最近またつらいです
主人はだいぶ元気になりました。しかしまだ歩行とトイレが自立していないため、また新しい施設で頑張ることとなりました。
私は平日1日土日は面会に行き、リハビリを見学したり、一緒に話しをしたい為会えると嬉しくて仕方ありません。しかし主人は元々クールな人で最近は一人一人生きていくんだよとか当分来なくていいよなどと言われてしまい、とてもショックでした。会えるということが私の生きがいだったのに、、新しい施設は今いる病院より遠くになるので今よりは会う回数は今より
減ります。何か今ショックで立ち上がれません。アドバイスをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
現実に合わせるよりない
こんにちは。とてもお気持ちの若い方と拝察申し上げますます。
私は今ちょうど50歳ですが、やはり経年変化というか「若い頃のままではないな」というのを諸々感じます。老いをはじめとして、人間常に変化し続けています。生きるとは変化する事です。
すでにお諭しがあったように、誰もがいつかは娑婆から去って行きます。俗な言い方をすれば、終活というのは誰もが平等に持っている課題なのです。
あなたのイヤイヤという気持ちをご主人に伝えても構いません。しかし、「そんなに思ってくれて俺は幸せだよ」と仰るかも知れませんが、方向性は止めようがありません。「あなたがもしいなくなったら、私どうすればいいの?」と聞いてみても構いません。大なり小なり、その心構えは作って行かねばなりません。
ある方は、奥様が病気になられましたが、それを機に家事を始めました。どちらが先に1人になっても良いように。
離れている相手を、どのように思い続けるか。それはどのご夫婦にも訪れる、夫婦して乗り越えるべき課題だと思います。
私もまた、同じ道の上にいます。
追記
「お礼」欄の書き込み、見せて頂きました。そして気づいたことがあります。
やまいに嫌も応もなし
ということです。「好き、嫌い」ではないところで冷静に判断せななりません。「好き、嫌い」しか原則のない人は、付き合っていても相手を疲れさせます。
質問者からのお礼
佐藤様私のような者にご回答頂きまして誠に有難うございます。誰にも気付いてもらえないと思っていたのでとても有難いです。元々主人はクールな人だったのでベタベタするのがイヤなのかもしれません。あと今の自分の姿を見られるのがイヤ?なのかもしれません。私もどのように気持ちをもってこのさき生きていけばいいのか益々孤独に陥り自信がありません。
佐藤様私のような者にご回答頂きまして誠に有難うございます。誰にも気付いてもらえないと思っていたのでとても有難いです。元々主人はクールな人だったのでベタベタするのがイヤなのかもしれません。あと今の自分の姿を見られるのがイヤ?なのかもしれません。私もどのように気持ちをもってこのさき生きていけばいいのか益々孤独に陥り自信がありません。