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生きていくことが恐いです

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はじめまして。
どうか相談させてください。

一昨年、私は中国内モンゴル自治区にある大学に留学のため行きました。大学からの入学許可をもらいビザを取り、問題なく入国しました。
ところが現地で居留許可を申請する段階になって、手続きの方法を学校側が把握しておらず、私はビザがあるにも関わらず不法滞在になりました。

学校の留学担当者に、入国してから1ヵ月以内に許可申請をしないといけないことになっている、1ヵ月を過ぎているが問題はないのか、何度も言いましたが、問題ないという返事しかしませんでした。
役所では、学校側の落ち度なので、今後の滞在は許可する、罰金は本来1万元だけれども3000元にするなど配慮してくれました。
当の留学担当者は、こんな決まりがあるとは知らなかった、と言っていました。

さらにその後、大学からビザの再取得が必要と言われ、日本に帰国しました。
しかし約束とは異なり、ビザに必要な書類を学校が送ってくることはありませんでした。

中国にいた一年間、したい勉強はできず、ひたすらいくつもの役所に行く毎日でした。不法滞在が決定したときは、取調室で拘束椅子に座らされました。

私は衰弱しました。
日本に戻ってからうつ病を発症しました。急に日本に戻ったため、充分な就職の準備もできず、本望ではないアルバイトをしていますが、生活は苦しくなるばかりです。

人を信用することができなくなりました。
もっと正確に言うと、理性は信用していいと言っているのに、一方では、また騙される、裏切られると言う気持ちが出てくるのです。その葛藤が苦しいのです。
このまま生活苦と不信と不安の中で生きていくことは、恐怖です。毎日、毎日この恐怖に押し潰されそうになります。
どうやったら乗り越えられるでしょうか。

追伸
内モンゴルで見たチベット仏教のお寺、タルチョーやハダグはとても美しかったです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでも人生にYESと言おう

ナチスの ユダヤ人収容所から奇跡の生還を遂げたV,フランクル博士の著作の題名がたしか『それでも人生にイエスと言おう』だったと記憶します。

究極の、といえばこれ以上に極限状態にあったユダヤ人収容所にあってもなお、希望を持ち続けた人が生存することができたとフランクル博士は言います。

思えば私もずいぶんと騙されてきました。私たち夫婦の紹介者で仲人をお願いした夫妻がしてきたことは嘘をつき続けることでした。宗教家だから、などという「常識」はまったく通用しない人たちです。落ち込むことは今も多いですが、「この世に差別があるのは当たり前だ」そうです。つまり不条理がまかり通るということですね。

そんなバカな、と私は思うので、少しでもその不条理に自他が苦しむことがないように私ができる範囲で差別や不条理に苦しまなくてすむようにしていきたいと思っています。

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有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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あなたはまだまだチャレンジ出来る。

大変な思いをされましたね。
あちらの対応が杜撰だったのでしょうが、文化圏が違いますから日本のようにはいきません。
お気の毒としか言いようがありません。

でも、あなたを不信にさせてしまったのは、あなたが今いる日本でしょうか?
日本の大学の人たちが、あなたを今のようにしてしまったのでしょうか?

ご存じの通り、日本企業の多くが中国から撤退するご時世、何があってもおかしくはありません。
何を志して留学されたのかは解りませんが、日本に帰ってきてからの対応は、あなたがあちらで受けた対応と同じでしたか?
それとも、もっとひどい対応をされたのでしょうか?

それはたぶん違ったはずです。

あなたが帰って来た時の日本の人たちは「ひどい目に遭ったね」とあなたをねぎらってくれませんでしたか?

あちらでひどい目に遭っていたあなたの為に、八方手を尽くしてくれたのではないのですか?

そんな日本で育ったからこそ、留学してまで何かを手に入れようとすることが出来たのではありませんか?

大変失礼ですが、文章を読んでいると、あなたは留学を途中で放棄させられたことのせいにして、自分の中に逃げ込んでいるように思えてなりません。

あなたの志したものはモンゴルでないと手に入りませんか?
日本では無理なのでしょうか?
単身で留学した時の情熱を、他へは傾けられませんか?

いくらその時のことを振り返ってみても、もうその時に戻ることは出来ません。

あなたは一生アルバイト生活を送るつもりなどないはずです。

あなたが何かで自分を奮い立たせない限り、今の状態からは抜け出せないのではないですか?

過去はもうありません。
その時のあなただって、もうここにはいないはずです。

一歩でも前に進むためには、あなた自身が足を踏み出さないと状況は変わりません。

いつまでも自分の殻に閉じこもって嘆いている場合ではないのではありませんか?

弱気になってはいけません。

隣と足並みを揃えて人並みの生活に甘んじる人が多い中、単身留学してまで何かを志したあなたです。
そんなあなたに自分でフタをしてはいけません。

あなたにはチャレンジする力があったはずです。
さあ、もう一度元気を振り絞って、自分の人生にチャレンジしてみて下さい。

あなたにはまだまだ可能性がたくさん秘められているはずです。

あなたの可能性を信じていますよ。

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おきもち

心配なんてどこにもない

chichigさま

大変な経験をされましたね。とても怖い思いをされたのでしょう。

人を信じられない。とのこと、確かにその過去の経験では、裏切られたような思いになったのかもしれません。しかし、そうなってしまったことには理由があったわけですよね。

そして、あなたは、今しっかり生きていますよね。理想と違うのかもしれませんが、生きています。堂々としていいのではないですか。

何と比較していられるのかはわかりませんが、今やるべきことに気持ちを向けてやっていれば何か開けてきますよ。

先のことは心配すればきりがない。それなら心配しないほうがいいでしょ。

今あなたがいる目の前の景色に心配なんてありません。机、テレビ、ペン、灯、どれをとっても心配なんてついてないでしょ。あなたが付け加えているのです。ですから付け加えないのもあなたしかできない。

しっかり今を生きることが自信になり、過去を振り返ることなく、先を心配ぜず、堂々と生きることになるのです。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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信じるに値するものを信じる 

怖かったでしょうね。安心してください。もう無事に帰って来れました。
知人の知人はある国境近くで射殺されてしまいました。
そういう争い、抗争、防衛、恐怖、自らの防衛意識に過剰に病んでいる状態にある国家、人間たちは、自分をもまるために皆必死です。
彼らは本当は助けを求めています。
正しい情報を求めています。
政治という大きな利害に左右される世界の情報ではなく、人間として幸せに生きるための正しい情報を。
そういう恐怖心に蝕まれ病んでしまっているが故に、人を警戒し、危害も加えます。
ですが、攻撃面が先に映るので、対する相手方も攻撃態勢に入ります。
自分たちをも守るのが必死だからなのです。
その心理をどうか理解してあげてください。
中国、韓国、北朝鮮をはじめとするさまざまな警戒態勢にある国の病巣を取り除くのが国家の薬師、医師たる政治であり、平和運動、平和活動、宗教活動です。
ところが、そういう活動自体を封じられている中国などの国家は、安全とは言えません。
だからこそ、そこで必要となってくるのは、政治活動を超えた、政治をも変え得る政治以外の、人間の精神の医療行為です。音楽、娯楽、シェア、支援、真の宗教性、幸せ拡散活動などが仏教徒の持つべき武器です。
そういう世界づくりをしていくことが、国境を超えてみんなの恐怖心を取り除く行為であると思います。
皆でそういう意識を高めて、争いの恐怖で縛られている人たちが解放される世界づくりが始まるように一人一人が、改革、改善の志を高めるように祈りを捧げましょう。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

ご回答いただき、ありがとうございました。
幸いにも今しなければならないことは、はっきりしています。
時間がかかるとは思いますが、するべきことをして、前を向けるようになれればと思います。

藤岡様
ご回答ありがとうございます。
“夜と霧“ のフランクル博士ですね。

〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉

先にご回答くださった僧侶の方のお言葉とも合わせてよくよく考えて見れば、私に足りなかったものは、覚悟ではないかと思えてきました。
未来に向かっていく覚悟です。

私は内モンゴルに、モリンホール(日本語では馬頭琴、モンゴルの伝統楽器です)の勉強で行きました。
日本人はおろか、ほとんど外国人がいないところへ、モリンホールだけを持って飛び出して行く、私は元来そのような無鉄砲な者です。
そのため、今のような元気を失った状況とギャップがありすぎて、戸惑い、ついていけなくなっています。

しかし私はアウシュヴィッツに収容されているわけではないのですよね。

まだまだ薄氷の上を歩いているようなものですが、覚悟しようと思います。

小原様
温かい励ましをありがとうございます。
まだまだやれる、他に情熱を向ける、、、
きっとできると思います。
いや、やらなきゃいけない、そう自然に思えてきました。
雑草のように、何度踏まれても上を向きます。

丹下様
ご回答ありがとうございます。
広く深い愛情に感銘を受けました。
分かり合えないから武器を持って戦うのでは、いつまで経っても何も解決しないですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ