割り切ってもいいんですか
前回は素敵な回答ありがとうございます。
辛い時に何度も見直し、心に整理をつけることで上司から離れることができ、今は新しい職場で心機一転頑張っています。
今回はその新しい職場での出来事なのですが…
まだ働き始めて1ヶ月ほどなのですが私が引き金で鬱?になり、職場に来なくなってしまった子がいます。
私は誰とでも分け隔てなく話しかける性格ですが、彼は自分だけを頼り見て欲しかったようで…店長と話してるのを見ると気分悪い、お客さんに触られるのを見ると気分悪い、ということで機嫌が悪くなり何度かLINEでそのことを伝えられました。
でもそんなわけにはいかないですし、初めは話をしてその度に仲直り?していたのですが…新しい職場で私も少し疲れた部分もあり、だんだん彼と話すのが辛くなってしまった自分がいました。
そうしている内に、自分は必要ないんだ、いない方がいいんだと捉えてしまったようで…
無視したり陥れたりといったことはありませんが、その子と話すのを避けようとしていた自分はいます。
少し離れようと思っていただけだったのですが、彼にとってはツラい出来事だったんですよね…
みんなに迷惑かけよう、サボろう、というタイプではない子で…私が勤めた初めの頃は、私が楽しくやっていけるように全力で配慮してくれる真面目で優しい子でした。
自分の中ではしょうがなかった、その子が乗り越えて強くなるしかないんだ、と割り切ってはいますが…さすがに鬱?になられるとこちらもツラいです。
周りの方や上司などは彼の性格をよく分かっているようで(というのも彼は上司の弟にあたるので)、まぁ心が弱いヤツだったし、これも彼の成長だから気にしないでという感じで私を責めることはありませんが…
気を抜いたらこちらも心を潰されてしまいそうです。
彼が本当に鬱と判断されたとしても、本当に私のせいじゃないと割り切ってもいいんでしょうか。
私のせいかもしれないのに、この職場で彼の居場所を奪ったまま笑って仕事をしていてもいいのでしょうか。
みんな私を気遣って、私は悪くないと言ってくれます。
本当にそうなんでしょうか。
誰か本当のことを教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
因縁果の道理(いんねんがのどうり)
自分のせいで。
そう思うと、苦しいですよね。
でも、はるさんのせいではありません。
仏教では『因縁果の道理』というのがあります。
トマトの種(因)があっても
机の上に置いていたのでは芽は出ません。
その種(因)をまず第一に土に埋めるという(縁)が働かなければ芽は出ません。
土に埋めたとて、適度な温度や湿度(縁)がなければならず、
さらに太陽光や(縁)、土の中の微生物など(縁)がいなければ健全に芽は育ちません。
無事芽が出ても、鳥についばまれたり(縁)、雑草の勢いに負けてしまえば(縁)
トマトの果実(果)が生じることはありません。
逆に鳥についばまれたりせず、雑草をしっかり抜いてやる。というような数々の(縁)が
整った時にトマトの果実という形で(果)となり現れるのです。
世の中の物事はすべてこうした
因・縁・果の道理のもとにあるとお釈迦さま(仏教の開祖)はお示しです。
彼が鬱になる。という果が現れたのには
まず彼になんらかの種(因)があったのでしょう。
彼の人生の中で無数の事柄が複雑に(縁)として絡み合い
鬱という(果)として現れたのです。
はるさん一人が彼を鬱にしたわけではありません。
PS:
「鬱」というのも人間のつけた名前ですし、
名前に勝手に病気にされないように。
「鬱」と捉えず、彼も人生勉強をしているんだと思いますよ。
質問者からのお礼
とてもお礼が遅くなりました。
本当にありがとうございました。