hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

老いること

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

こんにちは。宜しく御教授お願いします。
父の死後、九州で一人暮らしを続けていた80歳の母が身体的にも介助が必要になり、認知症らしい言動も出てきている為独居は限界と判断。私も兄も関東に住んでいる為、関東の施設入所して貰う事になりました。
離れている為、近くにいてもらった方がいいと思ったからです。
受診、入所先探し、転居の手続き、親戚への挨拶、荷物の送付、入居準備全て私が行いました。
後は、住んでいた九州の実家の片付けがあるのですが、かなり家財道具がある為大変です。
兄に相談しましたが、手伝ってくれる気は無さそうで、当然私がやるものと思っています。
その事で、喧嘩もしました。私は充分やったし、これ以上の負担は身体的、精神的に無理です。
母の認知症は、まだまだ軽い方ですが、以前と違う母といることがとてもつらく、ストレスを感じます。
冷たい娘とお思いになるかもしれませんが。
母は本当はずっと、生まれ育った町で暮らしたいようです。私達の為に、入所してくれるんだと思います。
そんな母を見ていると、本当にこれで良かったんだろうか?と思ってしまいます。兄弟で揉める姿も、見せたくはないです。
私はケアマネの仕事をしていますが、自分の親の介護については考えていませんでした。敢えて、考える事から逃げていたとも言えるかも知れません。利用者さんの御家族が、介護の負担分担で揉める姿を散々見て、悲しい気持ちになっていました。まさか、自分がこんなことになるとは。お恥ずかしい限りです。
私は 子供が出来ない身体ですが、たとえ子供がいても老後は決して安泰ではないのですね。
人は生まれて、それぞれ一生懸命その人の人生を生きて、老いていく。
やっと、ゆっくりと人生の最期の時のためにのんびりと穏やかに暮らせる時間が来たのに、子供たちは世話のなすり付け合い、生まれ故郷から離れての生活。
老いることは悲しい事でしょうか。
私達は、人生の最期の時期をお手伝いする仕事ですが、どんな人にも最後は幸せでいて欲しいと願って仕事をしています。御坊様は、本当の最期のお見送りをするお仕事だとおもわれますが、人の老いについてどのような考えをお持ちでしょうか。
私事の相談のはずが、話が大きくなってしまい申し訳ありません。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

老いを忘じている時に目を向けましょう

「老い老いとオイオイ嘆いて負い目とするが老いに追い打ちかける心なり」
老いは悪いものではありません。
本当に悪いものではありません。
老いは悪いものだ、老いは役に立たない、老いは不幸だ、老いは良くない…
と、それを負にする、負い目に感じるのはいつも自分です。
あなたは今自分の年齢を忘れていたはずでしょう。
年齢すら忘れて生活しているのが万人の様子です。
年齢や老いなん会時計を観るのと一緒です。
ずっーと「ああ、12時だ、12時だ」なんて時計ばっかり観てる人はいません。
誰だって永遠の現在進行形の老いの真っ只中なのです。
高齢者であっても本人はずーっと老いを意識している訳ではありません。
現役スポーツ選手ですら20代で老い、衰えを感じる。
それを嘆けば負になる。
老いは当然の流れ。
老いて生きながらも、それが苦にならない時だってあります。
何歳になっても、老いの中にあっても老いの不都合を忘れている時は老いであっても何でもない。イチイチ気にしたり拾い上げたり、反発しないでいられる時のことです。
アンチエイジング、アンチエイジングみたいな言葉を作った人は、ある種、人を不幸人させた人とも言えます。アンチ(反発)しなくたっていいのです。
ああいう言葉は、老いを悪いものをさせる。
誰もが、たった今も自分の年齢を忘れていながらも、自分の年齢の真っ只中。
老いを重ねたお母さんだって本人が気にしている訳でもないでしょう。
あなたが老いたお母さんを心配のあまり、言葉は不適切ですが、過干渉、過剰反応しているだけとも言える部分があるはずです。
家族で最後に触れあえる貴重な時間と捉えることです。
一緒に居られるのもそう長くはないはずでしょう。
親の荷物は少しづつお金を貯めて専門の業者さんの安い所にお願いすることです。
その費用を兄弟関係をより良くするために一緒に出しあおうよと提案してみることです。
兄弟間というものは、ただ善意でやったことも理解されないと悲しい、善意でやったことが悪意でとらえられると苦しいものです。
私は家族からの出離、出家を勧めるものです。
家とは、どこの家で生まれようと思わず、その家に生まれます。
その家独自のルールは他の人さまの家では通用しない独自ルール。
家族間同士もっとお互いが独立自立、お互いの尊厳を認め合うことです。

{{count}}
有り難し
おきもち


丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
このお坊さんを応援する

老いからは逃れられません。

ももさん
私の祖母は六年前に亡くなりました。
祖母の晩年は、認知症等諸々あって
家の中が何か騒然としていたのを覚えております。
両親は介護に努め、心身ともに疲弊していたと思います。
果たしてこの状況は何時までつづくのだろうかと
思っていた矢先に祖母はなくなり平穏が訪れました。

祖母が亡くなることで平穏が訪れたこと
また、ちゃんとした関係性を祖母と構築出来なかったことが
私の中で課題になっております。

そして、その後2、3年の間に
両親は相次いで入院や手術等をして
両親も老いて、そして亡くなっていくのだなと体感しました。

老いというのは、徐々にすすみながら、
症状としては突然現れるものではないかと感じています。
老いからくる症状は病気と違って治るということがなく
今日という日が最良で、日が過ぎれば過ぎるほど
どんどん動けなくなっていくことなのだと思います。
そして、私を含めた全ての人間が老いからは逃れられません。
それが人間の身の事実なのでしょう。

思い出された文章があったので紹介します。

母懐胎しをはりて十月を経るまで、行住坐臥につねに苦悩を生ず。 また産の時の死の難を憂ふ。 もし生じをはりぬれば、三年を経るまでつねに屎に眠り尿に臥す。 床被・衣服みなまた不浄なり。 その長大に及びて婦を愛し児を親しみて、父母の処においてかへりて憎疾を生じ、恩孝を行ぜざるものはすなはち畜生と異なることなし。「観経疏」

私訳 母親というものは懐胎してから、十月は、大きいお腹を抱えて、何をするにも大変な思いをする。そして産まれるに当たっては、母子共に無事である保証はない。
また生まれてから三年間は、オムツをかえてもらい、寝床や服を清潔にしてもらう等、全面的に助けてもらわなければ人間として育つことは出来ない。
しかし、子どもは成長するとパートナーや、自分の子どもを愛するようになり、父母をかえって憎むようになる。恩を感じず、孝行出来ないようであればそれは人間とはいえない。

親子というのは、愛憎の歴史なのかもしれません。
親に育ててもらったのだから、恩返しせよということではなく
育ててもらったことを忘れ、親を厄介者扱いしている。争いの種にしている。
人間の罪深さ、悲しさを明らかにしているのだと思います。
その時私は何をすべきなのか、その事が問われているのだと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち


「老い・老後」問答一覧

老苦、死苦は未来人にも通用するか?

こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

天涯孤独な老後が心配、死後両親と会える?

天涯孤独な老後が心配です。 心を許せる友人も恋人もいません。そしてなにより、両親が大好きです。 結婚はおろか付き合いたいと思ったことすらありませんが、いずれ結婚して子供を産んで、と漠然と思っていました。 しかし出会いもなくネットやアプリは怖い、となれば今更結婚できる気も、体調的に子供を産める気もしません。 また、大好きな両親がいなくなってしまった時のことを考えると昼は何も手につかず夜も眠れないほど辛いです。 辛い時に支えてくれる人もなく誰にも頼ることのできない、天涯孤独の老後が心配で仕方ありません。 両親は私の心の支えです。 特に母は面白く明るい性格のため、母がいるとその場が明るくなります。太陽のような存在です。同じゲームもしています。 母がいない部屋がどれだけ静かになってしまうのか、想像しただけで寂しいです。 また両親に結婚相手を紹介したり孫に会うという世間一般での普通の経験をさせてあげられないことが申し訳ないです。 今のところ老後の支えは、死後両親に会って今のように楽しく過ごしたい、ということだけです。 死後なので過ごす、という表現は違うかもしれませんが、両親にお迎えされ同じ場所へ行き一緒にいたいのです。 そこでお尋ねしたいことは、 1、死後両親と再会し共にいられますか? 恐らく私は孤独死してしまうと思うのですが、それでも両親に会って一緒にいられるでしょうか? 2、色々調べている中で未練があると成仏できないとありましたが、もし両親か私がお互いが心配で成仏できていなかった場合、私の死後両親と会って共に成仏?再会し一緒にいられるでしょうか? 3、もし両親や私が認知症になってしまって生前お互いを認知できなくなってしまっていた場合、死後お互いを認知できますか?両親と再会し一緒にいられますか? 私はとにかく死後も大好きな両親と一緒にいたい、それだけです。 会える、一緒にいられるのなら天涯孤独で寂しくてもそれを楽しみに生きていけるような気がします。 若いうちから今後や老後の心配して今を楽しめていない自分も辛く、勝手にうつになりそうです。 どうか今の私を救ってください。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

歳を重ねることへの不安があります

久しぶりに相談させて頂きます。 私は30代前半の女性ですが、歳を重ねることに恐怖や不安ばかり感じます。 きっかけは、自分の体型に関することでした。 30歳になって半年経った頃から、明らかに太りやすくなったのです。 私は甘い物を食べる事が大好きで、今まではどれだけ食べても普通体型でいられたのに、運動しても食べる物に気をつけても中々痩せず、ひたすらダイエット食品とサプリを買い漁りました。 体型が変わっていくことが耐えられず、定期的に断食する日を作る始末で、今でもそれは変わっていません。 これは歳をとったのだから仕方のないことだと頭では分かるのですが、中々その事を気持ちの上で受け入れられないのです。 相談したいのはここからです。 30代になってすぐにこれで、これから先歳を重ねてもっと色々と変化を迎えるにあたり、どのような心構えをしておくべきかアドバイスを頂きたいのです。 身近な人には言えませんが、体型が維持できないというだけで、時には死にたいとまで思ってしまい、このままさらに歳を重ねることに不安が絶えません。 変化を受け入れるには、どのような考え方をすればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

五十代からの老病死のとらえかた

こちらではいつもお世話になっております。五十代半ばの男性です。ここ何年か題名の通り、老病死を強く意識するようになりました。それまでは頭にはあったもののほとんど気にしないで生きて来ました。 (老)に関しては、平均寿命から残り何年いきられるか?とか実感するようになったり、いつの間にか回りやテレビで活躍する人達がみんな年下で、二回りも下もいたり。またあと数年で還暦というと愕然とします。なにもできないまま年だけとったように、そんなはずではなかったのに等と考えてしまいます。ケアはするようにしていますが体力も目に見えて衰えて来ました。白髪も増え、目も悪くなって来ました。 (病)(死)に関しては今のところ大きな健康問題はないのですが、両親を内臓系の悪性腫瘍で亡くしているので、毎年の人間ドックが異常に不安です。食生活に気を配り、毎日ウォーキングをしたり等てできる限りの事はしていますが、両親の闘病から亡くなるまでのつらい経験が恐怖を増しているのかもしれません。 老病死という誰もが避けられない苦が急に身近というか、現実見をおびてきた感じでしょうか。 普通に結婚して子供に恵まれ、企業の管理職として並みの生活、人生なのかもしれません。ただなぜか急に老病死が受け入れ難いのです。 これからの余生の心構えについて是非アドバイスを頂けますと深甚に存じます。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

老化ですか?

社会人もうすぐ10年目になりますが、最近物事に興味がわきません。 私は小さい頃からアニメやゲームが好きで、学生時代は寝食を忘れるほど熱中していました。 また、なんでもない景色や人の発言から空想したり、イラストを描くことも好きでした。 自分が空想の世界に惹かれ、世間知らずなところがあると思っていたので、就職が決まったときは「これからは地に足をつけた社会人になりたい」という気持ちがありました。 今の仕事は感情労働特有のしんどさこそありますが、ブラックな労働環境でもなく人間関係も悪くありません。 楽しいこともあるし、勉強になることもあります。 ただ、社会に出る前に感じていたような好奇心とかワクワク感とか想像力とか、そういう生きてる感覚が最近あまり感じられません。 好きだったゲームやアニメにも惰性的に触れている状態になってしまっています。 仕事や生活といった現実的なことで頭がいっぱいで、空想する元気がありません。 かといって新しい趣味も見付からず、最近は何を食べたいのかもよく分からなくなってきました。 時折無性に寂しさや焦りのようなものを感じます。 これらの気持ちとの付き合い方のようなものがあれば、ご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 35
回答数回答 3

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

仏教駆け込み寺 自殺防止・DV・虐待・鬱 相談窓口のご案内
hasunoha YouTubeリスト 回答層YouTuberのまとめ

関連コンテンツ

縁切り供養寺大法寺