人は
人は死んだらどこに行くのですか?星になるのでしょうか?それとも地獄へ行くのでしょうか?それとも極楽へ行くのでしょうか?気になるののでよろしくお願いします
優柔不断
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星の光のように
人が死んだらどこへいくか
それは誰にもわからないのです。
死後に極楽へいく、というのも、地獄へいく、というのも先のこと。
先のことはわかりません。わからないことは私の力では信じられません。
だから私は阿弥陀如来という仏様におまかせしています。阿弥陀様は私を極楽浄土に連れていってくれるといいます。
だから私はそうなのだろうなあと聞いています。信じているわけではありません。信じようとしても疑ってしまうのです。
しかし、私は信じられなくとも、阿弥陀様は私を極楽浄土に連れていくと信じています。
だから、私はただそう聞いている。
そうすると阿弥陀様は私だけでなく他の人(誰もがみんな)も極楽浄土に連れていってくださると言っています。
だから誰かが死ぬ時は「さようなら」でなく「またね」と言えます。どういう形で再会できるかもわからないけれど、なんだか少しあたたかい気がします。
しかしながら、「星になる」という表現は素敵です。
今、私に届いている星の光は、何千年も何万年も前に消えてなくなった星の光だったりするそうです。
そう思うと、人が死んだらどこにいくのかは誰にもわかりませんが、遠く昔の私のご先祖様にも、先に亡くなっていった私の大切な人にも、星の光の様に「今」出会えばよいのだと思うことができます。
みんなが支えてくれているいのちを今私が生きている。そして、私もまた、この体の命尽きようと、これから生まれてくる誰かを支えるいのちとしてはたらくことができる。
そう思うと少し安心して死んでいける気がするのです。
それでもやっぱり不安はいつでもおそってくるけれど、そういう時は「南無阿弥陀仏」とおとなえして確かめるのです。
私を支えている全てのご縁が星の光のように「今」届いていることを。阿弥陀様が「今」はたらいてくださっていることを。
阿弥陀様はなんと言っているのでしょう。
また戻ります。
阿弥陀様は私を極楽浄土に連れていくと言っています。
南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ
質問者からのお礼
丁寧に教えて下さってありがとうございます、まだ先のことですので考えないようにすることにしました、ありがとうございました。