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友人の死について

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約20年前に通っていた学校で出会った友人が18歳と言う若さで亡くなりました。死因は不明のままなんです。
友人とは3つ歳が離れているんですが、当時はいつも一緒にいました。
波長というのでしょうか?話を交わさなくても友人がそばにいるだけでも幸せに感じていました。いつも友人から幸せを分けてくれました。なのに私は、何もしてあげられませんでした。恩を仇でかえしてしまいました。
友人の死を知った時は、もう頭の中が真っ白になり、何も手につかなくて軽いノイローゼになってしまいました。何かつらい事や嫌なことがあると、彼女のところへ行きたいと思っていました。
今は、あまり笑わなくなったり、私だけ幸せになってもいいのかな?と思っています。本当に、私だけ幸せになっていいのでしょうか?
夏になると友人との思い出がよみがえり、毎日ないています。

2013年4月5日 11:53

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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

月ではなく、お月様になってください。

これは自然の摂理の話というわけではありませんが、

太陽は常に恵みの光を注いでくれています。
その恩恵を本当に知っている人は、太陽のことを「お日様」「お天道様」と敬い、親しみ、尊ぶものです。なぜなら、お日様によって、いかに自分が支えられているかということを深く知っていて、「有り難い」という感謝の心を持っているからであります。

月は、昼間はあまり見向きもされませんが、闇夜に光を注ぐ星となった時、闇を恐れる人たちにとっては、ありがたい「お月様」となります。

亡くなったそのご友人が仮に太陽であるとします。
あなたが、その友人の太陽の光によって照らされた月であるといたします。

その友人はあなたに恵みの光を注いでくれたし、照らしてくれたから、あなたにとっては、ただの太陽ではなく有り難い“お日さま”です。

お日さまに照らされた月のあなたは、今も尚、朋友から授かった(照らされた)光を帯びています。

ですが、あなたはまだ残念ながら、お月「様」になってはいないのです。
何故なら、あなたはまだ誰かに恵みの光を十分に注いでいないからです。

その人といると心地よかったはずでしょう。
その人といると心を開けたはずでしょう。
あなたは、友人の恩恵によって十分に光り輝いていることを自覚するべきです。
あなたが救われた光を、一人で享受するばかりでは無く、出逢う人たちに、めぐらし向けるのです。
その光とは、
・笑顔であってもいい
・優しい言葉であってもいい
・手助け
・怒らないでいること
・話を聞いてあげること
…など、あなたが友人といた時に心地よかった事なら何でもいいのです。

“自分も相手も、共に心が利益(りやく)される行為、これを利他行ともうします。

あなたがこうした誰かを利益し、照らす行為を、恩返し、報恩の行として続けていくことで、初めてあなたは、月から“お月様”へとなるのです。。

それが、あなたの大好きだった友達と本当に肩を並べることであり、報恩の供養であり、あなたと親友が永遠にこの世で歩んでいくための法です。

今日から、ぜひ毎日の中で実践してください。
友人があなたにしてくれたような心地よさを、だれかにしてあげることです。
必ず、あなたの心の中の友人が微笑みかけてくれるはずです。

2013年4月26日 23:58
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

仏さまは人の幸福を願う

かおりさん

20年ほど前に亡くなった親友を、今でも強く思っていらっしゃるのですね。

不謹慎だと思われるかもしれませんが、それだけ思われる友人を、私はうらやましいとさえ思いました。
もし私がこの世を去って20年後、これほど思ってくれる友人はいるでしょうか。正直に言って自信はありません。

友人から得た幸福感、それに対しかおりさんは何も返してあげられなかったと受けとめていらっしゃるのですね。
助けてあげられなかった無念さを「恩を仇で返す」と表現されているのだと思いますが、でもかおりさんが友人のいのちを奪ったわけではないのだと思います。

悲しんでくれることはともかく、引け目にまで感じていらっしゃるのなら、友人は悲しい思いをされているのではないでしょうか。
かおりさんが友人から幸福感を受けたのと同じように、友人も幸福感を抱いていたのでは、と思います。

私の宗派では、亡くなった方は1人も例外なく仏さまとなり、悩み苦しみの無い世界(浄土)に往き、私たちを見守る存在となっている、と考えます。
仏さまは、私たちの幸せを念じています。ましてやそれほど強い友情で結ばれた仏さまです、かおりさんの幸福を願っていないことなどあるでしょうか。
自分が得られなかった幸せも手にして欲しい、そう願っていらっしゃると、私は信じています。

もうすぐ夏。この季節に何か思い出があるのですね。
でも今年の夏は友人に見守られていると信じて、明るく晴れやかな夏を過ごしてみませんか。

2013年4月5日 12:16
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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

友人の願いを受け止める

ご友人が若くしてなくなった。その友人に何もしてあげられなかった。
そういう思いに苦しんでおられるようですね。
何もしてあげられなかったという悔いは、非常に重いものだと思います。

あなたは「恩を仇で返した」とその思いを表現されていますね。
あなたの受けたショックは大きく、つらい思いを引きずっておられるのだろうと想像いたします。

大切な友人を亡くしたという喪失感は、なかなか乗り越えようと思っても乗り越えられないものです。
しかし、その友人の方は、あなたが幸せになることを望んでいないのでしょうか?

浄土真宗の教えには「還相の回向(げんそうのえこう)」というものがあります。

亡くなった方は、阿弥陀様のお浄土に生まれ、諸仏となって、私たちを教え導くために力を尽くされます。
そういう諸仏(仏)となられた友人の方の願いは、あなたが救われることなのではないでしょうか。

友人の方は、あなたに願いをかけられておられます。
その願いは何なのか?
仏様に手を合わせ、そのことを考えてみてください。

そこからあなたの道が開けてくるのではないでしょうか。

2013年4月5日 12:22
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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職

「愛別離苦」へのアプローチ

かおり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

互いに深い精神的な繋がりを感じる大切な人のことを「ソウルメイト」と申しますが、まさにご友人はかおりさんにとって、かけがえのない「ソウルメイト」と言える存在であったのではないだろうかと存じます。

親愛なる人、大切な人、かけがえのない人との別れの苦しみ・・これは八苦の一つ「愛別離苦」と申します。

「愛別離苦」への対処については、釈尊の善巧方便行の一つとして「キサー・ゴータミーへの説話」がございます。愛児を失った母親の苦しみへの諭しとなっておりますが、この説話において釈尊は、生ある者は必ず死すること、どんなに愛すべきかけがえのない者であっても死などでの別れは避けられないことをゴータミーに悟らせて、諸行は無常であること、諸法は無我であることへの気づきのきっかけをお与えになられたものであると考えられます。

かおりさんも、まずはご友人との別れの現実をしっかりと受け入れること、そして、後悔や悲しみの苦しみの現実もしっかりと受け入れることが大切であると存じております。この「Hasunoha」にて打ち明けられたこの機会において、どうか一つの区切りとして今一度、その後悔や悲しみを苦しみきって下さい。みっともなく泣いて、叫んで、その想い、感情を出しきってみて下さい。今のかおりさんの支えになって頂ける方がそばにいらっしゃっても構わないでしょうし、全く一人になれるところでも良いでしょう。

そして、更に、そのご友人の冥福を祈って、慰霊供養の旅に出てみるのも良いかと存じます。例えば、目標を定めた上にて、四国・お遍路行脚や朱印お参り廻りなどはいかがでしょうか。この機会において、各ご本尊御仏様にご友人のご冥福を祈り願いきってみて下さい。

そして、この拙提案を受け入れて頂いて、この区切りをなし終えてみた時、かおりさんはどのような心境、想いとなられていらっしゃるのか、またこの「Hasunoha」にて教えて頂ければと存じております。

もう一つ、ご友人の分も精一杯に生き抜くのだとの気概をお持ち賜りまして、お幸せに過ごして頂くことも、ご友人への大きなご供養になるのではないだろうかと拙生なりには思うところでございます。どうか、かおりさんは、かおりさんの人生をもっともっと大切にして下さいませ。

川口英俊 合掌

2013年4月6日 0:53
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おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

一緒に幸せになってください

かおり様へ

ご友人との思い出は一生の宝物です。
亡くなってからもこうして思ってくれるあなたの存在。
きっとご友人は喜んでいることでしょう。
ぜひその宝物を大切にしてください。
なにかのときにふとご友人も思い出したときには
手を合わせてください。
それが一番の供養です。

私だけ幸せにではもうありません。
そのご友人と共に一緒に、ぜひ幸せになってください。
どんどん幸せになり、いっぱい楽しんで笑ってください。
きっとご友人もそれを望んでおります。合掌

2013年6月25日 13:44
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おきもち

鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...

かおり様。今貴女が幸せにならないでどうしますか。

今貴女が幸せになる事が、亡くなったご友人の魂に報いる事にも成るのですよ。
貴女がこの世で、亡くなったご友人の事を心がけておられる時、
其れが亡くなったご友人の供養に成るのですから、良きプラスの気持ちで思いを寄せる事をお奨めするのです。
ですから、貴女は幸せになって、プラスの気持ちでご友人の供養の為、思いをしてあげる事を為さって頂きたいのです。

2013年4月7日 6:11
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おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...

質問者からのお礼

今は、ある本を読んでいます。勿論、数人のお坊さんが書かれた本です。
なので、もう、立ち直ってます。本当にありがとうございます。

鈴木光浄さん、返信遅れましてすみません。ありがとうございます。

友人の分まで幸せを見つけます。頑張ります。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

母が亡くなりました

一緒に住んではいませんでしたが母が亡くなるまで短い時間でもほぼ1日1回は顔を合わせていました。 そんな母と、一緒に同じマンションで暮らせる(階はちがいますが)ようになり6日目、私が作った朝ゴハンのおにぎりを喉につまらせ急逝しました。 私が仕事で急いでいて寝ていた母を起こしボオッとしていた母に食べさせたのがいけないんです。 私は今まで母の通院にも必ず付き添い買い物も一緒に行ったり買い出ししてきたり周りから見たらいい娘だったかもしれません。 でも実際実家では、寝てばかりで何もしない(病気のせいでダルかったんだと思います)母を怒鳴り泣かせタッパーのような物で頭を叩いたり本当にひどい娘でした。 手も悪かった母はシッカリ歯磨きできないこともあり口が臭うことがあると臭い!と怒ったり、シートベルトが出来ずモタモタしているとベルト出来ないなら乗せないよ!と怒鳴ったり、転んで腰が痛いと言っていた母に寝てばかりいるから悪いと怒鳴ったり・・・しかし母は腰を圧迫骨折していて痛かったのだと後々わかりました。 圧迫骨折の影響で歩くのが困難になり始め腎臓も悪くなり透析の準備の手術もし施設か自分の家の近くに住んでもらうか悩んでいたところ私のマンションの1階が空いたので母に施設と私と同じマンションに住むのどっちがいい?と尋ねたらマンションと言ったので契約をしトントン拍子に物事が進んでいきました。 実家の荷物は遺品整理屋さんで生前整理として片してもらった矢先、母が亡くなりました。 母の物はほぼ無くなって本当の遺品整理になってしまい喪失感がひどいです。 母が大好きだったし優しくしたいと常々思ってはいたのですが仕事と家のストレス等で母にあたってしまい以前の母なら出来たはずなのにナゼ出来ないとの戸惑いもあり日々会うたびに怒ってばかり。 母は言葉が出づらかったので反論もせず私に怒鳴られ叩かれ泣き毎日辛かったと思います。 今は何で優しくしなかったのか、なんで急いでおにぎりを食べさせたか、何で詰まった時にゴボゴボ吐き出す母のお茶を取り上げてしまったか後悔の毎日です。 仕事が早く終わると母に買い物に行く?と電話をしていたのに電話しても出てくれる人もおらず今は母がいなくなった時間で何をしたらいいか・・・。 遺影に毎日お母さんゴメンねと語りかけ涙する毎日です。 この喪失感と悲しみと絶望と後悔はどうしたらいいのでしょうか

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叔父が亡くなりました

今月の7日に大好きだった叔父が亡くなりました。叔父は私の母の兄であり、片親の私にとっては父親のような存在でした。 生前、叔父は大病を患い奇跡的に回復し仕事を無理のない範囲で出来る程までになりました。亡くなる数ヶ月前から再び体調を悪くし入退院を繰り返していましたが、弱ったところを見せたくない心配させたくない、という叔父の思いから私と母やそれ以外の人にも内緒にしていました。叔父からの連絡がないので心配した母と私が叔父の元を訪ねて、体調が悪いことが発覚しました。 それからは心配で、定期的に叔父宅を訪ねていました。体調が悪い中でも、前向きに回復へ向かおうともがいていましたし私達もきっと良くなると思いながら叔父を見守っていました。 最後に会った時は、いつもより調子が良さそうで沢山お話ができて笑顔の時間もありました。それから1ヶ月経たないうちのお別れで後悔ばかり残っています。 私は祖母(叔父の母)と母の三人暮らしです。 祖母には叔父の病状を全く知らせていませんでした(叔父の意向もあって)。なので、久しぶりの対面がこんな形になってしまった事に後悔しています。祖母は滅多に泣かない人で、私は祖母の涙を一度も見たことはなかったのですが、斎場での最後のお別れの時間涙を流して悲しんでいました。母も突然の事でショックが大きく葬儀が終わるまで泣き続けていました。 時間が解決してくれるとは思いますが、2人の悲しみを少しでも和らげて支えてあげたいです。 私はどのように立ち振る舞い2人に声をかけてあげたらいいのでしょうか。 また、亡くなった叔父は私達のことも見守ってくれているのでしょうか。

有り難し有り難し 3
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母が旅立ちました 私は酷い娘です

母が20日前に亡くなりました 認知症と肺疾患を患っていた母 父からの暴力を受けてた母 主人が単身赴任していたこともあり 3年半前に私が引き取り 2人で暮らし始めました 話が噛み合うことも たまにはありましたが 認知症のせいで 人格障害 激昂や 私に執着したりする症状 子供返りに 悩まされました 私は母を引きとることに 躊躇していました パートで仕事に出ている間 母を1人で置いてくのが不安だったため デイサービスやショートステイを頻繁に利用していました ショートステイに行ってる間は 会社帰りに寄り道できたり 自由を感じていました 自分の事を最優先にして 母の事は二の次でした 亡くなる二、三ヶ月前から 肺機能が極端に悪くなり いつ亡くなってもおかしくない状態でしたが その頃から 夜中ベッドから私を大声で呼びかけるようになりました トイレに行きましたとか ベッドに上がらせてとか 私は知らんぷりを決め込み 母を手助けしませんでした 翌朝 母に 聞いても 覚えてないと言ってました 母が自宅にいる日は毎日続きました 失禁も多くなり 痰を洗面台に吐きっぱなしにしたり 尿の臭いがキツく ティッシュを無駄遣いしたり ご飯要るといいながら 食べなかったり 私は自制心が効かなくなり 母に酷い言葉を浴びせました オムツ交換の時も足を上げようとしない 母の足を何度も ペチペチと叩きました 母は二酸化炭素を排出できない病で 運動機能や記憶 排泄機能 いろんな ところに障害がでていたことに 私は気づきませんでした 私は小さな頃から 父が母に暴力を目の当たりにして 育ちました 母が沸騰したお湯を床に置いてしまった せいで 幼い私は足を突っ込み 火傷を負い 傷が残りました 先天性の股関節の病もあり 自分は母に 迷惑ばかりかけられていると詰りました 母が倒れる前の晩にそんなことを言いました これまで何度も母と離れたいと思ってきたけど 限界に近かった 本当に心底母から離れたいと思ってしまいました そして 母は倒れ 丸2日苦しんで 私は母を見送ることも出来ず旅立たせてしまいました 母に酷いことばかりして 母に優しくしてあげることができず 悲しい記憶ばかりが残ってしまいました 母に謝まりたい でももう届かない 苦しくて 辛いです 私はどうしたら良かったのか わからないままです

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兄の死 後悔

兄が亡くなり3週間立ちました。兄は事故にあい、一度死にかけた命を一度とりとめ、必死でリハビリをして頑張っていました。私は出産したばかりで兄に一度も会うことができないままでした。会いに行けないのには理由があり、精神的に不安定で暴力事件をおこし拘置所にいたからです。両親が出産したばかりだから会うのは落ち着いてからと言われていました。しかし、時は立ちましたがなかなか会いには行けませんでした。兄はいつも妹を心配してくれていたと聞きました。なのに、私は兄を見離してしまいました。とても心が優しく綺麗で繊細な人なのに、助けを聴いてあげることもできなくなっていました。苦しんで傷ついて辛い時を、私はどうにもしてあげれませんでした。両親も自分を責めているから、私は親の前では泣けません。兄が一生懸命生きる事を教えてくれているのだと思いますが、兄に会って優しい言葉を何でかけてあげれなかったのか、毎日後悔しています。潰されそうです。兄はお前は幸せになれよ!って、いつも言っており、私は兄が幸せじゃないと幸せにはなれんよ!って。本当に優しい兄でした。精神的に病んでからは人格が変わってしまい、手をつけられず、家族も何度も 崩壊しました。生きるか殺されるかの瀬戸際で暮らしていました。兄を憎むこともあったけど、リハビリを頑張って必死で歩こうとしてるのに、私は会いに行かず優しい言葉をかけてあげることもしないまま、兄は病院で窒息死しました。兄を想わない日はなかったですが、なぜ一目会って話てやれなかったのかと申し訳なさでいっぱいです。私は両親も心配です。兄が因縁を全て背負い込みかわいそうなことをしてしまったと。今の私はどうしたらよいのでしょうか?涙で枕を濡らす毎日です。主人や子供もいるから、ちゃんとしなきゃと思いますが、後悔で潰されそうです。

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叔母が亡くなり気持ちの整理ができません

1週間前に母方の叔母が亡くなり毎日のように叔母のことを思い出し涙が溢れてきます。 叔母は生涯独身だったため、家族がおらず私の家から1時間ほどの離れた土地で1人暮らしをしていました。 小さい頃は叔母と一緒に旅行に行ったり叔母が私の実家に来て泊まっていくということもありましたが、9年前に私が結婚してからは海外に住んだり出産育児で忙しく疎遠になっていました。しかし、1人で暮らている叔母のことはいつも心のどこかで気になっていました。 昨年の夏に叔母は骨折し入院していましたが、リハビリの甲斐あって4ヶ月ほどで自宅に戻れるようになりました。 その後、ヘルパーさんにご支援を頂きながら暮らしていましたが、母と父も高齢で頻繁に遠方の叔母の家に通うことは困難になってきたため私の実家の近くの老人ホームに呼び寄せようと思案していた矢先の突然の訃報でした。 退院の時に着る洋服を姉と一緒にプレゼントしたことが叔母にしてあげられた最後のことになりました。なぜ叔母に会いに行かなかったんだろう、会いに行けば良かった、元気なうちに会いたかった、ご飯でも一緒に食べに行けば良かった、美味しいもの食べられてたかな、何もしてあげられなかったな、などなど後悔の念が絶えません。 もうどんなに後悔しても叔母は戻ってこないし会えないことも分かっていますが、まだ気持ちの整理ができません。どのようにこの気持ちを整理したら良いでしょうか?ご教示願います。

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母への後悔

先月母が亡くなりました。 母は私の自慢でした。 いつも明るく少し派手で自由で…。 でも子供をいつも優先。 母と会話するのがとても大好きで…。 でもいつの頃からか… 母が病を患い、年老いていく姿に私の心はついていけなくなってしまいました。 ずっとそばにいて支えてくれた母を疎ましく思い、一緒に居て欲しかったであろう時ですら分かっていながら一緒にいてあげられませんでした。 入院した母が我儘を言う姿に苛つき、どれだけお金をかけているんだと罵り、母にあたる事で、私は精一杯しているんだと納得させていました。 優しさなんて1つもない、毎日嫌味しか言わない。それでも見舞いに行くといつも喜んでくれている母に苛つき、後悔しながらもその繰り返し。 亡くなるなんて思ってもいなかった。 急変し、最期ですら間に合わず。 後悔でいっぱいで苦しいです。 何故いつも見ていた母の様子が分からなかったのか、何故老いていく母を受け入れられなかったのか。 母の笑顔を奪ってしまった。 1人で寂しく逝かせてしまった。 私のために体を張ってくれる母だったのに 何故私は突き放してしまったのか とても苦しいです。 本当は変わらず大好きな母だったのに。 母に私の声が届いて欲しいと願い、母への懺悔ばかりを書き続けてしまうのです。

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母の死

先日母が心不全で急死し、後悔、罪悪感、寂しさでいっぱいです。 とても優しく献身的で尊敬すべき母でした。自らの祖母の介護、結婚後は両親を含む家族の面倒、子供達の世話、子供達が巣立ってからは母の介護と看取り、夫の半介護と、生涯にわたって温かく献身的に家族を支えて来ました。 なのに私は、自ら家庭を持つことで改めて母の偉大さを感じ取ってはいたものの、晩年、特に半要介護状態となったいわゆる昭和の亭主関白な男である父との関係など色々と悩みを抱えていたことを知りつつも親身になって支えてあげるでもなく、また長年の家族への献身で体も疲れ切っていた母の状態に気づきもせず、近々訪れるであろう父の看取りが終わったらいよいよ母にたくさん親孝行しよう、などとボーッとした考えで、同居していないとはいえ母が限界に至る前に手を打つことができませんでした。 寿命を伸ばすことが出来たかは、多分出来たはずだとの思いが強いですがはっきりとは分かりません。ただ、早めに何らか少しでも手を打っていれば、少なくとも晩年辛く寂しい思いをさせずに済んだと思うと、自分の無能さ、薄情さが悔やまれてなりません。太陽のように明るく活動的で優しかった母の息子とは思えないほどに、優しさ、状況をしっかり感じ取る能力と行動力に欠けていました。自分の生活を維持することばかりに目が向いてしまっていました。 母の無念さを思うと涙が止まりません。 私自身が今取り返しのつかない後悔を抱え悲しい思いをしていること自体は、自業自得であり、一生向き合っていこうと思っています。 せめて母は、死によって全ての苦痛から解放されたのだと、今は天国で安らかに眠っているのだと信じて、母の供養をひたすらにし続けたいと思います。 質問になっておらず恐縮です、今からでも何か母のためにできることがありましたら、ご助言いただけましたら大変幸いです。

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死んだ母に心安らかでいてほしいです

3/6、54歳の母を突然亡くしました。アルコール依存症で、それでも普通の生活を取り戻そうと頑張っていた母です。 両親が離婚していたため離れて暮らしていました。 酒を飲んだ母が嫌で、辛いことをわかろうともせず冷たい言葉も投げかけたことがあります。 母が亡くなった今となっては、なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろう、つらさをわかってあげられなかったんだろう、孤独を埋めてあげなかったんだろうと後悔ばかりです。 泣く回数は減りました。 けれど辛かったであろう母の晩年を想うと涙が出ます。 母の魂は救われるでしょうか? 生きているうちは恐らく辛いことだらけで、私がそれを除くこともできず、沢山寂しい悲しい思いをしたであろう母。 せめてあの世、浄土、言い方はわかりませんがその先では安らかでいてほしいと、毎日母に語りかけ仏様にお願いしています。 棺の中には「優しくできなくて、わかってあげられなくてごめん、大好きだよ」いうことを綴った手紙を入れました。私の気持ちは母に届けられるでしょうか? 手を合わせれば、気持ちは届くでしょうか? 49日が過ぎても、母に出来事を話したい、伝えられずにいた気持ちを伝えたいです。

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亡くなった母に後悔の念でいっぱいです

私は40代独身で、2012年に父を、2015年に母を亡くして姉と二人暮しです。 30代の時に隣に住んでいた親戚がアル中であたり構わず暴力をふるい、私も巻き込まれ、それから心を病んで対人恐怖症になりました。 その病気と容姿へのコンプレックスから結婚できず、また姉も性格のせいか結婚しないままです。 両親ともに兄弟姉妹が多く、それぞれの子供たち(私のいとこ)はほとんど結婚して子供もいます。 そのため私達姉妹は親戚から自立していないと蔑まれています。 母に何度も「孫の顔見せてあげられなくてごめんね、肩身狭いね」と言いましたが母は「一緒に暮らせるんだからいいよ」と言ってくれました。 母は若い頃から苦労し続けて私の父が暴力をふるってもずっと耐えてきました。 母に楽をさせたい、親孝行したいと思いながらも自分の病気が制御できず、母にあたったこともありました。 母は60代半ばで若年性アルツハイマー病と診断され、父が先に亡くなると認知症も激しく進行して晩年は一人では何もできないようになってしまいました。 そして最期は乳がんで亡くなりました。 何一つ親孝行できませんでした。 父が亡くなってからは母は仏壇に向かって阿弥陀経をあげつづけていました。 それを思い出して阿弥陀経をあげていますがまだ涙が出ます。 どうすれば母の死を受け入れられるのでしょうか。 母に恩返しができるのでしょうか。 母が親戚の間で肩身の狭い思いをしたことを思うと親戚にも会いたくありません。 母に会えるなら死んでもいいと思うこともあります。 どうしたらこの執着から抜け出せますか。 また、お釈迦様の教えをよく知って拠り所にしたいので分かりやすく読める本などありましたらお教えください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 10
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