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仏教
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死んだら地獄に行きますか?地獄に行きたくない

死後の世界とはどのようなものか

「死んだらどうなるのか?」 この問いは、昔から多くの人が考え続けてきたものです。 宗教や文化によってさまざまな考え方がありますが、多くの教えでは「生きている間の行いが、死後の行き先を決める」とされています。これは、人が善い行いをすることを大切にするための教えとも言えるでしょう。 

死後の世界には、天国や極楽、そして地獄のような場所があるとされることが多いです。天国や極楽は安らぎに満ちた場所、地獄は苦しみのある場所として描かれています。こうした考え方は、私たちがどのように生きるべきかを考えるヒントにもなります。 また、科学的な視点や哲学的な探求の中でも、死後の世界は長年の研究対象となってきました。

このように多様な考え方に触れることで、「死」というものを少し違った視点から見つめることができるかもしれません。

人は死後どこへ行くのか?

「死んだらどこへ行くのか?」 この疑問については、宗教や哲学によってさまざまな考え方があります。 

たとえば、キリスト教では、善い行いをした人は天国へ、悪い行いをした人は地獄へ行くと考えられています。 仏教では、輪廻転生という考えがあり、「生前の行いが次の人生に影響を与える」とされています。 

このように、多くの教えでは「生前の行動が死後の行き先を決める」とされており、良い行いを積み重ねることが大切にされています。

輪廻転生と六道の世界

仏教では、死後の行き先として「六道(ろくどう)」という考え方があります。 六道とは、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道のこと。 それぞれに特徴があり、生前の行いによってどこへ行くかが決まるとされています。

人間として生きることは「修行の場」とも言われ、ここでの経験が次の生へとつながっていきます。最終的には、この輪廻の流れから抜け出し、悟りを得ることが理想とされています。

地獄以外の行き先はある?

「地獄に行きたくない…」 そう思う人も多いのではないでしょうか? 実は、仏教の考えでは、地獄だけが死後の行き先ではありません。極楽浄土という安らぎの場所もあり、そこに行くための教えも数多く残されています。

先ほど述べたように、「今生きている世界こそが修行の場である」と考えることもできます。生きている間にさまざまな経験 をし、それを学びに変えることで、よりよい生き方を見つけることができるのかもしれません。

人間と地獄の関係

「地獄に落ちるのはどんな人なのか?」 そう思うかもしれませんが、多くの宗教や文化では「生前の行いが大きく影響する」とされています。 

たとえば、他人を傷つけるような行為や、極端に自己中心的な生き方は、地獄に近づいてしまうと考えられています。 ただし、地獄は単なる「罰の場」ではなく、「学びの場」として捉えられることもあります。 過ちに気づき、反省し、より良い生き方を見つけるための機会として考えられているのです。

地獄に落ちる理由とは?

地獄に行く理由としてよく語られるのは、他人を傷つけたり、欲望に流されたりすること。 でも、それだけではなく、「自分がどのように生きたのか」「どんな気持ちで生きてきたのか」も関係していると言われています。 

仏教では「煩悩(ぼんのう)」と呼ばれる欲望や執着が、苦しみの原因になるとされています。これは「自分自身を見つめ直すことの大切さ」を教えてくれる考え方でもあります。

地獄に行かないためには?

「地獄に行きたくない」 そう思うなら、今からできることがあります。 地獄を避けるために特別なことをする必要はありません。 日々の生活の中で、他人への思いやりや、誠実な生き方を大切にすることが、結果として地獄から遠ざかることにつながります。 

仏教では、良い行いを積むことが心の安らぎにつながるとされています。 ちょっとした親切や、感謝の気持ちを大切にすることが、心を整える第一歩になるのかもしれません。

地獄はどんな場所?

仏教の教えでは、地獄にはさまざまな種類があるとされています。 それぞれの地獄には異なる苦しみがあり、生前の行いによってどの地獄へ行くのかが決まると言われています。 

たとえば、最も厳しい地獄として知られる「阿鼻地獄(あびじごく)」は、想像を絶する苦しみが待つ場所だとされています。 こうした地獄の話は「恐ろしいもの」として語られることもありますが、同時に「より良い生き方を考えるきっかけ」として捉えることもできます。

等活地獄から阿鼻地獄まで

地獄にはさまざまな種類があり、それぞれの罪の重さに応じた罰があるとされています。 

最も軽い地獄とされる等活地獄(とうかつじごく)では、罪を犯した者が同じように苦しみながら生まれ変わり、互いに傷つけ合うとされています。しかし、ここでの苦しみはまだ軽いと考えられています。

 罪を重ねると、次第により深い地獄へと進み、最終的に阿鼻地獄(あびじごく)に至ります。阿鼻地獄は、仏教において最も過酷な地獄とされ、その苦しみは果てしなく続くと言われています。そこでは耐えがたい痛みや苦しみが絶え間なく続き、抜け出すことが極めて困難だとされています。 

地獄における苦しみは、「罰」というよりも「自らの行いが生み出した結果」として考えられています。つまり、行いによって生じた業(カルマ)がその人の運命を決定し、それに応じた苦しみが与えられるのです。

地獄の階層と苦しみの内容

地獄にはいくつかの階層があり、罪の重さに応じて異なる苦しみが待っているとされています。 最もよく語られるのが「火」による苦しみです。例えば、罪人が炎に包まれながら焼かれるという描写は、多くの地獄説話に登場します。これは、「怒り」や「欲望」などの煩悩が燃え上がり、その結果として生じる苦しみを象徴しているとも言われています。 

しかし、火の苦しみだけではありません。 冷たい水に長時間晒され、凍えるような苦しみを味わう地獄 刃物で何度も切られ、絶え間ない痛みに襲われる地獄 毒を飲まされ、激しい苦痛を感じ続ける地獄 これらの苦しみは、肉体的な痛みだけでなく、精神的な苦悩も伴うとされています。 

「自らが行ったことが自分に返ってくる」という考え方が根底にあるため、ここでの苦しみは単なる罰ではなく、自己を見つめ直す機会としての意味も持っているのです。

宗教的な教えから学ぶ、地獄を避ける方法

地獄に行かないためには、どうすればいいのでしょうか? さまざまな宗教では、地獄を避けるための教えを伝えています。 仏教やキリスト教をはじめ、多くの宗教では「善悪を明確にし、善い行いを積むこと」が大切だとされています。

仏教の「八正道(はっしょうどう)」という教えでは、正しい考え方や行動を心がけることで、心の平和が得られ、苦しみから解放される道が示されています。 こうした教えは、単に「死後の世界のため」だけではなく、今をより良く生きるための指針でもあります。 善い行いを積み重ねることで、心が整い、周囲との関係も穏やかなものになっていくでしょう。 

また、宗教的な儀式や修行には、「自分を見つめ直す時間を持つ」という大切な意味もあります。 祈りや瞑想を通じて、日々の行動や心の在り方を見直すことができるのです。 信仰のある・なしに関わらず、こうした教えを学び、自分の行動を見つめ直すことは、地獄を遠ざけるだけでなく、よりよい生き方につながるかもしれません。

地獄が示す人生の選択肢

地獄の話を聞くと、「怖い」「行きたくない」と思う人も多いでしょう。 しかし、地獄の教えは「どのように生きるか」を考えるための指標でもあります。

悪い行いをすれば苦しみが待ち、善い行いをすれば安らぎが訪れる。 こうした考え方は、多くの宗教で共通しています。 仏教では、「業(ごう)」という考え方があります。 これは、「自分の行いが自分に返ってくる」というもので、良い行いをすれば良い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が生まれるとされています。 

つまり、「どんな人生を歩むかは、自分の選択次第」だということ。 地獄の教えは、「ただ怖いもの」ではなく、「自分の行いを見つめ直すきっかけ」を与えてくれるものなのです。

死後に向けて、心を整える

死後のことを考えると、不安になったり、怖くなったりするかもしれません。 でも、穏やかに最期を迎えるために、今できることがあります。

お坊さんは、「日々の暮らしの中で心を整えること」が大切だと教えてくれています。 ゆっくりと深呼吸をしながら、自分の心を見つめ直す時間を持つことで、気持ちが落ち着きます。

また、他者への感謝や思いやりを意識することも、心を穏やかにする大切な習慣です。 誰かのために小さな親切をしたり、感謝の言葉を伝えたりすることで、自分自身も心が温かくなり、安らぎを感じることができるでしょう。

こうした日々の積み重ねが、死後への準備にもつながります。 「どう生きるか」を大切にすることで、いつか訪れる最期のときも、安心して迎えられるのかもしれません。

お坊さんと地獄のQ&A

地獄の話を聞くと、「怖い」と感じることもあるかもしれません。 でも、地獄の教えは「どう生きるべきか」を考えるヒントを与えてくれるものでもあります。お坊さんは、仏教の智慧をもとに、人生の悩みに寄り添ってくれます。

私は地獄に落ちますか?

(相談)仏教の地獄についての記事を見ていたら怖くなってしまい、質問をさせていただきました。五逆罪を犯すと死後無間地獄・阿鼻叫喚地獄に堕ちるとの話を伺いました。五逆罪は父母殺しの他に「仏様を傷付ける」という条件がありました。記事によっては「仏様・父母をバカにすること」を思っただけでも地獄に堕ちると書いてあったのもありました。

お参りの際に、侵入思考で全く思っていないことを勝手に思ってしまいます。その内容とは、仏様を誹謗中傷する、バカにする内容等です。私は基本的に神様仏様を信仰しており、誹謗中傷やバカにするなどといったことは全くもって本心ではございません。

仏様は私の本心をわかってくださるのでしょうか。謝りも受け取ってくださるのでしょうか。

(お坊さんの回答)あなたも病に苦しんでおられるのですね。自分の考えや想いとは違う心が、無理に支配してくるのですね。あなたが大切にしている信仰心にまで踏み込んで傷つけてくるのですね。それはとても苦しいわね。

仏様は、ちゃんと見ていてくださり、心の奥底の声まで拾い上げてくださいますよ。病に苦しむあなたを救いたいと願ってくださっています。大丈夫ですよ。苦しむ人を見捨てたりなさらないわ。

謝らなくていいのよ。謝るよりも、仏様といつでも一緒だと、仏様のお名前をお唱えしましょうね。きっと心強いわよ。

元の問答:私は地獄に堕ちますか

自殺をしたら地獄に行くのですか?

(相談)私はよく自殺についてネットで検索をしてるのですが、自殺をすると地獄に落ちますよ!という投稿をしばしば見かけます。

自殺=自分を殺すことと同じ、つまり人を殺したも同然なので地獄へ行くというのです。それで自殺防止になるならいいのかもしれないけれど...でも病気などで自殺する人もいるじゃないですか。

私は統合失調症ですが、幻聴に耐えられずその声に従って自殺したというケースもあるみたいです。それで地獄に落ちるなんて可哀想だと思います。自殺したら地獄に落ちるのですか?

(お坊さんの回答)よく「自殺」について検索なさっているとのこと。統合失調症とのことで、その言葉を調べずにはいられないような悩みや苦しみを抱えていらっしゃるのでしょうか。もしそうだとしたら、とても辛い日々をお過ごしのことと拝察いたします。

「自殺→地獄」ということは、ネットの検索だけではなく、あちこちで言われていることです。しかしその根拠はと言うと、確かなものは一つもありません。偏見や中途半端な知識で、自分勝手に言っているだけです。

中には僧侶や宗教者でもそう口走る者がいますが、「どのお経にそう書いてあるのですか?」と尋ねれば、誰もハッキリとは答えられません。なぜなら仏教の経典には、そのようなことが書かれていないからです。

もちろん、地獄に落ちないからといって、どうぞどうぞと勧められることではありません。生きている限り、状況は変化し続けます。それが良い方向に進むことを信じて生きること、周りがそれをサポートすることが大切です。

元の問答:自殺をしたら地獄へ行くの?

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「地獄」問答一覧

無間地獄に向かって生きています。

最近仏教を学び始めた高校2年生です。勉強不足な点が多々あり、不快にさせてしまったらごめんなさい。 中学生の頃、毎日夜寝る時に、お布団の中で上を向きながら「神様、仏様、御先祖様、今日も見守って下さりありがとうございます。」などと心の中でお祈りして寝る習慣がありました。 しかし自分はお祈りさせていただいている身分でありながら、神様や仏様に対し 恐怖の感情があり、絶対にお祈りしている時に良くない考えをしてはいけないという想いが強くありました。絶対に余計な事を考えてはいけないという想い故に、反射的に心の中で心の中の仏様を傷つけてしまうことが毎日のようにありました。その度に過呼吸になりながらごめんなさいを繰り返しながら寝ていました。大変失礼ながらお祈りする習慣は半年程で辞めてしまいました。 4日前程、記事で五逆罪について知り、その中の「仏様を傷つけて血を流してはいけない」というものを知りました。その記事を見た瞬間、心の中で反射的に仏様を傷つけ血を流させてしまいました。その瞬間、お祈りの習慣とその度に仏様を傷つけてしまったことを思い出してひどい絶望感に苛まれました。 hasunohaにて私と同じことで悩んでいる方がいらっしゃらないかと思い、見させて頂くと、仏様はご慈悲のある方だから大丈夫という回答を見させて頂きました。 そこで最悪な思考回路をしてしまったのです。じゃあ他の方なら大丈夫なのかなという考えがふと浮かんだのです。もちろん五逆罪に当てはまらない人を傷つける妄想をしてはいけないというのは承知していました。 しかし、私は閻魔大王様は大丈夫なのかな…?と思った瞬間、心の中でジャギッという刃物の音と自分のせいで血を流している閻魔大王様の姿がいました。そしてまた、どうしようどうしようと思うとジャキッという音と刃物が出てきて、やめてくれと思うと同時に、歯止めが効かずに絶対に傷つけは行けない人を傷つけているのです。修羅神様やお地蔵さん、教科書で見たシヴァ神様などを傷つけているのです。 もうどうしようと思う瞬間にまた心の刃物で切りつけている。もう1日に10回以上心の中で切りつてしまっています。 もう自分は救いようのない人間だと自負しています。こんな大罪生きているうちに償えるとは到底思えません。色んな神さまが怒って自分は無間地獄に堕ちるのかなとしか考えられないです…。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

私は地獄に堕ちますか

はじめまして。 仏教の地獄についての記事を見ていたら怖くなってしまい、質問をさせていただきました。 五逆罪を犯すと死後無間地獄・阿鼻叫喚地獄に堕ちるとの話を伺いました。 五逆罪は 父母殺しの他に「仏様を傷付ける」 という条件がありました。 記事によっては「仏様・父母をバカにすること」を思っただけでも地獄に堕ちると書いてあったのもありました。 私は深い仏教徒ではないですが、 初詣を含め年に数回神社仏閣にお参りに行きます。 お参りの際に、侵入思考で全く思っていないことを勝手に思ってしまいます。 その内容とは、仏様を誹謗中傷する、バカにする内容等です。私は基本的に神様仏様を信仰しており、誹謗中傷やバカにするなどといったことは全くもって本心ではございません。 なので、私はその侵入思考が入った際には「今思ったことは全く本心ではございません。申し訳ありません…」と 30回50回も謝ります。 仏様は私の本心をわかってくださるのでしょうか。謝りも受け取ってくださるのでしょうか。 私は死後、地獄に堕ちるのでしょうか。 寿命まで地獄に堕ちることを怯えながら生活しなければならないのでしょうか。 どうしたら、私は救われるのでしょうか。 助けてください。

有り難し有り難し 30
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地獄が存在するという宗派はどの宗派ですか

地獄に落ちるのが大変怖いです。 その恐怖によって重度の強迫性障害になって精神科に3年通院しています。 なぜそんなに地獄が怖いのかと言いますと、自転車な運転等で、違法な運転を繰り返ししていて、人を意図的に死なせてしまったかもしれないと、思ってしまうからです。 現状、警察にもお世話になっておらず、人を意図的に死なせようとした記憶はありません。なのでこの恐怖も障害のせいだとわかっているのですが、万が一人を意図的に死なせていたら「自分は地獄に落ちて拷問されるんだ」と思うと不安でしょうがありません。 自分は今の所無宗教なのですが、どの宗派に入れば救われるのか、そもそもどの宗派が地獄が存在すると説いているのか、それもわからず不安でしょうがありません。 また、自分が仏教に入るべきなのかどうかもわかりません。イスラム教やキリスト教に入るべきなのかもしれない、入らないと地獄に落ちるのかもしれないと毎日強迫的な観念に囚われています。 なので、仏教の宗派全体にお詳しいお坊さんがいらっしゃれば、良ければ私がこれから進むべき道や、考え方を教えていただけないでしょうか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

悪人は地獄で必ず裁かれますか?

いつもお世話になっています。地獄は本当にあり、悪人は必ずそこで裁かれますか?前回質問させていただいた事と絡んでいますが、仮に義父としますが、かなり鬼畜な男で死ぬまで反省、謝罪、改心しませんでした。病気で死にましたがあまり苦しまずに死にました。また、健在な時も現世の裁きもすり抜け、バチもあたる事もありませんでした。事故に3回ほどあいましたが、なんとケガ無しでした。悪魔の強運というか、悪魔が味方についているのか?母も不思議がってました。しかし、あれだけ迷惑、悪行をして、反省しなかったのだから地獄に落ちて裁かれなくてはいけません。悪人は地獄で必ず裁かれますよね?お答えお願いいたします。なお、冥福を祈ってあげなさい というお答えは絶対しないでください。文章上、義父としましたが義父ではありません。血もつながっていないし、戸籍でも全く関係ありません。赤の他人です。この辺の経緯は話すとかなり長くなるので仮に義父としました。だから遺骨も墓もどうなっているのかわかりません。ちなみにこの男、親類、縁者他全て絶縁されてます。悪行をするからです。くどいようですが冥福、供養は絶対する気がないので言わないでください。お答えお願いいたします。追伸、どんな男か詳しく知りたい方は前回の私の質問を見てください。

有り難し有り難し 37
回答数回答 3