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それでも人生にYESと言おう
ナチスの ユダヤ人収容所から奇跡の生還を遂げたV,フランクル博士の著作の題名がたしか『それでも人生にイエスと言おう』だったと記憶します。
ユダヤ人収容所にあってもなお、希望を持ち続けた人が生存することができたとフランクル博士は言います。
「この世に差別があるのは当たり前だ」そうです。つまり不条理がまかり通るということですね。
そんなバカな、と私は思うので、少しでもその不条理に自他が苦しむことがないように私ができる範囲で差別や不条理に苦しまなくてすむようにしていきたいと思っています。
ユダヤ人収容所にあってもなお、希望を持ち続けた人が生存することができたとフランクル博士は言います。
「この世に差別があるのは当たり前だ」そうです。つまり不条理がまかり通るということですね。
そんなバカな、と私は思うので、少しでもその不条理に自他が苦しむことがないように私ができる範囲で差別や不条理に苦しまなくてすむようにしていきたいと思っています。
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有り難し
生きていくことが恐いです
はじめまして。
どうか相談させてください。
一昨年、私は中国内モンゴル自治区にある大学に留学のため行きました。大学からの入学許可をもらいビザを取り、問題なく入国しました。
ところが現地で居留許可を申請する段階になって、手続きの方法を学校側が把握しておらず、私はビザがあるにも関わらず不法滞在になりました。
学校の留学担当者に、入国してから1ヵ月以内に許可申請をしないといけないことになっている、1ヵ月を過ぎているが問題はないのか、何度も言いましたが、問題ないという返事しかしませんでした。
役所では、学校側の落ち度なので、今後の滞在は許可する、罰金は本来1万元だけれども3000元にするなど配慮してくれました。
当の留学担当者は、こんな決まりがあるとは知らなかった、と言っていました。
さらにその後、大学からビザの再取得が必要と言われ、日本に帰国しました。
しかし約束とは異なり、ビザに必要な書類を学校が送ってくることはありませんでした。
中国にいた一年間、したい勉強はできず、ひたすらいくつもの役所に行く毎日でした。不法滞在が決定したときは、取調室で拘束椅子に座らされました。
私は衰弱しました。
日本に戻ってからうつ病を発症しました。急に日本に戻ったため、充分な就職の準備もできず、本望ではないアルバイトをしていますが、生活は苦しくなるばかりです。
人を信用することができなくなりました。
もっと正確に言うと、理性は信用していいと言っているのに、一方では、また騙される、裏切られると言う気持ちが出てくるのです。その葛藤が苦しいのです。
このまま生活苦と不信と不安の中で生きていくことは、恐怖です。毎日、毎日この恐怖に押し潰されそうになります。
どうやったら乗り越えられるでしょうか。
追伸
内モンゴルで見たチベット仏教のお寺、タルチョーやハダグはとても美しかったです。
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