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友人の死について

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約20年前に通っていた学校で出会った友人が18歳と言う若さで亡くなりました。死因は不明のままなんです。
友人とは3つ歳が離れているんですが、当時はいつも一緒にいました。
波長というのでしょうか?話を交わさなくても友人がそばにいるだけでも幸せに感じていました。いつも友人から幸せを分けてくれました。なのに私は、何もしてあげられませんでした。恩を仇でかえしてしまいました。
友人の死を知った時は、もう頭の中が真っ白になり、何も手につかなくて軽いノイローゼになってしまいました。何かつらい事や嫌なことがあると、彼女のところへ行きたいと思っていました。
今は、あまり笑わなくなったり、私だけ幸せになってもいいのかな?と思っています。本当に、私だけ幸せになっていいのでしょうか?
夏になると友人との思い出がよみがえり、毎日ないています。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

月ではなく、お月様になってください。

これは自然の摂理の話というわけではありませんが、

太陽は常に恵みの光を注いでくれています。
その恩恵を本当に知っている人は、太陽のことを「お日様」「お天道様」と敬い、親しみ、尊ぶものです。なぜなら、お日様によって、いかに自分が支えられているかということを深く知っていて、「有り難い」という感謝の心を持っているからであります。

月は、昼間はあまり見向きもされませんが、闇夜に光を注ぐ星となった時、闇を恐れる人たちにとっては、ありがたい「お月様」となります。

亡くなったそのご友人が仮に太陽であるとします。
あなたが、その友人の太陽の光によって照らされた月であるといたします。

その友人はあなたに恵みの光を注いでくれたし、照らしてくれたから、あなたにとっては、ただの太陽ではなく有り難い“お日さま”です。

お日さまに照らされた月のあなたは、今も尚、朋友から授かった(照らされた)光を帯びています。

ですが、あなたはまだ残念ながら、お月「様」になってはいないのです。
何故なら、あなたはまだ誰かに恵みの光を十分に注いでいないからです。

その人といると心地よかったはずでしょう。
その人といると心を開けたはずでしょう。
あなたは、友人の恩恵によって十分に光り輝いていることを自覚するべきです。
あなたが救われた光を、一人で享受するばかりでは無く、出逢う人たちに、めぐらし向けるのです。
その光とは、
・笑顔であってもいい
・優しい言葉であってもいい
・手助け
・怒らないでいること
・話を聞いてあげること
…など、あなたが友人といた時に心地よかった事なら何でもいいのです。

“自分も相手も、共に心が利益(りやく)される行為、これを利他行ともうします。

あなたがこうした誰かを利益し、照らす行為を、恩返し、報恩の行として続けていくことで、初めてあなたは、月から“お月様”へとなるのです。。

それが、あなたの大好きだった友達と本当に肩を並べることであり、報恩の供養であり、あなたと親友が永遠にこの世で歩んでいくための法です。

今日から、ぜひ毎日の中で実践してください。
友人があなたにしてくれたような心地よさを、だれかにしてあげることです。
必ず、あなたの心の中の友人が微笑みかけてくれるはずです。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

仏さまは人の幸福を願う

かおりさん

20年ほど前に亡くなった親友を、今でも強く思っていらっしゃるのですね。

不謹慎だと思われるかもしれませんが、それだけ思われる友人を、私はうらやましいとさえ思いました。
もし私がこの世を去って20年後、これほど思ってくれる友人はいるでしょうか。正直に言って自信はありません。

友人から得た幸福感、それに対しかおりさんは何も返してあげられなかったと受けとめていらっしゃるのですね。
助けてあげられなかった無念さを「恩を仇で返す」と表現されているのだと思いますが、でもかおりさんが友人のいのちを奪ったわけではないのだと思います。

悲しんでくれることはともかく、引け目にまで感じていらっしゃるのなら、友人は悲しい思いをされているのではないでしょうか。
かおりさんが友人から幸福感を受けたのと同じように、友人も幸福感を抱いていたのでは、と思います。

私の宗派では、亡くなった方は1人も例外なく仏さまとなり、悩み苦しみの無い世界(浄土)に往き、私たちを見守る存在となっている、と考えます。
仏さまは、私たちの幸せを念じています。ましてやそれほど強い友情で結ばれた仏さまです、かおりさんの幸福を願っていないことなどあるでしょうか。
自分が得られなかった幸せも手にして欲しい、そう願っていらっしゃると、私は信じています。

もうすぐ夏。この季節に何か思い出があるのですね。
でも今年の夏は友人に見守られていると信じて、明るく晴れやかな夏を過ごしてみませんか。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

友人の願いを受け止める

ご友人が若くしてなくなった。その友人に何もしてあげられなかった。
そういう思いに苦しんでおられるようですね。
何もしてあげられなかったという悔いは、非常に重いものだと思います。

あなたは「恩を仇で返した」とその思いを表現されていますね。
あなたの受けたショックは大きく、つらい思いを引きずっておられるのだろうと想像いたします。

大切な友人を亡くしたという喪失感は、なかなか乗り越えようと思っても乗り越えられないものです。
しかし、その友人の方は、あなたが幸せになることを望んでいないのでしょうか?

浄土真宗の教えには「還相の回向(げんそうのえこう)」というものがあります。

亡くなった方は、阿弥陀様のお浄土に生まれ、諸仏となって、私たちを教え導くために力を尽くされます。
そういう諸仏(仏)となられた友人の方の願いは、あなたが救われることなのではないでしょうか。

友人の方は、あなたに願いをかけられておられます。
その願いは何なのか?
仏様に手を合わせ、そのことを考えてみてください。

そこからあなたの道が開けてくるのではないでしょうか。

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真宗山元派上西山正善寺住職

「愛別離苦」へのアプローチ

かおり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

互いに深い精神的な繋がりを感じる大切な人のことを「ソウルメイト」と申しますが、まさにご友人はかおりさんにとって、かけがえのない「ソウルメイト」と言える存在であったのではないだろうかと存じます。

親愛なる人、大切な人、かけがえのない人との別れの苦しみ・・これは八苦の一つ「愛別離苦」と申します。

「愛別離苦」への対処については、釈尊の善巧方便行の一つとして「キサー・ゴータミーへの説話」がございます。愛児を失った母親の苦しみへの諭しとなっておりますが、この説話において釈尊は、生ある者は必ず死すること、どんなに愛すべきかけがえのない者であっても死などでの別れは避けられないことをゴータミーに悟らせて、諸行は無常であること、諸法は無我であることへの気づきのきっかけをお与えになられたものであると考えられます。

かおりさんも、まずはご友人との別れの現実をしっかりと受け入れること、そして、後悔や悲しみの苦しみの現実もしっかりと受け入れることが大切であると存じております。この「Hasunoha」にて打ち明けられたこの機会において、どうか一つの区切りとして今一度、その後悔や悲しみを苦しみきって下さい。みっともなく泣いて、叫んで、その想い、感情を出しきってみて下さい。今のかおりさんの支えになって頂ける方がそばにいらっしゃっても構わないでしょうし、全く一人になれるところでも良いでしょう。

そして、更に、そのご友人の冥福を祈って、慰霊供養の旅に出てみるのも良いかと存じます。例えば、目標を定めた上にて、四国・お遍路行脚や朱印お参り廻りなどはいかがでしょうか。この機会において、各ご本尊御仏様にご友人のご冥福を祈り願いきってみて下さい。

そして、この拙提案を受け入れて頂いて、この区切りをなし終えてみた時、かおりさんはどのような心境、想いとなられていらっしゃるのか、またこの「Hasunoha」にて教えて頂ければと存じております。

もう一つ、ご友人の分も精一杯に生き抜くのだとの気概をお持ち賜りまして、お幸せに過ごして頂くことも、ご友人への大きなご供養になるのではないだろうかと拙生なりには思うところでございます。どうか、かおりさんは、かおりさんの人生をもっともっと大切にして下さいませ。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

一緒に幸せになってください

かおり様へ

ご友人との思い出は一生の宝物です。
亡くなってからもこうして思ってくれるあなたの存在。
きっとご友人は喜んでいることでしょう。
ぜひその宝物を大切にしてください。
なにかのときにふとご友人も思い出したときには
手を合わせてください。
それが一番の供養です。

私だけ幸せにではもうありません。
そのご友人と共に一緒に、ぜひ幸せになってください。
どんどん幸せになり、いっぱい楽しんで笑ってください。
きっとご友人もそれを望んでおります。合掌

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鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...

かおり様。今貴女が幸せにならないでどうしますか。

今貴女が幸せになる事が、亡くなったご友人の魂に報いる事にも成るのですよ。
貴女がこの世で、亡くなったご友人の事を心がけておられる時、
其れが亡くなったご友人の供養に成るのですから、良きプラスの気持ちで思いを寄せる事をお奨めするのです。
ですから、貴女は幸せになって、プラスの気持ちでご友人の供養の為、思いをしてあげる事を為さって頂きたいのです。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...

質問者からのお礼

今は、ある本を読んでいます。勿論、数人のお坊さんが書かれた本です。
なので、もう、立ち直ってます。本当にありがとうございます。

鈴木光浄さん、返信遅れましてすみません。ありがとうございます。

友人の分まで幸せを見つけます。頑張ります。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

亡き夫への想い

1年半前に26年共に過ごした主人を亡くしました。それが原因で実の親と兄弟と絶縁。心療内科に通いなんとか普通に生活しています。夫は今どきめずらしいほどの亭主関白で厳しい人でした。弱音は吐かず寡黙な人でおしゃべりが好きで甘えたい私には厳しすぎて、いつの日か笑って話す事もなくなり、頼る事をしなくなり日時会話も減っていきました。家政婦のような毎日に嫌気がさし、いつもの喧嘩から意地で家を出ました。亡くなる3ヶ月前です。職人だった主人は健康診断をせず、病気に気づかず、ただ、険悪になった3ヶ月は主人の身体は立っているのも辛い状態だったはずだと後から医者に聞きました。痛い、辛いを言わなかった人だけに私はその辛さに気づかず、孤独は自分なんだと可哀想な自分は自由になるべきだと家を出ました。主人が溺愛していた末娘を連れてです。いつも絶対に折れない主人が頭を下げて戻ってきて欲しいと言うまでは帰るまいと決めてました。その間に歩けなくなった主人は入院してから4日で亡くなりました。相当苦しかったはずだ、と医者に聞かされ愕然としました。入院して2日目にベッドの上から私の手を引っ張って握り「戻ってくれ」と言いました。ずっと聞きたかった言葉に泣けて泣けて泣けて…… ずっとその大きな手が欲しかっただけ。 優しい言葉が欲しかっただけ。 私はどこを何を見ていたんだろう。この人の何を見ていたんだろう。ずっと愛してくれていたはずなのに、欲張りな私は気づかなかった。週末は外に干し毎日整えてた布団も一番辛かった3ヶ月はずっと敷いたままだった。毎日作っていた手料理も一番辛かった時に作ってあげられなかった。毎日掃除していた部屋も毎日洗濯していた作業着もきれいにしてあげられなかった。長い間 一緒にいて、一番不幸な時に死なせてしまった。私が殺してしまった。あの時傍に居たら、ずっと一緒に暮らしてたら、もしかしたら命はあったかもしれない。寂しかったはず、辛かったはず… 1年と半年、毎日謝り続け、でも、普通にご飯を食べのうのうと生きている自分に嫌気がさし、消えてしまいたい思いと戦いながら、残った4人の子供たちを幸せにしなければ、とただ、それだけで頑張っていますがスーパーで買い物をしていても、車を運転していても主人の影を探してしまう毎日にもう無理だよ……って、どうにもならなくなったとき、このサイトを見つけました、辛いです。助けて

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母が他界しました。

母が他界しました。63歳でした。 3年半闘病しました。2年間は食べる事も飲む事もできませんでした。 旅行が好きな母でした。私が社会人になってからはいろんな所へいきました。 最後の旅行の時「あなたと後何回いろんなところへ行けるかな。」とポロっと言われました。その時は「何言ってるのー?」と笑って返しましたが、その旅行が最後の旅行になりました。何故こんな事を言ったのかずっと心に突き刺さっています。 亡くなる3日前に急に体調が悪くなり、肺炎でした。施設に預けていましたが、亡くなる前日少し状態が良くなり、付き添いを止め、私も自宅に帰りましたが、夜中に1人で逝ってしまいました。 「付き添いをしてあげればよかった」「仕事で忙しいと言わずに時間を作ってもっと会いに行ってあげれば良かった」いろんな感情がぐるぐる回っています。3年半も頑張ってくれて、もう辛くないんだから前を向かなきゃと思いますが、どれだけ泣いてもふっと気を抜くと涙が止まりません。 そばにいて貰いたくて、分骨したいと思い骨壷ペンダントを買いましたが、家族に言えずにしまっています。 分骨も悪い事ではないとインターネットで見ましたが、やはり身内にお願いできません。また遺骨を砕く勇気も私がありません。身体が鉛のようで何もできないです。 このままじゃ母が心配しそうです。

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誤りたいです

私は朝7時に出て夜7時に家に着く生活をしていました。 父が病状が悪化した時、さすがに7時は遅いと思いました。 でも、毎日早退なるし…そう思い毎日15分早退する事にしたんです。 1時間早く家に着く事が出来る、その時はそう思いました。 でも今考えると、親が病気なのに、苦しんでるのに、たった15分だけの早退にしてしまった後悔におそわれています。 父より、周りの目を気にしてしまった…その自覚もその時はなかったです。 私は父にあたってばかりいた… 父は鬱病の私を心配して少ない年金から少しでも私が元気になるように調理器具とか弁当のおかずとか色々買ってきてくれました。 でも、私父に何もしなかった… 今考えると、何一つ父にしてあげてなかったんだから、周りの目なんか気にせずに最期ぐらい少しでも早く帰って父のために過ごせばよかった… 最後まで自分を優先してしまった… 寂しい思いもさせたと思います 申し訳なくて誤りたくて 父の日も父の誕生日も何もしなかった ケチってばかりいた… どうして最期の時まで判断を間違えるのか 家族が病気なのに、たかだか15分ぐらいで周りの目を気にして、あんな時にフルで仕事して自分でバカなんじゃないかと思う 避けてばかりいたけど、今更ですがもっと話をすれば良かったと思ってます 家族を守ってあげれなかった… 何でこんなに弱いんだろ…

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今年、最愛の母が亡くなりました。 生前は一緒に病院に行ったり、介護の際も2人で頑張ろうね、一緒に楽しいことしたいね。といつも出かける予定と楽しみを2人で考ていました。いつもポジティブで何事も楽しく明るく取り組む母が大好きで、その優しい笑顔が見たくて毎週いつも出かけたり家では冗談ばかり言ってました。終末期になって、母は苦しい、助けてよ、助けてよ。と何度も私に言っていました。ですが、私に病気を治すことは出来ないので抱きしめて、大丈夫だよ。良くなるよ。怖くないよ。ずっと私が隣にいるからねと励ましました。亡くなってしまってから、その母の『助けてよ』『しんどいよ』と苦しそうな母の声と表情を思い出したり、母の行きたかった所、したかった事が出来なかった事を想うと、可哀想で苦しくて胸が張り裂けそうです。もっと、長生きしたかった気持が凄く伝わってきてましたし、私もそう願っていました。 余命宣告をされてから 私の弟が心臓の弱い母の耳元で『わっ!」と驚かせたり、私のことを母の目の前で殴ったり... 亡くなる前の日、考えなしの父が骨が弱くなっていた母の喉を押しました。その後から息が苦しそうになり翌日亡くなりました.. 私はこの気持ちを どうしたらいいか分かりません。 病気で苦しんでいる母に対する家族の対応が私には理解できません。その件を家族に言うと、逆に私が悪いと言われたり.. もう心が壊れそうです

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亡くなった父に対する後悔が消えません。

昨年父が亡くなりました。倒れてから寝たきりになり、数ヶ月に息を引き取りました。 短い時間でしたが自宅で介護ができましたし、家族全員できることは全てやり切ったと思っています。 父も幸せだったのではないかと信じたいのですが、後悔していることがありその気持ちがなかなか拭えません。 まず、花嫁姿も孫の姿も見せられなかったこと。最後に元気な父な会った時、そっけない態度をとったこと。最期を看取れなかったこと。よく眠るようになった父を、病気かもと疑わなかったこと。 幸せな思い出がたくさんですが、そんななかで後悔も消えません。 父が夢に出てくると、決まって笑顔です。現実と同じく入院していても、夢の中では歩いていて、笑っていて、家族を愛しんでいる雰囲気を感じます。 そんな夢を見た朝ほど、もっとしてあげたかったことが浮かんできて、仕事中にも辛くなりそうになるので、無理やり忘れます。 そうすると、無理やり忘れるなんて父も悲しむのでは、なんてことも考えてしまいます。 誰との別れでも後悔はあると思いますが、どうやって乗り越えていけばいいのでしょうか。前に進んでいくための言葉をいただけるとありがたいです。

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祖父の死、後悔が尽きません

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母の死に罪悪感と後悔で一杯です。

数日前に実家の母が亡くなりました。末期癌で、病気の発覚から僅か4ヶ月でした。 1ヶ月前に電話で話した時も体調はあまり良くなさそうな様子ながらも「死なない」とはっきり言っていました。 ところが2週間程前から体調が急激に悪化して電話もメールも出来なくなってしまいました。 母が亡くなった今、罪悪感に押し潰されそうです。というのも、喧嘩別れのような状況で死ぬまで優しい言葉をかけられませんでした。 私は幼少期から母との溝を感じて生きてきて、自分の気持ちを理解してもらえない。苦しい時に寄り添ってもらえないと感じていました。 成長するにつれて価値観や考え方すれ違いは増していき、次第に私は母に対して反抗するようになりました。 自立してからも反抗的な気持ちがおさまらず、溝がありました。 私が結婚し、孫をとても可愛がってくれましたが相変わらず溝は深いままでした。 一年程前子供を連れて実家に行った時に、自分の中でどうしても許せないことを言われ大喧嘩をして連絡を断ちました。死に目にも会わない覚悟でした。 ところがいざ母の病気が発覚した時に気持ちが揺らぎ、連絡を再開しました。 しかし、今までのことがあり母にどういう言葉をかけていいかわからずぎこちないやりとりでした。 コロナ禍で直接会うことは叶わず、病気に対して実感がわかなかったのもあります。そして、精神的に強い人なので母は死なないのではないかと根拠なく心のどこかで思っていました。自分より強い母が死ぬことを認めたくなかったのかもしれません。 喧嘩別れして以来、母に会えたのは葬儀の場でした。棺桶に横たわる母は別人のように痩せこけていました。 その時、言い様のない感情が襲ってきてその場では唖然とするばかりでしたが、自宅に帰ってから涙が止まりません。 もっとかけるべき言葉があったのではないか。優しくできたのではないか。そして、今までの人生で母にしてきた己の身勝手で酷い仕打ちを思いだし後悔しかありません。謝りたい。 闘病中に元気付けられればと子供の写真や動画を送った時の嬉しそうなお礼のメールが、辛くて読み返せません。心の中で和解しきれていないと感じていた私は、そっけない返事をしました。それが最後のやりとりでした。 子供のためにも切り替えなければならないと頭では理解しています。自分が悪いことは承知ですが、どうしたら前を向けるでしょうか?

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父はどう思っているのでしょうか?

父が亡くなる直前まで心労をかけてしまいました。 婚約後、価値観の違いから衝突して、入籍の無期限延期を言われたのですが、 話合いをしても平行線で、自らピリオドを打ちました。 当時入院中だった父は病室から何度か電話をくれて 「心配しているけど、自分の将来なんだからおまえに任せる」と言ってくれていました。 遠距離恋愛の為、名古屋まで話合いに向かいました。 彼の要望を聞いていると、私が望むごく一般的なつつましい結婚生活は期待できそうもなく、好きな気持ちはあるけど、先々の事を考えて交際自体も終わらせる事を選んで自分の住む町へ戻りました。 翌朝、父の容体が急変し、16日間の危篤状態を経て他界しました。 この期間私の為に頑張ってくれたような気がしてなりません。 父も理解してくれていたこととはいえ、死の直前まで心労かけました。 その所為で死期が早まったのではないか? 糠喜びさせて、悲しい気持ちのまま旅立ったのではないか? 悔やんでも悔やみきれません… 父の訃報はSNSなどで知ることが可能ですが、彼からは音沙汰なしでした。 最後はお互い納得して別れたのに、別れてしまったとはいえ、ひと月まえに家族になっていたはずの人なのに…。 親族への挨拶まで済んで入籍直前なのに自分の都合で延期を言い出したのに、両親への説明や謝罪もしてくれませんでした。 別れることまでは考えていなかった彼ですが、その言い分が自分にだけ都合の良すぎるものだったので、私から去ることを決断しました。 それでもお互い人としての義理人情はあると信じていました。 私は愛されていなかったんだ… 今は内省していないと気持ちの置き場所が見つかりません。 職場の人もみんな知っていて、誰に対しても申し訳ない気持ちです。 私の状況を知る親族も二重の悲しみを抱いています。 葬儀の間、隣に座る姉の横には姉の旦那さんが居て、 本当だったらあの人がここに座っていてそれだけで救われたはずなのに… 父の死をこんな絶望感で受入なければいけないのは何でなのだろう? 私は何をそんなに間違えたのだろう? 彼氏に自分の気持ちを言ってはいけなかったのだろうか? たまに彼に対して恨みのような感情が沸き上がるのが辛いです。 父の死、ただそれだけを悲しむことができればどんなにいいか…。 「お父さん、ごめんね。」 父に会いたいです。

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