hasunohaは、回答者全員お坊さんのQ&Aサイトですが、お坊さんと言えば仏教ですね。
仏教はもともとインドが発祥の地であり、多くの国を経由して日本にも伝来しました。時代と地域をまたぎ、そのときどきの人々に多くの影響を与えてきたのですね。
今回は、東京にあるチベットレストラン「タシデレ」さんのご協力のもと、仏教を深く信仰しているチベットの人々の暮らしを、チベット通な専門家のブログにてお伝えしていきたいと思います。
現代日本に生きる私たちにとっても、より幸せに暮らすヒントをもらえることを願って。
チベットレストラン&カフェ タシデレ(https://tashidelek.jp/)
東京都新宿区四谷坂町12-18
関東で唯一のチベット人によるチベット料理店。店内にはチベットがテーマの本や写真、品物でいっぱい。チベットや仏教に興味のある人が、ふらっと立ち寄れる場所として、まるでチベットにいるようなお店です。
①安樂英子さん(旅を描く画家)
画家、イラストレーターとして、主にチベットの自然や文化を題材とした作品を描いています。旅先で絵日記を描くことがライフワークで、チベット文化圏3か国の旅で描いた絵日記をまとめた書籍も出版しています。
美術系の学校に通っていて、修学旅行先の京都や奈良で特別拝観の貴重な曼荼羅や仏像などを見て仏教美術の美しさに惹かれていきました。
大学を出てすぐチベットの首都・ラサ旅行に行き、自分たちとあまりに違う自然環境や習慣、仏教という存在の大きさに衝撃を受けました。
「与えられた場所で良く生きる」というシンプルな生命力のようなものを感じたのです。
②小川真利枝さん(ドキュメンタリー作家)
ドキュメンタリー作家。2007年はじめてチベットへ。2009年にチベット亡命者の町インドのダラムサラで撮影を始める。ドキュメンタリー映画『ラモツォの亡命ノート』(2017)を劇場公開。家族のその後を綴ったノンフィクション『パンと牢獄〜チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』(2020)は、第8回山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞。
「セブンイヤーズインチベット」を観て、お坊さんが山の風景に溶け込んでいる!
チベット人は、どんな時でもユーモアを忘れず笑顔があることです。耳で聞くだけだとものすごく悲惨で大変な状況なんですけど、それを笑って乗り越えている姿というのが魅力的で、その部分を大切に撮影、執筆しました。
自分が大変な状況なのに周りの人にも手を差し伸べたりだとか、動物や小さい虫にも優しかったり
雨上がりに道端で巡礼している時、道に出てきたミミズを一匹一匹よけたりするような人
肉を食べる時も本当に感謝して食べます。みんな肉は大好きですけど、感謝して美味しく食べる。そういうところが本当に魅力的だと思います。
いまは東日本大震災の津波で息子さんを亡くしたご夫婦をずっと取材しています。ちょっとチベットとつながるところがあるなと思うのは、そのご夫婦が息子さんと今も一緒に生きている感じなんです。
チベットでも魂は輪廻転生するという、肉体は無くなっても魂はずっと生きているという死生観を皆さん持っていて、重なるなぁと思う部分がありますね。
初めてチベットを旅した年、巡礼宿で、あるチベットの家族と出会って一緒にお寺とかを巡礼したんですけど、皆さんの持っているツァンパや干し肉やチーズをシェアしてくれて。チベットの人たちって何か持っていたら与えたい、シェアしたいっていう気持ちがあるのです。
何か持っていたら与えたい。迷った時に自分が得する方を選ぶより、チベットの人ならどうするかなって考えるようになりました。
チベットの人たちの考え方、行動の姿勢ってわたしにとってはすごく学ぶところがあって、根本は慈悲=「利他」ってことなんですけど、そこは自分も時々悩んだ時に考えたりします。なかなかできてないですけどね。
③渡辺一枝さん(作家)
1945年1月、ハルピン生まれ。チベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬.で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。
中学生の時に読んだチベットの新聞記事の中に、「チベット人は鳥葬をする」とあったのですね。それを読んで初めて私はチベットの文化や風習を知って、それらに強く惹かれたの。特に鳥葬について。
私はハルピン生まれなんだけど、私が生まれた半年後に父は現地招集されて、そのまま帰ってこなかった。父と同じ部隊にいた人から伝えられた父の最期を話すのを一緒に聞いたのです。湿地帯に沈んだのだろうって。その話を聞いた時に、チベット人は鳥葬をするっていうことと父の死が結びついて。ただ野垂れ死ぬんじゃなくて、鳥葬のように葬られたらよかったなぁと、たぶん中学生の私にそんなふうに響いたんじゃないかな。それでものすごくチベットに惹かれたのね。
チベットに行ってもなかなかチベットの中に入れなかった。チベット人の話を聞きたいと思っても、ガイドも現地チベット人も私の質問とそれへの答えをその通りに伝えることが政治的に難しかったりで。幹線道路から外れて小さな集落とかテントとかできる限り訪ねながら旅して、そこで初めて私はチベットの中に入れた、受け入れてもらえたって感じて、「これでやっと私、チベットのことを書ける」と思いました。
初めてチベットに行った時、ホテルの外を歩いていたら畑で種をまいているチベット人たちがいて、一緒に仕事をやらせてもらったり、お寺の門前でお参りに来たチベット人と触れ合ったりで、チベット人たちと一緒にいると、私は素のままでつくろったりせずに生まれたままの気持ちでいられると感じて。
なぜチベット人といるとこうなんだろう、チベット人ってどういう人たちなんだろうというのを知りたくてずっと通っているんです。
そういう中で、どこにいてもつくろわないで素のままで生きていくという風に私自身変わってきたと思います。何度も通う中で、チベットだけでなくどこにいてもそういう自分になることができてきたなと自分でも思います。