歩き続けたその先には何があるのでしょう
私がもう、生きていたくなくて、死んでしまいたくても、
子供たちのために、今は死ねなくて
そんな気持ちで1日をなんとか生きる
そんな道を歩き続けたその先は、何があるのでしょう
また、どれくらい歩き続けて生きていかなければならないのでしょう
もう、奮い起こす力はほとんど使い果たしてしまいました。
でも、ふと頭によぎりました。
「そしてそのまま3年が過ぎました。」
そんなの、嫌です!やっぱり、家族で幸せに楽しく過ごしたいです。
主人がいた頃と変わらず、主人が安心してくれるような、そして私も小さな幸せを感じながら生きていきたいです。
強くなりたい。悲しみに引きずり込まれても立ち上がりたい。早く抜け出したい。
どうか生きる知慧をください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今・ここで幸せを。不真面目な人間になろう。
今・ここで、すぐに幸せを感じてください。
生き物には全て必ず苦しみがあります。
だから、苦しみがあったら不幸、という決めつけを外して、
苦しみがあっても幸せ、という感覚を手に入れてください。
もしかしたら、その感覚は、自転車に乗れるようになるような感じかもしれません。
乗れない人から見たら、2輪の自転車が倒れないなんて「ありえない」「無理」と思うでしょう。
しかし、一度乗れてしまえば「ありえる」のです。
苦しくても幸せ、の感覚を一度知ってしまえば、「歩き続けたその先」じゃなく今の一歩の中に、充分な満足感を得られます。
どうか、仏教を学んでみてください。
それは、ある意味では「不真面目」な人間になることかも知れません。
例えば、学生が先生に怒られ、職員室で怒鳴られている最中にでも、幸せを感じて平気へっちゃらだったら、ある意味不真面目です。
でも、あなたには、そんな人間になっていただきたいのです。
お坊さんは、日常的に、日頃お世話になっている檀家さんの死に直面します。
それでも、お坊さんは毎日幸せを感じて生活して良いのです。
ある意味不真面目ですが、そうでなくっちゃ人生やってられないのです。
ご主人がいなくても、平気へっちゃらで幸せを感じてください。
お坊さんは、葬式の1時間後にでもバラエティー番組で笑えます。
質問者からのお礼
願誉浄史様。
お盆でお忙しい中、ご丁寧にお返事をいただき、ありがとうございました。
「苦しみがあっても幸せ」初めての感覚です。
自転車に乗れてしまっているような、それを普通にしていく。私にできるのかな。
でも、不思議とこんな風に考えることができたら、とても心地よい気分になるように思えます。
感謝したいことは、たくさんあります。
そうしたところから少しずつ、少しずつ感じていきたいと思います。
そう考えて生きてもいいのですね。
ありがとうございました。