はじめまして。 毎日、自分の心をどうすれば良いのか悩んでおります。 ご助言などを頂ければと思い書き込みをさせて頂きます。 1月4日に、突然死という形で主人は眠ったまま旅立ちました。 その日の早朝5時に一度会話をして、その時に主人は体調の不調を言ってはおりました。 しかし、いつもの会話として私は受け止めてしまい何の対処もしませんでした。そしたら、主人がごめんな・・と、言ってきたのでどうしたのかなと思いつつも突き止めもせずそのままにしてしまいました。 それから3時間後に、子供が起きてきて冗談でパパ死んでるみたいと言ったのを聞き、いつも聞こえるはずのイビキが聞こえない事に気が付き主人に語りかけるも、すでに冷たくなっておりました。 あの時、病院に連れていってれば。そんな後悔ばかりです。 助けれたかもしれない主人の命を、私は見殺しにしてしまいました。 一番下の子はまだ小学1年生。もっと子供の成長を見たかったでしょう。 主人はとても無念だったと思います。 私じゃなく、病院に連れて行ってくれる違う人と結婚していれば主人は今も生きていたのかも知れない。 主人は、こんな私と結婚して幸せだと思ってくれたのか。 主人は、私を待ってくれてるのか。それとも私を見放したのか。 色々、考えてしまい夜も眠れない状態です。 こんな私に一言、お願い致します。
昨年の秋に大切な人を亡くしました。 それからずっと苦しくてたまりません。 私はその人の仕事仲間でしか無いので出来る事がありません。 私は結婚していますが、その人の事が大好きでした。 ただ好きなだけで何も言うつもりはありませんでした。 その人が亡くなる前に職場がギクシャクする時期があり、私もその人に冷たい態度をとった事もあります。 好きだったのになんでそんな態度をとったのか、なんであんな事を言ったのか…と後悔が絶えません。 その人の前にいるとどんな態度をとって良いか上手くいかず、自分の失言を思い出して苦しくてなりません。 今は私は別の仕事をしています。 その人と一緒にいた職場は、体調を崩して退職しました。 前の職場の友人とは、家庭の事情や仕事で疎遠になり滅多に会う事はできません。 たまに会えても私のその人への想いは、今までの思い出を違う物にしてしまいそうで言えません。 メールなどでも、もう前を向いている友人にいつまでも私の悲しみを話すのも悪く思えて、その人の話題は出せなくなりました。 亡くなって直ぐの頃に前の職場仲間が、私がそんなに悲しんでるとその人が成仏出来ないし、恋人でも身内でも無いのにそんなに思っちゃいけないと言った事がありました。 それを聞いてとても悲しく、その通りかもとも思いました。 私には悲しめる程の関係性も無いかもと。 お葬式と四十九日は行く事ができました。 一緒にお葬式に行った友人達は「これでお別れが出来たからふっきれる」と言っていました。 それは友人達にとって良い事だし正しい考えだと思っていますが、私はどうしても同調できません。お別れしたくないのです。 四十九日は、仕事仲間では私だけが行きました。 一度お墓参りにも行きました。 家ではお線香のつもりでお香を立てて焚いています。 この事は気持ち悪く思われそうで誰にも言えません。 その人とそんなに親密ではないのですが、私も連れて行ってくれてたら良かったのにと思う事もあります。 家族は、私が元気がない事があるとは思っているようですが特に何も言いません。 結婚して住み始めた土地なので、悲しみを打ち明けられる人がいません。 こうして文章にして打ち明けられて、少し落ち着きました。 自分がアドバイスを求めているのか分かりませんが、読んで下さってありがとうございます。
ここ数日どうしても頭から離れないことがあり相談させていただきます。 先週祖母が亡くなりました。 祖母は、数年前私からプレゼントした毛布を大変気に入ってくれていました。 肌身離さず身につけてくれていたようです。 しかし、亡くなる少し前にこの毛布を洗濯していたのですが、 葬儀の直前に無くなってしまい、 納棺の際に一緒に入れてあげることができませんでした。 そのことを悔やんでいます。 今は、代わりの毛布を購入し霊前にお供えしております。 しかし、あちらの世界でも祖母に愛用していただければと思い、 お焚き上げをするのが良いのではないかと考えています。 そこで、質問させていただきたいのですが、 お焚き上げをした物品は祖母へ届くのでしょうか。 また、何か贈り物をするための良い手段はないでしょうか。
6月4日に父が他界しました。肺がんで、72歳でした。 2週間母が病院に寝泊りして看病する状態でした。 父が亡くなる日、私がたまたま早く会社をあがっていたので、母が一度自宅へ戻る間に私が付き添っていました。 まさかその日その時間に逝ってしまうとは・・・ 最期に会話したのが冗談話しでした。 前々日には感謝の言葉を交わしていたものの、最期がこんな会話になるなんて・・・ その思いと、なぜ私が最期を看取ることになってしまったのか?が今でも心にひっかかってしまってます。 父は最期に言いたかったこと、なかったのか? 看取ることってタイミングだけの話なんでしょうか? 教えてもらえたらうれしいです。
一昨年前に実母が亡くなり、以来、こちらでお世話になっております。 お寺のことや、供養、お墓等のことで質問させて頂き、ご丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。 毎日のお勤め、花やお供え、茶水を絶やさず供養させて頂いています。 長らく二人暮らしでした。 病を抱えながらも私のために家事をしてくれていました。 私は幼い頃から病弱で心配ばかりかけ、苦労させました。 ある日、突然調子が悪くなり救急車で病院へ、そして次の日から意識が無くなり、一週間後に息を引き取りました。 私はその瞬間にも立ち合うことができませんでした。 生前は、私は仕事なので一人きり。最期も一人で逝かせてしまいました。 延命処置も断ったのは私です。 今年、三回忌となりますが、未だにあの時こうしてあげれば良かった、なぜあんなこといってしまったのだろう、最期にありがとうも言えず、後悔と悲しみの毎日です。 他人からすると、ただのマザコンなのかもしれません。 毎日、成仏し、父やご先祖様と幸せに過ごしてくださいと祈ることしか出来ません。 ただただ毎日冥福を祈り、悲しみが癒える日が来るのを待つしかないのでしょうか?それともいつまでもクヨクヨ引きずっている私の精神が弱いだけなのでしょうか?
仕事の関係で知り合って、プライベートでも仲良くしていたおじいさんが亡くなっていた事が、最近判明しました。享年93歳でした。 私は旅行の添乗員をしていて、ツアーでご案内したあるおじいさんと、仲良くなり、プライベートでも食事に行ったりしていました。 おじいさんも私の事を気に入ってくれ「3か月に一回は会いましょう」と言ってくれ、自分では入れないような高級レストランに何度もつれて行ってくれました。 そんな感じでしたが、2012年に入ってからは連絡の間隔があき、何度か携帯電話に着信があったけれども、こちらも仕事で忙しく、そのまま折り返しするのを忘れたりしたこともありました。 おじいさんから年賀状をもらったりもしましたが、私は旅行業従事者で、年末年始が年で一番の繁忙期のため、つい年賀状を送るのをさぼったりもしていました。 2013年の5月、なぜだかどうしてもおじいさんと連絡を取らないといけないような気がして、遅すぎる年賀状の返事を出しました(年賀状と言えないですね・汗) ハガキを出したらおじいさんから電話がありました。でも何だかとても様子がおかしかったので、大丈夫かな、とは思ったんです。(通話履歴を確認したところ、2013年の5月18日でした) その後連絡がなく、心配だったので、忙しかったけれど、今年は頑張って元日につくように年賀状を出したのですが、返事がありませんでした。 そしてつい昨日、夢におじいさんが出てきたのでもしかして…と思い現役時代に勤務されていた新聞社の会報の訃報欄を調べてみたら… 2013年の5月24日に亡くなっていました。 こうなると色々考えてしまいます。いくら繁忙期だって、一枚くらい年賀状を書けたんじゃないか、何度か着信があったのに、折り返しを忘れてしまったこと、もう少し積極的にこちらから連絡しても良かったんじゃないか…などなど。大変失礼ながら、知り合った時点で高齢だったので、いつ亡くなってもおかしくないと分かっていたのに、行動に移さなかった自分に後悔です。今となっては遅いですが… 私はこれからどう気持ちを持っていったらいいでしょうか?アドバイス願います
約20年前に通っていた学校で出会った友人が18歳と言う若さで亡くなりました。死因は不明のままなんです。 友人とは3つ歳が離れているんですが、当時はいつも一緒にいました。 波長というのでしょうか?話を交わさなくても友人がそばにいるだけでも幸せに感じていました。いつも友人から幸せを分けてくれました。なのに私は、何もしてあげられませんでした。恩を仇でかえしてしまいました。 友人の死を知った時は、もう頭の中が真っ白になり、何も手につかなくて軽いノイローゼになってしまいました。何かつらい事や嫌なことがあると、彼女のところへ行きたいと思っていました。 今は、あまり笑わなくなったり、私だけ幸せになってもいいのかな?と思っています。本当に、私だけ幸せになっていいのでしょうか? 夏になると友人との思い出がよみがえり、毎日ないています。
昨年、実父が癌で亡くなりました。 父の死に際は、末期癌患者の臨終によくある(?)「身の置き所がない」状態で亡くなりました。葬儀の際に父の友人に「顔が変わってしまって」と絶句されました。 生きている間も苦労の人生だっただけに、安らかに逝くことが出来なかったのが悔やまれてなりません。 なぜ父は最期まで苦しまなければならなかったのでしょうか? また、父の肉体的な痛みを思えば、1日でも2日でも早く逝かせてあげられなかったのかと自分を責めてしまいます。 父の苦しみはどう解釈すれば良いのでしょうか? 病気の進行、術後の容態悪化で仕方ないと考えるしかないのでしょうか?