ひとだま?幽霊?お寺や神社の写真にうつるモヤは不吉なものでしょうか
お寺や神社で撮影した写真に、奇妙なモノが写り込んでいたらちょっと不気味ですよね。なにか悪いお告げかもしれないと、考えてしまう人もいるかもしれません。
今回、hasunohaへ寄せられた相談は、お寺や神社の写真にうつり込んだ「白いモヤ」について。果たしてこの「白いモヤ」にはなにか特別な意味があるのでしょうか。
写真にうつるモヤ、悪い意味がありますか?
他の場所で起きたことがないのですが、とくに神社などで写真を撮ると、煙もないのに白いモヤが写り込むことがあります。(中略)
お寺や神社は聖域のようなもので不浄なものは入ってこられないと耳にしたことがありますが、それは本当なのでしょうか?
これらが写ってしまう場所はどんな意味があるのでしょうか?
カメラ歴の長い相談者すみれさん(30歳・女性)。この白いモヤは、逆光やボヤケが原因ではないと言います。好きな神社で撮影した写真に気味の悪いものが写ってしまい、すみれさんはすっかり不安な気持ちになってしまいました。
写真上だけのものです
動画でそういうものが映っていたためしはありません。
鮮明な高画質で映っていたためしもありません。
写真というのは、リアル、現実、真実をカメラというフィルター越しに写して、そこからさらにプリントアウトもします。
そういった工程で変な付着物が生じることはよくあることです。
「ケータイのカメラなどでは、モヤ、ボケ、ズレ、光などわりと簡単に写真へうつり込むものですよ。」と、こちらのお坊さんはおっしゃっています。
たしかに、心霊写真と言われるものの多くは、ぼんやりとした画質の写真がほとんどで、高画質で撮影されたものは見かけませんね。
さらに、こちらのお坊さんは、「カベのシミはただのシミ。意味をつけ出すと、カベのシミ一つで、心にもシミができる。自分の意味づけにしみない、つかない、そまらない」とおっしゃっています。
見えないものは気にしない
その正体はわかりませんが、目に見えない光か電磁波のようなものかもしれません。
これはカメラだけでなく、私たち人間もそうなのです。
我々人間の目にも、見える領域は見えるがそうでない領域は見えません。
見えないものは無いのと同じで、そこにあるとは言えません。
たとえそれが、いわゆる霊と言われるもので実際にそこにあったとしても、見えないのですから無いのと同じなのです。
写真に詳しいこちらのお坊さん。写真には、光学的に説明できないような不思議なものが写り込むことはよくあると教えてくださいました。
また、お釈迦様は「死後の世界を含めて、見えないものに囚われるべきではない」と説かれていたそうです。
仏教では、囚われた心を解き放つことが大事だと言いますね。それは、囚われた心(執着)が不安や悩みを生みだしてしまうから。
お坊さんは、現実に見えないものに対して「無い」と考えればよいとおっしゃっていますので、写真にうつり込んだ白いモヤには囚われず、気にしないでおきましょう。
次のお坊さんは、お寺や神社の場所にちなんだ回答をしていただきました。
お寺や神社は聖域です
モヤのようなものが写り込むのは、神社のご神体や寺院のご本尊に引き寄せられたものであると思います。
結界の中で悪いものはいないと考えいいと思います。
お寺では、山門。神社では、鳥居をくぐって境内に入りますが、境内は、結界された浄域で、ご神体やご本尊により守られている場所であるとこちらのお坊さんはおっしゃっています。また、神社で見かけるしめ縄も結界となって不浄なものが入らない役目があるそうです。
お寺や神社は結界に守られた聖域なので、写真に奇妙なモノがうつり込んでしまった場合でも、けっして悪いモノではないと教えてくださいました。
すみれさんのお気持ちは
ご助言の通り、物事を決めつけたりいたずらに不安がったりすること自体が問題でもありますね。
自分自身をしっかりと、またこれから地に足をつけて物事に接していきたいと思いました。
また、寺院・神社内についての浄域のお話も大変参考になりました。
これから清々しい気持ちでまたお参りさせて頂きます。
元の問答:お寺や神社の写真にうつるモヤについて
わたしたちは、写真にうつり込んだ奇妙なモノを見ると、つい「不吉だ、怖い」と思ってしまいますが、そういう不安な気持ちは自ら作り出していたのかもしれませんね。
今回、お寺や神社は結界で守られた聖域であること。そして、お坊さんから「見えないものは気にしない」とはっきりおっしゃってくださったおかげですっかり安心できました。ありがとうございました。