僚や町の人、いろいろな関係の人が集い、それぞれに故人との思い出話をしてゆく様子をみれば、幼い子や中高生は誰しも、「死んだときこんなに人が集まって噂するんじゃ、うしろ指をさされるような生きかたはできないな」と心に刻んだはずです。

故人の思い出話を語らうことは、これからを生きていく若者たちにも、大きな影響を与えるものなのです。

コロナで不安が煽られるなか、どう生きるのか 

今、ほうぼうで不安が煽られています。でも、不安に呑まれないでほしい。いまがものすごく不安に思えるのは、戦後75年、なにごともなかったからなのかもしれません。高度経済成長期の反動もあって、この時代をひどい時代だと思い込んでいるけれど、その前の戦時中より、仕事がなかったり自由がなかったりするわけではないですよね? 

お釈迦さまがおっしゃったとおり、この世はそもそも不安だらけで、いつ天災や事故で死ぬかわからないほうが当たり前。たまたま、この前の50年くらいが経済成長で、うまくいきすぎていただけなんだと。

いつ死ぬかわからない不安だらけの世のなかで、どうものごとを見たら楽に生きられるのか、を伝えてくださったのがお釈迦さまです。お釈迦さまの言葉は2500年前の人の救いにもなったし、いまを生きる私たちにも役立ちます。

人間の苦しみの具体的な内容は変われども、質や程度のほうは、2500年たってもさして変わっていない。つまり、昔の人が乗り越えてこられたことは、いまも大丈夫かもしれないということなんです。

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勝 桂子(すぐれ・けいこ) 行政書士、葬祭カウンセラー、ファイナンシャル・プランナー。『いいお坊さん ひどいお坊さん』(ベスト新書)、『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』(啓文社書房)著者。東京観光専門学校非常勤講師。YouTube「縁起の触媒 Okei」にて仏教と葬祭に関する話題を配信中。

いいお坊さん ひどいお坊さん 勝 桂子著

これまで読んだ仏教界批判系の本の中では一番ではないでしょうか。 批判にも基本「愛」があるので嫌な感じは全く受けません。だからこそ著者はお寺のイベントにも呼ばれているのでしょう。 良書です。

書評引用:考える葬儀屋さんのブログ

行政書士としては、遺言、相続、改葬、任意後見、死後事務委任などエンディング分野の実務や、公益法人の設立・運営などに応じています。メール相談1往復目は無料。ご相談はお気軽に。

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