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友人の死について

回答数回答 6
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約20年前に通っていた学校で出会った友人が18歳と言う若さで亡くなりました。死因は不明のままなんです。
友人とは3つ歳が離れているんですが、当時はいつも一緒にいました。
波長というのでしょうか?話を交わさなくても友人がそばにいるだけでも幸せに感じていました。いつも友人から幸せを分けてくれました。なのに私は、何もしてあげられませんでした。恩を仇でかえしてしまいました。
友人の死を知った時は、もう頭の中が真っ白になり、何も手につかなくて軽いノイローゼになってしまいました。何かつらい事や嫌なことがあると、彼女のところへ行きたいと思っていました。
今は、あまり笑わなくなったり、私だけ幸せになってもいいのかな?と思っています。本当に、私だけ幸せになっていいのでしょうか?
夏になると友人との思い出がよみがえり、毎日ないています。

2013年4月5日 11:53

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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

月ではなく、お月様になってください。

これは自然の摂理の話というわけではありませんが、

太陽は常に恵みの光を注いでくれています。
その恩恵を本当に知っている人は、太陽のことを「お日様」「お天道様」と敬い、親しみ、尊ぶものです。なぜなら、お日様によって、いかに自分が支えられているかということを深く知っていて、「有り難い」という感謝の心を持っているからであります。

月は、昼間はあまり見向きもされませんが、闇夜に光を注ぐ星となった時、闇を恐れる人たちにとっては、ありがたい「お月様」となります。

亡くなったそのご友人が仮に太陽であるとします。
あなたが、その友人の太陽の光によって照らされた月であるといたします。

その友人はあなたに恵みの光を注いでくれたし、照らしてくれたから、あなたにとっては、ただの太陽ではなく有り難い“お日さま”です。

お日さまに照らされた月のあなたは、今も尚、朋友から授かった(照らされた)光を帯びています。

ですが、あなたはまだ残念ながら、お月「様」になってはいないのです。
何故なら、あなたはまだ誰かに恵みの光を十分に注いでいないからです。

その人といると心地よかったはずでしょう。
その人といると心を開けたはずでしょう。
あなたは、友人の恩恵によって十分に光り輝いていることを自覚するべきです。
あなたが救われた光を、一人で享受するばかりでは無く、出逢う人たちに、めぐらし向けるのです。
その光とは、
・笑顔であってもいい
・優しい言葉であってもいい
・手助け
・怒らないでいること
・話を聞いてあげること
…など、あなたが友人といた時に心地よかった事なら何でもいいのです。

“自分も相手も、共に心が利益(りやく)される行為、これを利他行ともうします。

あなたがこうした誰かを利益し、照らす行為を、恩返し、報恩の行として続けていくことで、初めてあなたは、月から“お月様”へとなるのです。。

それが、あなたの大好きだった友達と本当に肩を並べることであり、報恩の供養であり、あなたと親友が永遠にこの世で歩んでいくための法です。

今日から、ぜひ毎日の中で実践してください。
友人があなたにしてくれたような心地よさを、だれかにしてあげることです。
必ず、あなたの心の中の友人が微笑みかけてくれるはずです。

2013年4月26日 23:58
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

仏さまは人の幸福を願う

かおりさん

20年ほど前に亡くなった親友を、今でも強く思っていらっしゃるのですね。

不謹慎だと思われるかもしれませんが、それだけ思われる友人を、私はうらやましいとさえ思いました。
もし私がこの世を去って20年後、これほど思ってくれる友人はいるでしょうか。正直に言って自信はありません。

友人から得た幸福感、それに対しかおりさんは何も返してあげられなかったと受けとめていらっしゃるのですね。
助けてあげられなかった無念さを「恩を仇で返す」と表現されているのだと思いますが、でもかおりさんが友人のいのちを奪ったわけではないのだと思います。

悲しんでくれることはともかく、引け目にまで感じていらっしゃるのなら、友人は悲しい思いをされているのではないでしょうか。
かおりさんが友人から幸福感を受けたのと同じように、友人も幸福感を抱いていたのでは、と思います。

私の宗派では、亡くなった方は1人も例外なく仏さまとなり、悩み苦しみの無い世界(浄土)に往き、私たちを見守る存在となっている、と考えます。
仏さまは、私たちの幸せを念じています。ましてやそれほど強い友情で結ばれた仏さまです、かおりさんの幸福を願っていないことなどあるでしょうか。
自分が得られなかった幸せも手にして欲しい、そう願っていらっしゃると、私は信じています。

もうすぐ夏。この季節に何か思い出があるのですね。
でも今年の夏は友人に見守られていると信じて、明るく晴れやかな夏を過ごしてみませんか。

2013年4月5日 12:16
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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

友人の願いを受け止める

ご友人が若くしてなくなった。その友人に何もしてあげられなかった。
そういう思いに苦しんでおられるようですね。
何もしてあげられなかったという悔いは、非常に重いものだと思います。

あなたは「恩を仇で返した」とその思いを表現されていますね。
あなたの受けたショックは大きく、つらい思いを引きずっておられるのだろうと想像いたします。

大切な友人を亡くしたという喪失感は、なかなか乗り越えようと思っても乗り越えられないものです。
しかし、その友人の方は、あなたが幸せになることを望んでいないのでしょうか?

浄土真宗の教えには「還相の回向(げんそうのえこう)」というものがあります。

亡くなった方は、阿弥陀様のお浄土に生まれ、諸仏となって、私たちを教え導くために力を尽くされます。
そういう諸仏(仏)となられた友人の方の願いは、あなたが救われることなのではないでしょうか。

友人の方は、あなたに願いをかけられておられます。
その願いは何なのか?
仏様に手を合わせ、そのことを考えてみてください。

そこからあなたの道が開けてくるのではないでしょうか。

2013年4月5日 12:22
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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職

「愛別離苦」へのアプローチ

かおり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

互いに深い精神的な繋がりを感じる大切な人のことを「ソウルメイト」と申しますが、まさにご友人はかおりさんにとって、かけがえのない「ソウルメイト」と言える存在であったのではないだろうかと存じます。

親愛なる人、大切な人、かけがえのない人との別れの苦しみ・・これは八苦の一つ「愛別離苦」と申します。

「愛別離苦」への対処については、釈尊の善巧方便行の一つとして「キサー・ゴータミーへの説話」がございます。愛児を失った母親の苦しみへの諭しとなっておりますが、この説話において釈尊は、生ある者は必ず死すること、どんなに愛すべきかけがえのない者であっても死などでの別れは避けられないことをゴータミーに悟らせて、諸行は無常であること、諸法は無我であることへの気づきのきっかけをお与えになられたものであると考えられます。

かおりさんも、まずはご友人との別れの現実をしっかりと受け入れること、そして、後悔や悲しみの苦しみの現実もしっかりと受け入れることが大切であると存じております。この「Hasunoha」にて打ち明けられたこの機会において、どうか一つの区切りとして今一度、その後悔や悲しみを苦しみきって下さい。みっともなく泣いて、叫んで、その想い、感情を出しきってみて下さい。今のかおりさんの支えになって頂ける方がそばにいらっしゃっても構わないでしょうし、全く一人になれるところでも良いでしょう。

そして、更に、そのご友人の冥福を祈って、慰霊供養の旅に出てみるのも良いかと存じます。例えば、目標を定めた上にて、四国・お遍路行脚や朱印お参り廻りなどはいかがでしょうか。この機会において、各ご本尊御仏様にご友人のご冥福を祈り願いきってみて下さい。

そして、この拙提案を受け入れて頂いて、この区切りをなし終えてみた時、かおりさんはどのような心境、想いとなられていらっしゃるのか、またこの「Hasunoha」にて教えて頂ければと存じております。

もう一つ、ご友人の分も精一杯に生き抜くのだとの気概をお持ち賜りまして、お幸せに過ごして頂くことも、ご友人への大きなご供養になるのではないだろうかと拙生なりには思うところでございます。どうか、かおりさんは、かおりさんの人生をもっともっと大切にして下さいませ。

川口英俊 合掌

2013年4月6日 0:53
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有り難し
おきもち

一緒に幸せになってください

かおり様へ

ご友人との思い出は一生の宝物です。
亡くなってからもこうして思ってくれるあなたの存在。
きっとご友人は喜んでいることでしょう。
ぜひその宝物を大切にしてください。
なにかのときにふとご友人も思い出したときには
手を合わせてください。
それが一番の供養です。

私だけ幸せにではもうありません。
そのご友人と共に一緒に、ぜひ幸せになってください。
どんどん幸せになり、いっぱい楽しんで笑ってください。
きっとご友人もそれを望んでおります。合掌

2013年6月25日 13:44
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おきもち

鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...

かおり様。今貴女が幸せにならないでどうしますか。

今貴女が幸せになる事が、亡くなったご友人の魂に報いる事にも成るのですよ。
貴女がこの世で、亡くなったご友人の事を心がけておられる時、
其れが亡くなったご友人の供養に成るのですから、良きプラスの気持ちで思いを寄せる事をお奨めするのです。
ですから、貴女は幸せになって、プラスの気持ちでご友人の供養の為、思いをしてあげる事を為さって頂きたいのです。

2013年4月7日 6:11
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有り難し
おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...

質問者からのお礼

今は、ある本を読んでいます。勿論、数人のお坊さんが書かれた本です。
なので、もう、立ち直ってます。本当にありがとうございます。

鈴木光浄さん、返信遅れましてすみません。ありがとうございます。

友人の分まで幸せを見つけます。頑張ります。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

震災で亡くなった母の気持ち

3月11日震災の日が近く、ある女性の手記を目にしました。その女性はお母さんと一緒にいる時に津波が来て逃げようとしたところ、お母さんは瓦礫に挟まり身動きが取れなかったそうです。 でも津波はどんどん迫ってきて、女性はお母さんを置いて逃げる事しかできなかった。その気お母さんは、「待って!行かないで!助けて!」と、ずっと叫んでいたそうです。女性は「ごめんなさい…ごめんなさい…どうか許して…」と、胸を引き裂かれる思いで避難したとの事でした。そしてお母さんは遺体で見つかったと…。 9年経つ今でも、ずっとお母さんの声が頭から離れず苦しんでいらっしゃいます。一緒にいてあげれば良かったのか、何とかできなかったのか…という思いが何度も押し寄せるそうです。 少し話は違いますが今まで質問させて頂いた通り、まもなく私には赤ちゃんとお別れした日がやってきます。それに加えて震災でのこうした手記などを読み、最近は命や魂が救われているのかをよく考えます。 この世に生まれる事なく空へ帰った赤ちゃん(水子様)は一切の恨みや煩悩は無く、私などが思うより限りなく純粋な魂であり、母が幸せに前を向いて生きていく事を望んでいるとハスノハで学びました。本当に尊いです…。また、煩悩などは生まれてから大人になるにつれて身に付くものだとも学びました。人間には生きたいという本能があると思います。だから女性のお母さんは、そう叫んだのだと思います。 赤ちゃんはこうした気持ちは持っていないかもしれません…。でも女性のお母さんの魂や思いは、仏様に救われているのでしょうか?本能でその瞬間は助かりたいと叫んだのだと思います。でも、娘さんである女性がずっと苦しむ事を望んでいるわけでもないと思うのです…。女性が間違った行動をしたとは思いません。自分の事もお母さんの事も、助けようと必死だったはずです。私なんかがとてもおこがましいですが、自分とリンクして考えてしまいました。赤ちゃんを助けたかった、本当は自分が死んでもいいかは産んであげたかったです…。それができなかった酷く愚かな母です。 でもそんな私を清らかな赤ちゃんは受け止めてくれていると学びました。女性のお母さんも今は救われているのでしょうか?女性を恨んだりなどしていないと信じたいです。 長々とすみません。色んなご意見をお聞きしたいです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

母が亡くなりました。後悔ばかりです。

つい先日、最愛の母が亡くなりました。 約8年前に乳癌がみつかり、すでにステージ4。 自分はいつも後まわしの家族思いの母は、私や姉、父の入退院で大変だったこともあり、自分の体調変化をわかっていながら病院へ行くのが遅くなりました。 母にとっての宝物は家族。 娘や孫のために長生きするとツラい治療を頑張ってくれていました。 ひ孫も産まれ毎日楽しく暮らしているなか脳に転移し、手がつけられないと医者から告げられ入院して10日で亡くなりました。 優しくて、家族が大好きで、我慢強くて。明るく、常に前向きで、母の口から誰かの悪口や弱音も聞いたことないような素晴らしい人でした。 病院では、母が『私もう長くないね…』って。涙が止まらずにいる私に、自分が1番ツラいはずなのに私の涙をふいてくれて『泣かないよ』って。 母は、『私は幸せだった~』って何度も言ってました。私が『貧乏で、お金なかったのに?』ってきくと『良い娘、孫、ひ孫に恵まれたから、私は幸せだった~』って言ってくれるんです。 『生まれ変わってもまた私の娘で産まれてきてね』って母は言ってくれました。 私と姉が出来るのは、亡くなるその時を、ひとりにさせないこと、そして痛み苦痛がないようにでした。母は寂しがりだったので。最期は母は自ら、家族写真を手に取り、大好きな孫に手を握られ、家族に見守られ亡くなりました。 亡くなったあとも私は後悔ばかりで涙が止まらず前に進めません。 私がはやく脳転移の異変に気付いていれば。体の不調を言ってくれてたのに。どの医者に言っても脳転移は誰も分からなかったようで。でも私が何度も医者に言えば良かったのに。家に帰りたいと言う母、病院に連れて行かないで家で看とり出来るようにしてあげれば良かったとか。 ひ孫と遊んでいる幸せな母の顔を思い出しては、なんで助けてあげられなかったんだろうと後悔ばかり。 母は、家族一人一人に手紙を残してました。 家族の心配と、自分が病気になって迷惑をかけたという内容です。 私はもちろん家族も迷惑かけられたなんて一度も思ったことありません。 家族にとって母は、大きな大きな存在でした。 私は自分が大好きな母を殺してしまった気持ちから抜けられず、寂しくて悲しくてツラくて。 私を信じて一緒に治療を頑張っていてくれた母。私のせい…。。

有り難し有り難し 40
回答数回答 2

おじいちゃんに何もできなかった。

初めまして。1人で夜中に何時間も考え悩んだ末に、投稿させていただきます。 僕は昔からおじいちゃんが大好きでした。実家の横が祖父母の家なので、頻繁に通い、祖父にとても優しくされた記憶が今でも鮮明に蘇ってきます。 そんな中、高校進学を機に部活等々で忙しくなりあまり顔を出すことが出来なくなりました。ちょくちょぬ顔は出してはいたのですが、これといって特別なことをするわけでもなく時間が過ぎていきます。 高校卒業後は、海外の大学に行く予定でしたので、さらに会う時間が減るのだろうと思っていた矢先、祖父の体調が悪化し(肺炎、肺がん)、渡米3ヶ月前には病院のベッドから起き上がるだけで精一杯の状態へ。 昔から力強く優しい祖父を見ていたこともあり、その段々と弱っていく姿を見るのがとても辛かったです。 渡米前日のことです。今でも鮮明に覚えています。その日病院へ行く前、母親からは「最後の顔合わせになるかもしれへんけど、ありがとうはまだ言わんといてな」と言われました。 病室に入るといつも通り会話をしていたのですが、今まで僕の前で泣いたことのなかった祖父がいきなり泣き崩れました。「いかんといてくれ」「ずっと日本おってくれ」と。 心の準備は出来ていたと思ってましたが、全く出来ていませんでした。 結局、祖父は僕が日本にいない間に亡くなってしまい、亡くなる時立ち会えず、葬式すら参加することは出来ませんでした。 既に一年以上経ちますが、後悔しかありません。 なぜあの時に、日本に留まる決意ができなかったのか。なぜあの時にありがとうすらいえなかったのか。なぜ、僕はこんなにも祖父に対して何もしてあげられない孫なのか。 僕以外の家族は、既に心の整理ができているようなので、これを相談すると、また悲しい空気が生まれるのではと思い相談すらできません。 祖父に感謝の言葉すら、かけることができませんでした。最後の顔すら、見れませんでした。何もしてあげれることが出来ませんでした。 この後悔は、どうすれば良いのでしょうか。最近、祖父に謝るために、いっそ死んで会いに行った方が良いのでは?とも考えてしまいます。 僕は今から亡くなった祖父に出来ることはあるのでしょうか。何をすればこの後悔を和らげることが出来ますか。 回答、よろしくお願い申し上げます。

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母の死の後悔

今週月曜日に心筋梗塞による心不全で母が亡くなりました。 母は、要介護2で、ある程度家の中を歩くことはできましたが、軽い認知症でした。私は、腎臓病でこのままだと透析と医者に言われている状態もあったのですが、ここ数か月、私自身会社を退職し、母の面倒を見ながら、自分の腎臓の温存療法中でした。そのため母には、何かできない事があると、しっかりして、透析になったら面倒見れないよ。などと言って、喧嘩することもありました。 日曜には、そのことが母の頭にあったのか、洗濯を自分で行おうとして、紙パンツを洗濯機で洗ってしまい、洗濯機を壊してしまい、その事で母をかなり叱咤してしまいました。 亡くなる当日、珍しく私が起きて食事を作っていると、痛み止めが欲しいと私の所まで来て「痛み止めがないか」と薬を欲しがりました。土曜には法事があり、日帰りで横浜、前橋を往復したのですが、その影響で、腹痛、背中痛が起きたのだと思っていました。(今思えば、かなり痛くて、私が起きるまで我慢していたのかもしれません。) 薬は飲ませましたが、その日、朝食も食べず(いつもの嫌いなものを残す)、食べないなら、今日はゴミの日だから自分で捨ててきてと喧嘩をしてしまい、母を責めてしまいました。デイサービスの迎えの時も、行きたがらなかったようで、半ば無理やり、デイに行ったようです。午後、調子が悪いようでと連絡があり、車で迎えに行き、そのまま近くの診療所へ行きましたが、駐車場から診療所まで歩くのも痛い痛いと言いながら診察したのですが、診察後、待合室でか細い声で、痛いよ痛いよと言いながら、うずくまってしまい、動かなくなってしまいました。その後救急車で救急病院に搬送されましたが、そのまま亡くなりました。 前日の私の行いや、当日の態度、診療所に連れて行きながら、気づいてあげる事が出来なかった事、非常に後悔し、苦しいです。母の痛いよ痛いよという声が残って、悲しみがこみ上げてきて、辛いです。 今週末、通夜、告別式ですが、家で安眠している母に、どう接すればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 20
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看取りの後悔

先日同居している祖父が亡くなりました。ですが、その時の対応に後悔しています。 私と叔父は看取れましたが、一番祖父と関係が近かった母と祖母は看取れませんでした。 その日、母は買い物をしてから家に帰っていました。いつも通り母が会社からどこにも寄らず帰ってきて、祖母を連れて病院に来ていれば祖父の最期に間に合っていたと思います。 私は医療を学んでいるので、祖父が亡くなる1時間ほど前、祖父の状態の変化から、保ってあと数時間かもしれないと思っていました。ただ、まだ学生なので自信もなく、母や祖母を無駄に心配させたくないと思い、その時点では電話もしませんでした。 今思うと、あの時電話してあげていれば、母と祖母は祖父の最期に間に合っていたのではないかと思います。母も祖母も、あの時買い物していなければ間に合ったと後悔しています。 母と祖母には、異変を感じていたことは言っていません。これから先も一生言えません。墓まで持っていくつもりです。 二人には、祖父は母と祖母に最期の瞬間を見せたくないから、二人以外に祖父と同居している私と叔父がいる時に亡くなったのではないかと言っています。少しでも心が楽になるのではと思ってのことです。 ですが、私の中では異変を感じた時に呼んであげていればと後悔しかありません。 今となっては祖父の気持ちも分かりませんので、母や祖母が死の瞬間を見てショックを受けないようにだとか、急いで来て事故をしないように考えてくれていたのかもしれませんが、本当は祖母や母にそばにいて欲しかったのかもしれません。 母と祖母への対応はこれでよかったのでしょうか。少しでも後悔をしないように、心を楽にしてあげたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

母親を見殺しにしました

末期癌の母を自宅で看病して3週間で、結果的に独りで逝かせてしまいました。 自宅に戻ってすぐは、歩けて少し食べれる状況だったので、母が退院して自宅に戻ってくれて嬉しかったです。 先は長くないと解っていても、急速に悪くなる母を直視出来ず、なぜ歩けないの食べれないのという苛立ちから母に冷たくあたってしまいました。 かなり苦しかったはずなのに、ギリギリまで痛みを訴えず。。 キツイ身体に鞭打って、母の誕生日に1泊旅行に一緒に行ってもらいました。 母は旅行中は身体がしんどく、楽しめていませんでした。最後の思い出にと連れ出した感じです。 旅行から帰宅した夜に、痛みを訴えたので痛み止を多目に飲ませました。 疲れているので寝ようね、と。 疲れていたのは私だったからです。長時間運転、寝不足、母の痛み。。イライラしていました。 お布団に入れてあげると、いつものようにありがとうと言ってくれました。 明け方、母はお手洗いに行った戻り、ベッドまで上がる力すらなく力果て、寒い畳の上に縮こまって亡くなっていました。 隣の部屋て寝ている私に声をかける声量もなく。。 それなのに私は旅行疲れから、普段は7時前に起きるのにその日は10時と寝坊。。冷たくなった母をみて、私が殺したのだと確信しました。 私はすぐ隣の部屋に寝ていたのに疲れているを理由にして様子を見に行かなかった。朝5時に様子を見に行っていたら、生きていて、優しくベッドに戻せばまだ数日生きれた気がします。 私が寂しくて、母に癌になった事を責め、寂しいと泣きわめいた時、ずっと優しく私の体をなでてくれました。 母が一番苦しく辛かったのに。 母こそ一番辛く痛い中、私を気遣いつづけてくれました。なのに私は看病で優しさを返せなかった。 旅行から戻って具合が悪そうな母に対し、何もしなかった。気付いていながら何も。トイレにもつきそわず。 母を見殺しにしたのは私です。 謝りに行きたいです。 お母さんに会いたいです。 独りにさせて、不安にさせた事を死にたいほど悔やんでいます。

有り難し有り難し 25
回答数回答 1

ただ聞いてほしいだけです

ただ聞いてほしいだけです。 身内や知り合いではない誰かに聞いてほしいのです。 2日前に母が病死しました。 ひとりになると辛くなり、母に対する後悔がたくさん出てきて、涙も止まらず、もうどうしようもない気持ちになります。 母が病気で心の支えは娘の私だとわかっていたけれど、受験勉強を言い訳にしてお見舞いもほとんど行かず、臨終にも立ち会うことができませんでした。 病気で苦しんでいる母を見たくなくて母と会うことを避けていました。 それを知っての祖父の気遣いだったのだと思います。母の死に間際、苦しんでるその姿を私に見せてはいけないと判断して、母が亡くなった後に私に連絡が入りました。 臨終に立ち会えなかったこと。お見舞いにほとんど行かなかったこと。私の勉強のサポートをしてくれたのに、病気の母をサポートできず、寄り添えなかったこと。病気の母を友達に見られることが恥ずかしくて、高校最後の体育祭を見に行きたいと言っていた母を来られないように入場券を渡さなかったこと。病気の原因であるお酒を必死に、全力で、止めれなかったこと。今まで散々酷い言葉を言ってしまったこと。わがままばかりで迷惑をかけたこと。 ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。後悔しています。ごめんなさい。

有り難し有り難し 15
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亡き父への後悔ばかりで苦しい

先日、父が咽頭癌で亡くなりました。12年前に若年性認知症を発症(原因は、私が出産の為に実家通いが出来なくなるので一人暮らしの父を2カ月程住まわせ気疲れさせたのが原因かもしれません。)認知症の薬を絶やさないよう12年ほぼ毎日車で往復40分かけて実家に、父の好きなお酒と一緒に持って行くのが日課になっていました。数年は苦にもならなかったのですが、私の子供も大きくなるにつれ段々と父の存在が煩わしくなっていきました。4年ほど前には、私自身が鬱症状が出てしまい、同時期に子供も人間関係から不登校になりメンタル面も弱まり学校を転入したり、またその下の子供も同じく高校に暫く通えなくなるなど4年の間にとても大変な事ばかりでした。父の病気が発覚したのは余命1カ月と宣告された8月の事です。振り返ってみれば、父の異変に気付いたのは半年程前でした。声がれの症状でした。でも私にはそれくらいの事など気に止める余裕すらありませんでした。6月久しぶりの病院の受診、先生にも食事の咳き込みで癌ではないかと尋ねてはみましたが肺炎になっていてそちらを優先に治すと言う事で耳鼻科の受診も2カ月が経つまで先延ばしにしてしまいました。その間は私の家で父親を住まわせ食事や薬の管理もしていましたが、2番目の子供の不登校と重なり、子供の事が一番大事一番心配で、父親の事など邪険にしていました。食事をする度に咳き込み額には汗びっしょり、冷房もない部屋に扇風機だけ、しかもお粥を作ってあげたのは家に居た最初と最後だけ、あとは普通食でした。もう既に私は、父と目を合わせて会話する事もなく、イライラして怒鳴ってばかり。私は独り言で「早くくたばればいいのに。死ねばいいのに。」と言った事もありました。最低な娘です。こんな性格の私じゃなかったはずなのに本当に鬼のように変貌していました。しかし、余命1カ月と宣告され病院生活になってからは、鬼のような私は消え去り、父に直接今までの事を詫びたりもしました。認知症の父は、私から邪険にされていた事など覚えていない様子でした。そして最期の時も、2人姉妹である私と妹で看取ることが出来ました。しかしやはり4年間父親をないがしろにしたと言う事がどうしても消え去りません。本当に父に申し訳なかっと涙が溢れ出てしまいます。出来る事ならもう居ない父親と交信し、謝りたい。許してくれなくてもいいから謝りたい。

有り難し有り難し 9
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