臨給
生活給的要素+勤務年数+営業成績によって決定。もらえる額は数~数十段階。人から評価されるのは嫌いだけど、評価されることで自分の立ち位置を確認しているのかもしれません。他人との関係の中でしか自分が分からないのもさみしいです。そんなものかとも思います。要領よく上司に気に入られている人が羨ましいです。私はボーナスもらっていいのか不安です。…お金もらうにこしたことないんでありがたくいただいときます。
お坊さんも評価されるお仕事ですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
脚下照顧ですね…。
拝読させて頂きました。企業を辞めてサラリーマンを辞めて5年経ちましたね〜。
住職という立場は今でもまだまだわからないですね。自分の評価め檀家さんの評価も家族からの評価もほぼわからずに毎日お勤めしていますね。
ある意味会社や組織に毎日いてあーだこーだ言われながらプラスマイナス評価される方が楽な様にも感じますね。
志す道は仏教徒として修行して仏となり、あまた迷える人々を仏様の道に導いて救うことですが、大きすぎてとらえどころがなく自分の今がわからないことも度々ですね。
生きることとは大変なことですよね。生きることとはまさかの坂を登ることと言われますが、崖を登る様なことの様にも感じますね。
まずは自分の足元を見て少しずつ歩んでいきたいものですね。
脚下照顧です。
お互いあせらないで頑張りましょうね。合掌m(_ _)m
される所とされない所
こんにちは。「人から評価されるのはイヤ」、それは分かります。けれどそれは、「自分の価値をまるごと他人に評価される」という意味でしょう?自分を丸裸にされるような評価は、私も嫌です。
けれど一方、私たちは「反応」という評価を常にし合って…交換しているな、とも思います。朝起きて、「お早う」と挨拶した反応としての「お早う」、あるいは無言だったり色々ありますが、いずれも「評価された」と言うこともできると思います。それこそ、「ありがとう」も「ごめんなさい」も「ばかやろう!」もみんな、評価です。
…ああ、そう考えると「他人が評価する」というのは、「相手の一部分に対して」しかあり得ない、という気がしてきました。今回のボーナスだって、3つの要素でできている訳で、それは貴女の全体じゃない。自分でどうしようもない部分だって含まれる(勤続4年なのに、5年と評価してくれ、とか)。
だから、「評価というのはどうしたって一面的なものだ」と見つけ直すことが必要なんじゃないでしょうか。そうすることで、「…がイヤ」という拘りから抜けられるような気がします。自分まるごとの評価は…たぶん自分にもできない。そんな気がします。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
地に足つけます。
お返事ありがとうございます。
ありがとうございます。
イヤって言わないように気をつけます。
お返事ありがとうございます。