こんにちは。宜しく御教授お願いします。 父の死後、九州で一人暮らしを続けていた80歳の母が身体的にも介助が必要になり、認知症らしい言動も出てきている為独居は限界と判断。私も兄も関東に住んでいる為、関東の施設入所して貰う事になりました。 離れている為、近くにいてもらった方がいいと思ったからです。 受診、入所先探し、転居の手続き、親戚への挨拶、荷物の送付、入居準備全て私が行いました。 後は、住んでいた九州の実家の片付けがあるのですが、かなり家財道具がある為大変です。 兄に相談しましたが、手伝ってくれる気は無さそうで、当然私がやるものと思っています。 その事で、喧嘩もしました。私は充分やったし、これ以上の負担は身体的、精神的に無理です。 母の認知症は、まだまだ軽い方ですが、以前と違う母といることがとてもつらく、ストレスを感じます。 冷たい娘とお思いになるかもしれませんが。 母は本当はずっと、生まれ育った町で暮らしたいようです。私達の為に、入所してくれるんだと思います。 そんな母を見ていると、本当にこれで良かったんだろうか?と思ってしまいます。兄弟で揉める姿も、見せたくはないです。 私はケアマネの仕事をしていますが、自分の親の介護については考えていませんでした。敢えて、考える事から逃げていたとも言えるかも知れません。利用者さんの御家族が、介護の負担分担で揉める姿を散々見て、悲しい気持ちになっていました。まさか、自分がこんなことになるとは。お恥ずかしい限りです。 私は 子供が出来ない身体ですが、たとえ子供がいても老後は決して安泰ではないのですね。 人は生まれて、それぞれ一生懸命その人の人生を生きて、老いていく。 やっと、ゆっくりと人生の最期の時のためにのんびりと穏やかに暮らせる時間が来たのに、子供たちは世話のなすり付け合い、生まれ故郷から離れての生活。 老いることは悲しい事でしょうか。 私達は、人生の最期の時期をお手伝いする仕事ですが、どんな人にも最後は幸せでいて欲しいと願って仕事をしています。御坊様は、本当の最期のお見送りをするお仕事だとおもわれますが、人の老いについてどのような考えをお持ちでしょうか。 私事の相談のはずが、話が大きくなってしまい申し訳ありません。
20歳女性です。 母親が、人生に希望なんて持つものではない、人生はどうせ失敗に終わる(全てが失敗の方向に向かう)、私が許してくれるなら今すぐ死にたい、お迎えを待ちたいと言っています。 生きる希望を失っている母に対して、母親の老いを実感し、どうして良いのか分からずにいます。以前から同様のことは言ってはいましたが、言っていることがさらに激しくなりました。私が、一人暮らしをする中で、非常に前向きな価値観を持つようになったので、その乖離に苦しんでいるのかもしれません。 母親の老いを認め、自分も母親を肯定していくにはどうすれば良いのでしょうか。 「母親の老い 認める」でキーワード検索したところ、青春は終わったと認めること、という言葉が出てきて、かなりショックを受けています。私の青春が終わったことが、自分で認められません。 どうすれば良いのでしょうか。
父64歳、母68歳です。 最近は、2人とも足腰が悪くなったり、体力が目に見えて衰えたり…。 親はいつまでも若くないのですよね。 ですが、親の老いを実感するたび、言い知れぬ不安感が襲われます。 こんな気持ちをどう持っていけば、良いでしょう?