単純に
hasunohaに辿り着いて、まだ間もないのですが、せっかく出逢えた人、事、物の機会を無駄にはしたくなので、いろんなことを学ぶ為に、他の質問&回答も読ませていただいております。悩みの種類も様々ですが、一番、不思議だ…と思った質問が、尊敬できる人がいない、という内容のものです。私は、まず単純に、私より1秒でも長く生きている人は無条件に尊敬してしまいます。(勿論、私より1秒後に生まれた人を尊敬していない訳ではありません)。それは、私は自分が1秒先に生きていないかも知れないからです。いつ、病気、事件、事故、災害等が起こるかも知れない、つまり、自分がいつ死ぬか分からないからです。それに、その時、誰かと同時進行で生きていたなら、私は1秒先の自分の人生を歩んだことがないので、1秒先を生きている相手を、ただシンプルに尊敬してしまいます。一生追い抜けないかも知れないと思うと、「す、すごい!この人メチャクチャ長生きしてる!」と、どうしても尊敬してしまうのです。生きている内容とか、関係ありません。すごいものは、すごいのです。でも、あと約1年したら、ある、私の、他の意味でも尊敬していた人に、追い付きます。私のことを大事に大事にして下さっていた、ある恩師の人が、自殺した年齢に私はなります。亡くなった時も、今も、何故自殺したのか、私には分かりません。何故、私は、私のことを大事に大事にして下さっていた恩師の苦悩に、全く気付けなかったのかと、ずっとずっと後悔したり悩んだりしてきました。が、もうすぐ追い付きます、同じ年になります。約20年前に、突然命を絶った恩師。追い付いた時、私は一体どんな気持ちになるでしょうか?どんな想いが駆け巡るでしょうか?等々、まぁ人生いろいろありますが、ものすごく単純にシンプルに、人を尊敬してしまう私は、ちょっと馬鹿げているのでしょうか?私も、幼い頃からよく天才肌と言われてきましたが、本人は全く自覚がなく、どちらかというと、私はダメだぁ…とすぐに落ち込むことの方が遥かに多いです。ですので、「何でも出来るんだなぁ!」は単なるプレッシャーでしかなく、「変わってるなぁ!」が私には褒め言葉に思えます。あの人も、この人も、すごいなぁ…尊敬するなぁ…と思ってしまう私は、単純過ぎるのでしょうか?ちなみに、私は、いつ死んでも後悔しないように生きています。
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そんな人もいる。いまは。
こんばんは。問いかけ、読ませて頂きました。成る程「年長者を敬う」、良いことだと思いますよ。
けれど「誰も尊敬できません」という人もいる。私の近くにもいます。
その人のことをどう解釈するか?「今は、何かの状況によって、そう思わないと立っていられないのかもな」、私はそう思います。そんな状況の人に、何を言ってもほぼ伝わりません。物事が伝わるか否かは、それの「正しさ」よりも、それを取り巻く縁による(誰に言われた、いつ言われた、どんな時に言われた…)と考えます。
なので、「何があって、そのような考えに至ったのか」が理解できれば、大概は何とかなる道が思いつくものです。
今、あなたは「すべての人が尊敬の対象」と言う。しかし、そのポリシーはいつか曲げられるかも知れません。諸行無常ですからね。
だとしても。あなたには再び、そのポリシーを持つことができます。これまた諸行無常ですからね。
質問者からのお礼
諸行無常、なるほど!良い考え方だと思います!とても良いお言葉、しっかりと心に焼きつけたい!!!祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、おごれる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし…。記憶違いがあるかも切れませんが、中学生の時に覚えたことを思い出しました。間違っていたら、すみません、急に思い出したことを書いてしまいました。確かに、年上の方でも、裏切られた!みたいに思ったこともあります。それでも、私はまた、1秒先を生きる人々を尊敬してしまうのです。