僻んでしまう
小学校からの友人を僻んでしまいます。
友人は将来を真剣に考え、一生懸命公務員の勉強をして希望通りに就職が叶いました。それは友人の努力の賜物です。
私は今将来が何も見えず、やりたいこともわからず、絶望しています。
友人といいつつ、それまでどこか見下していたのだと思います。
facebookで友人が友人に囲まれ楽しそうな様子を見てしまい、比較しても無駄と分かっているのですが今の自分と比較してしまい死にたくなります。本当に醜い心になってしまいました。
こんな自分から本当に抜け出したいです。
頑張らなければなのに、動くことができません。
何もできません。
助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは一人しかいない
あなたという人間は、この広い世界に、たったひとりしかいません。
浄土真宗では「無上尊」という言い方があります。
これは、「たったひとりしかいないのだから、誰もが、誰とも比較できない尊さを持っている」という意味です。
「最上」は意味が全く違います。
「最上」とは、誰かと比べて、自分が優れている、劣っていると区別し、自分自身を苦しめる考え方のことです。
とはいっても、どこまでいっても、人間は、他者と自分を比較し、優越感と劣等感で、自分自身を苦しめてしまうものなのです。
こう回答している私自身も、無上尊という言葉を書いていながら、自分を他者と比較して、劣等感に苦しんだり、優越感で他者を軽蔑したりする心から逃れることができません。
>辛い涙に暮れる日は 決して尽きないけれど
私が絶望しても 私を見捨てないものがある
私を生かすはたらきに 目覚めたときから生きられる
このかけがえのない私に いのちが今、かがやく
いのちが今、かがやく
これは、真宗大谷派のテーマソングの歌詞第三番よりです。
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/radio/detail37_05.html
あなたが絶望しても、あなたを見捨てないはたらきが必ずあります。