母親の老いに直面し、どう認めて良いのか分かりません。
20歳女性です。
母親が、人生に希望なんて持つものではない、人生はどうせ失敗に終わる(全てが失敗の方向に向かう)、私が許してくれるなら今すぐ死にたい、お迎えを待ちたいと言っています。
生きる希望を失っている母に対して、母親の老いを実感し、どうして良いのか分からずにいます。以前から同様のことは言ってはいましたが、言っていることがさらに激しくなりました。私が、一人暮らしをする中で、非常に前向きな価値観を持つようになったので、その乖離に苦しんでいるのかもしれません。
母親の老いを認め、自分も母親を肯定していくにはどうすれば良いのでしょうか。
「母親の老い 認める」でキーワード検索したところ、青春は終わったと認めること、という言葉が出てきて、かなりショックを受けています。私の青春が終わったことが、自分で認められません。
どうすれば良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の時間を大切に
お母様の状態が、付きっきりでの看病が必要なほどでないなら、あなたには、まだ青春を楽しめる時間もあるのでは?
お母様については、単なる老いではなく、精神的な疾患の影響が考えられます。
それについては、主治医に相談してみてはどうでしょうか。
生老病死は誰にでもやってきますが、ケアをしなくてはならない家族としては、
今後の私生活が脅かされる感じがして、悩ましいですね。
今の一瞬一瞬を楽しむのが大事でしょうね。
実際にお母様の相手をしている時間は、1日のうちでも限られた時間のはず。
お母様の相手をしていない時は、お母様のことを忘れて羽を伸ばすようにしないと、ずっとそのことばかり考えていては気が滅入ります。
頼れるものに頼りましょう
老いとは、何歳からと決まっているものではありません。子役タレントを目指している子どもにとっては10歳でも老いたといえるでしょうし、僧侶の世界では50、60歳は、まだハナ垂れと言われます。
candyumi118さんは20歳だそうですが、その年でお母様の心身のケアを背負われていることは本当に大変だと思います。candyumi118さんの前向きな価値観が、お母さまに苦しみを与えていると思われるのですね?もしかするとそのことで罪悪感のようなものを感じられているのでしょうか。身近な人の自立は、その周囲の人の自立を助けます。candyumi118さんの前向きさは決して悪いことではありませんよ。
例え、生きる希望を無くしても、生きているということはそれ自体素晴らしいものです。そして、candyumi118さんはお母様が大好きで、生きていて欲しいんですよね?お母様にそのことを伝えられれば、candyumi118さんは、今できること、やるべきことを充分にやったと言えます。くれぐれも、ご自身ですべてを解決できると思わずに、親戚や、隣近所、医師や、保健師、地域の民生委員さんなど、思いつく頼れるものはすべて頼ってください。
頼って、頼って、頼って、、、、、その方たちにありがとうと言える日がくることをお祈りしています。