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「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答(Q&A)一覧

かけがえのない母の死、「死」について

長年病と闘い、手術を繰り返しながらも頑張って生きてきた母が昨年4月に亡くなりました。  やはり長年病に苦しみ寝たきりだった父の介護を私と二人で必死にやって日中は一人で一生懸命やってくれました。私が帰るとたくさん話しかけられたのに言葉を発することのできない父に話しかけることに必死で母とは少ししか話せませんでした。  父が亡くなり母をこれから楽しませてあげようと思っていた矢先に毎週手術の繰り返しになり、退院後は一人で怪我したため朝母を送って残業後の夜までデイサービスを受けることになりました。  毎日忙しく人見知りするのにと申し訳なく思っていましたが、施設の人達は母をとても可愛がってくれて母も嬉しそうな顔をしていたのが唯一の希望でしたが、私の迎えも楽しみにして嬉しそうな顔をしていたのが可哀想で胸が痛かったです。  そんな母が入院して病院にも泊まれず、私が帰る時の淋しそうな顔は忘れられません。  母は病院や施設を転々とした後に最後の病院は、最期は介護施設と同等の病院だからと医療措置を取ってもらえず転院も断られ、胃ろうや点滴を止められて餓死するような状態で亡くなりました。  私は母が可哀想で可哀想で何であの病院に預けたのかと、普通の施設や病院であれば父のように最期まで医療措置を取ってもらえたのにと悔やまれてしようがありませんでした。    そして今回自分が手術を受け、自分や配偶者、両親の死について考えてしまいました。  生前母は、家に一人で言語障害の父と残されて娘は父の介護であまり話してくれず、自分は手術の繰り返しで殺してくれと叫んだ程の苦しみ、退院後は人見知りが激しいのに施設に預けれられ朝と晩しか娘といれない、入院後は娘と少ししか会えず自分の死が近くなり病院は措置してくれず自分の死に娘は間に合わず看取ってもらえなかったなど、どんなに淋しくて心細かったかと思うと母が可哀想で可哀想で胸が張り裂けそうです。  自分の術後の痛みや再発の不安、母への申し訳なさでパニック障害と不安症になってしまいました。  父母の死を経て「死」について納得していたつもりですが、この年齢なのに今回混乱してしまい分からなくなってしまいました。  今後どのような気持ちで日々過ごしていったらいいか、「死」についてどのように捉えて行けばよいのか、どうかご教示をお願いいたします。

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亡くなった母に申し訳ない気持ちでいっぱいです

私は母1人子1人という母子家庭で育ちました。 父がいないということを感じさせないほど、母は休みなく働き収入を得、愛情をたくさん注いでくれました。 私は辛いときでも笑顔を絶やさない優しい母が大好きでした。 しかし母は10年前に突然病気になり治療の甲斐もなく亡くなってしまいました。 心臓をえぐられたような感覚とともに、視界に入るもの全てが色を失って見えたほどのショックでした。 私は尋常ではない程荒れました。 お酒を大量に飲みタバコも吸い始め、毎日泣きっぱなしで主人にも当たり散らしてしまいました。 そんな中でも主人や周りの人達に助けられ支えられて、時間が経つごとに笑顔を取り戻すことができましたが後悔だけは今もなくなりません。 母の事は大好きだったのに、反抗期が長く反発ばかりしていたこと、泣かせてしまったこと、なんの親孝行もできなかったこと、楽しみにしていた孫を見せられなかったこと… 私が母の心労を増やしてしまい病気になってしまったんだと後悔することばかりです。 謝りたくて仕方ないのに、親孝行したいのにもうどうしようもありません。 この気持ちはどうしたらいいのでしょうか。 ご回答よろしくお願いいたします。

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昨年夏 母親を病気で亡くしました

昨年の7月に母親をガンで亡くしました。 おととしの秋、病気が分かってからは、母親を励まし、支えながら闘病生活に入りました。 昨年の2月からは、毎週100Km程離れた、大学病院まで治療に通いました。 6月には、病気の進行から、入院をしました。 入院後は、亡くなるまでの2か月近く、毎日、仕事終わり、休日も、時間の取れるときに病室に行きました。 親戚などは、良くしてあげたと言ってくれますが、後悔ばかりでいまだに母親の荷物の整理をしようとすると涙が出て、何も手を付けられません。 毎日毎日、病室に通ったのに、亡くなるとき、少し様子が悪いからと連絡したことで来ていた、弟夫婦に代わってもらい、家に帰った後なくなりました。 前日、具合が悪くなって徹夜でついていたのですが、お昼には笑いながら話ができるくらいだったので、油断してしまって・・・ 夜になって病院に到着した、弟夫婦に任せて家に家に帰ってしまったのです。 そのことが、後悔となって、すごく親不孝なことをしたと思えて、自分の中で処理しきれなくなっています。 生きていくことの気力が、でなくなっています。 どうすればいいのでしょうか? 宜しくお願いします。

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三途の川の渡し賃とおばあちゃん

祖母が亡くなって十数年も経つのですが、未だに後悔の念に苛まれる事があります。 それは、祖母が亡くなった時に棺の中に入れるはずだった、三途の川の渡し賃をこっそり盗ってしまった事…。 昔のお金で、確か10円のお札?とかだったように思います。とても珍しく、当時子供だった私は初めて見る通貨に大変興味を持ちました。 今は亡くなってしまった祖父が当時、祖母の為に渡し賃を古ダンスから出してきた記憶があります。 弟は昔から可愛がられる性格で、その時弟は昔のお金を貰えたのですが、私は貰えませんでした。そして、弟と渡し賃分だけで、古い通貨は終わりです。 私は弟に分けて、と言えず、よりにもよって祖母の棺から、こっそり渡し賃を盗ってしまいました。 そのまま葬儀も終わり、骨になってしまった祖母を見た時、強烈に後悔の念が押し寄せて来ました。何て事をしてしまったんだろう、祖母はもしかしたら三途の川を渡れずに彷徨ってしまうかもしれない、と。 今でもふと考えると、後悔と不安が頭の中によぎります。でも誰にも相談できなかった…。 祖母はちゃんと三途の川を渡れたと思いますか?? 何かお言葉を頂けませんでしょうか?

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亡き父との後悔の別れ

4年前に最愛の父を亡くしました。 私が結婚後も父とは良好な関係を続けていました。 5年前にある事件に巻き込まれて独身時代の全財産を失い、 その直後に病気が発覚してからも、私を優しく励まし続けてくれました。 でも精神的に大きなダメージを受けた私の心には届かず、 泣き暮らす日々を送っていました。 子供の為にもこのままでは駄目だと思い、前向きに頑張ろうと思い、 ある日、父と話がしたくなり、久し振りに電話をしました。 いつも優しい父は、その日はいつになく攻撃的な発言をして来て、 前向きに頑張ろうと思っていた私の心を傷付けました。 今思うと、たいした言葉ではなかったのですが、その時の私は、どうしても父の言葉が許せず、暫く父とは距離を置きました。 その半年後、母から連絡があり父の死を知りました。 父は私に暴言を吐いたあの日以来、ずっと体調が悪く入院していたらしいのです。 でも私に心配を掛けたくないと父は私に病気の事を告げないように母に口止めをしていたそうです。 父と最後にあったのは亡くなる前の1年前でした。 父とあんな形で別れた事を今でも悔やまれて、毎日後悔しています。 父に会えるのなら、謝りたいです。 謝って、感謝の気持ちも伝えたいです。 ちなみに事情があり納骨はまだです。

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亡くなった父を殺したのは自分だと思います。

約3か月前に父を亡くしました。父は進行性の難病を持ち、それでも本当に難病を持っているのかと思うぐらい、自分のことをは自分で行い、シッカリした生活を送っていました。 母は体が弱く、自分のことで精いっぱいながらも父のことを診てあげていました。 父は、穏やかな性格で、誰からも優しい人だといわれていました。自分のことよりも人のことを考えるような人でした。 そんな父に私は、日頃から厄介者的な発言をしては、父に涙を流させてしまっていました。 そんな父が、軽い肺炎から心臓が悪いことが判明し4週間の入院となりました。突然死もあり得るといわれました。でも、無理をしなければまだ生きることができるかもしれないともいわれました。 厳しいが、死を宣告されたわけではありませんでした。 退院後、帰宅を願う父に対して聞く耳を持たずに、自宅から近い老人介護施設へ自宅に戻らず入所させました。 それが母にとってもいいと勘違いしていました。 父は入院中から、難病からかと思われる無呼吸状態に頻繁、「息が苦しく辛い」訴えていました。 施設入所時は、話すこともおぼつかないぐらい弱り、延命的な治療は断り、本人の希望もあり、息が苦しいことを取り除く緩和を行いました。 食事は、入院中から私が「本人がほしがらなければ無理させないで」と言い、徐々に食べなくなりました。本人のことを思ってではありませんでした。勝手に父は死に向かっていて、苦しまないで逝かせてあげると解釈して行ったことでした。 徐々にモルヒネが増え、意思の疎通ができない寝たきりの状態になり、ほんの少し口にしていた食べ物もまったく口にしなくなり、枯れるように静かに逝きました。 最期は、私が看取りました。 ずっとつぶっていた眼を少し開けて遠くを見るようにしていきました。 私は父に対して最初、助からなくてもいいという思いを持ち、対応をしていました。父のことを考えず、自分が大変にならないことを基準にしてことを進めました。 私の行動は確実に死に向かわせていました。 助からないと分かった最期の4週間ぐらいから、やっと気が付き今までのお礼や詫びを伝えたりしました。 でも、父はもっと生きることができたと思います。奇跡もあったかもしれません。 父から受けた大きな恩を、私は大きな仇で返してしまいました。 今は泣いて暮らす日々です。 今私にできることを教えてください。

有り難し有り難し 17
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母親の死 後悔だらけです。

12月3日 約5ヶ月の闘病で私の母は亡くなりました。  私は、離婚して子供はなく実家に6年前出戻りました。 離れて住んでいる時はとても、仲が良く大好きな母親でした。 でも、最近は、ケンカもせず、私が話をするのも避け何日も母と会話しない日もありました。 (母に離婚の事をチクチク言われる事が嫌だった) 今は、その事が悔やんでも悔やんでもどうする事も出来ず母のお仏壇の前で毎日謝っています。 元気な頃、一緒にご飯が食べれた事や何気ない会話がどんなに幸せな事だったか、今思い知らされています。 朝昼晩と、母に出来たての仏飯をお供えするたび涙が止まりません。 私自身バチがあたったと思います。 一番私を愛してくれて心配してくれた母を無視して、最後は、自宅でお腹が痛いと言われ救急車で運ばれ、大動脈乖離で緊急オペをし5ヶ月以上も意識朦朧で食事も水も採れず会話も出来ずに亡くなりました。 母が居なくなってどんなに後悔しても母が帰ってきてくれる訳ではないけれど、今の私は、 身の置き場がありません。 心がぺしゃんこになりました。 兄姉も近所に住んでいるのに、初七日に自宅に来ただけでそれ以降、一度も母にお供えする訳でもなく、お線香もあげに来ません。 そんなものなのでしょうか? 時間がない人達ではないです。 その事について妹の私は、注意しても良いのでしょうか? 自宅前を、通るのにそのままスルーして手も合わせないのっておかしいと思うのですが? 私自身が偉そうな事を言えないのですが 今、母に出来る事は、手を合わせてありがとうお母さんと思う事しか私にはできないから、、 どんな事でも、バカな私に教えて下さい。 宜しくお願いいたします。

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亡くなった母に対する思い

私の母は、3年前に癌で他界しました。 話せばとても長くなるので、ここでは書けませんが母は父に捨てられたりとても辛い人生だったと思います。 なくなる2年前に母は56才で若年性アルツハイマーになりました。 父とは離婚していましたし、私には姉もいるのですがアルツハイマーで話がめちゃくちゃな母と話をするのも嫌だと近寄りませんでしたので、母子家庭だった私が母のすべてを受け入れ一緒に暮らし介護してきました。 母子家庭という責任もあるなかの介護だったので、私もかなりのストレスでした。 徘徊する母を何度迎えに行ったかわかりません… 元気な頃は母子家庭だった私を助けてくれた大切な母だったので日頃はストレスを感じながらも笑顔で接していましたが、2年たつころからイライラが酷くなり私も鬱になっていまい、母に怒り散らすようになってしまいました。 いろんなものを勝手に持ち出したり隠したりされる度、言ってもなにもわからないことはわかってはいながらも、怒りを抑えきれず怒鳴り恥ずかしながら最後は手まで出してしまいました。 これではいけないと、行政に相談し施設で生活するようにさせてもらいました。 母はその後約一年で癌になりすぐに亡くなりました。 亡くなる前のまだ話せるころは、母は姉や父が顔を見せても知らない人だと言いましたが、最後の最後まで私と私の娘の名前は覚えていて、顔をみると名前を呼び、一緒に帰りたいから連れていってと言いました。 どんな事情があったにしろ、今でも母に手を出してしまったことを深く後悔し反省して胸が苦しくなります。アザのある母がそれでも私の名前を呼びニコニコしていた姿が今でもハッキリ頭に残っていて忘れることができません。 思い出すたびに涙がとまりません。 いくらお墓参りに行っても心が晴れません。 この気持ちは母には届いているでしょうか…母に許してもらうことはできるでしょうか… とても苦しいです 反省し、母に気持ちを伝えたい反面心の奥で『私も大変だったから』という気持ちがどこかにあるせいでこのような自分を守るような書き方になってしまっている…ということもわかってはいます。 そんな気持ちになってしまう自分も許せません… 混乱して長文になり申し訳ありません

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自ら死ぬ時、まわりを後悔させたくない理解してほしい

2度目の質問を書きます。 お盆には彼の実家の手伝いをし、彼の四七日がありました。檀家さんへの挨拶では私との付き合いを再び話されました。葬儀でもそうでしたがすでに有名人です。家族のように存在するが家族ではない、彼の実家は孫が生まれて明るい光が差し込んでいるのを感じますが、それがまた私だけ とりのこされたようです。昨日から自宅に戻りましたが以前よりも孤独の苦しみを感じます。気持ちが落ち着いたと思っていたのに、冷たい顔、痛々しい跡。留守電に残った「電話に出てください、誤解なんだお願いします」と言う言葉を何度も聞いて、自ら死を選ぶ道しかみえません。ただ、急にいってしまう事はまわりに後悔する人を増やしてしまう、迷惑をかけたくないと思いますので、仕事を休みまわりにも楽になるために自分で選んだ道、誰に何を言われようと生きてはいけない。と言うことを伝えて死にたい。悲しませることは分かりますが早く楽になりたい気持ちしかありません。10月には百か日が終わりますので、それまでに片付けなどを済ませていきたいと思います。これからは辛い、苦しい悩みは他人には言わないようします。こういう道もあるのだと思いますが、仏教の教えでもよしとはされないのでしようか? 何か一言でも言葉がいただければ今日1日のちからとなれる気がします。 よろしくお願いします

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突然の父の死について

初めまして。 父親の死に対する様々な思いについて、ご相談させて下さい。 今年2015年3月18日に、父が急逝しました。 浴室で、何らかの原因で意識を消失し、風呂のお湯を飲んだ事による溺死。 享年83歳でした。 私は2015年2月まで東京で7年間暮らしており、3月に実家の九州へ帰郷したばかりでした。 父親はプライドが高く頑固な性格で 子供の頃は怖い、苦手というイメージを持っており 大人になっても、あまり父と真剣に向き合ったり、接する事は少なかったと思います。 しかし自分が歳をとるにつれ、父親が自分の一番の理解者である事を感じるようになり 自分の人生や両親の事など、色々考えた結果、帰郷する事に決めました。 そして、まさに帰ってこれからという矢先に、父が亡くなってしまいました。 今まで父とあまり話せなかった分、これからもっと色々な事を話したかった。 父が近年ずっと気にかけていた、私への心配(仕事・結婚)を無くしたかった。 (再就職、そして結婚して、孫の顔を見せたかった) これから父を支えていきたかった。 そういった父への叶わぬ願いが「もっと早く行動しておけばよかった」 という自分への後悔に変わってしまい、ずっと心から離れません。 葬儀の時「お父さんは、お前が帰ってくるのを待っててくれてたんだろう」 「お前に看取って貰えて嬉しかっただろう」と、親戚が言ってくれましたが 私は何一つ父に返せないまま父を亡くしてしまった、間に合わなかったという思いが強いです。 また、父の存在の大きさに亡くなってから改めて気づく部分も多々あり 父と今の自分をつい比べ、自分を卑下してしまう事もあります。 そして現在、父が亡くなり、残った母は要介護の為に老人ホームへ移り住む事となり 実家には自分1人で住んでいます。 自分が生まれ育ち、両親との思いがつまった家で、1人で暮らしていると 様々な思い出や、父の面影が頻繁に頭に浮かび、喪失感が募ります。 特に浴室は父が亡くなった場で、死んでいる父を私が発見したのもあり 毎日必ず入る場でもあり、入浴時に思い出さない日はありません。 父が亡くなって現在3ヶ月が経ち、先日、百か日の供養を済ませた所です。 後悔と喪失感に苛まれる現状から、気持ちの折り合いをつけていくにあたり 何か助言を頂けたらと思っています。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 92
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婚約者と死別しました

こんにちは。 近々結婚を控えた婚約者を亡くしました。 自殺の仕方、自死者遺族への賠償金など調べました。 ですがどれだけ調べても自死者が愛する人の元へいく手段がありません。寿命を全うすれば愛する人が迎えに来てくれると…。 死後の世界を私は信じ切ってる訳ではありませんが、もし本当にあるなら寿命を全うするしかないのかと思い始めてる所です。ですが私は今年で30歳。この先の人生が長過ぎて絶望しかありません。『新しい人と幸せに…』なんて言われる事もありますが無理です。でも寂しくて、誰かに『大丈夫だよ』って抱きしめてほしいなんて考えてしまう事もあります。 死にたい、けど自殺じゃ彼に会えない、彼しか愛せない、けどこの先何十年独りと思うと怖い。 その堂々巡りです。 彼は高血圧が原因の脳幹出血でした。それまで笑ってご飯を食べてたのに突然頭が痛いと言って倒れ、9日間闘病の末亡くなりました。 彼には夢があり、5月末には自分の食事処をオープンさせる予定でした。 その為4月で会社を退社しており、私はその退職金で晩ご飯は彼と外食を繰り返しました。帰りが遅いので、ご飯を作るよりその方が楽だったからです。彼の血圧が高いのは知ってました。ですがそれを軽視し、私は楽な道を選び続けたのです。 一度でも病院へ連れてってたら、結ばれたのが私でなければ彼は夢を叶えていたかもしれません。 外食を繰り返し彼の高血圧を急激に悪化させ、彼の夢も未来も奪った私が何故まだ生きてるのか分かりません。 こんな私を見て彼は悲しいかもしれませんが、もう立ち上がれません。 こんなにも早く突然にお別れがやってくるなんて思いもしませんでした。 平均寿命を考えればこの先60年、生き方がわかりません。 長文で失礼致しました。

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父が他界してからの心の穴

 私は3歳のころ母方のおばあちゃんの家に約一年間預けられて育てられました。そこでおばのやさしさとおじの厳しさに触れながら優しい子に育ったつもりです。しかしその後両親の家に戻り、両親に全く懐いてなかったせいもあってか、何事も兄優先でほめられたことなど一度もありません。何をやっても私には関心がなく愛されていないと確信したのも小学生のころでした。その後小学生中学生と人を悲しませる悪いことをしていましました。おばあちゃんの涙を見てしまったときから体の中に電撃が走ったような気持ちになり、このままではいけないと改心したのは中学生の時です。  高校になると部活動で誰にも負けたくなかったのでひたすら努力しました。勉強でもそれは同じです。しかしここで父親が登場します。私の努力をすべて無駄というかのような態度、言動をとってきたように感じました。父は敵。将来はお金をたくさん稼いでこいつを苦しめて、父が死ぬときは一番苦しい死を与えてやろう。愛されて育った兄が憎い。愛さなかった両親が憎い。死ぬ気で頑張って見返してやろうと努力をしてきました。  長くなりなりましたが本題です。大学一年の夏に父が急性心筋梗塞で他界しました。葬式で、父の亡骸をみてまた体の中に電撃が走ったような感覚に陥りました。父は、母は、私を愛していた。私が子供だっただけで何もわかってなかった。なのにわかったようなふりをしていただけのただのガキだったんだ。父が死んだのは私に対するストレスだ。なんてことをしてしまったんだ。罪の意識に苛まれたまま夏休みが過ぎ、ある決断をします。残った母を幸せにしてあげよう。そのためならどんな苦しいことでも頑張ると。  今まで私がとってきた態度のせいで母と兄からは邪魔者扱いされる日々です。すべて受け入れているのですが私の思いが通じなくてつらいです。  最近は何をしても楽しめません。母を幸せにする気持ちと父に対する罪を背負って生きていく覚悟は固まっているのですが、果たして本当に正しいのかもわかりません。どうやって生きていけばいいのですか。何をしても申し訳ないという気持ちしか湧いてきません。自分の幸せのために頑張ったことがないので自分の幸せを望むなど考えられません。いつも人と比較して負けないためか、相手を倒すためにしか努力をしたことがありません。こんな私でも自分の幸せを願っていいのでしょうか。

有り難し有り難し 21
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