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怖いです。

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有り難し有り難し 26

私は父親がとても甘く、環境もとても悪い中で育ち、因果応報なんてあることを知らずに、仏教とはほど遠い生き方をしてきてしまいました。

高校生の頃からジワジワと羽目を外して行き、人生ってこんなんでいいのだろうか?といいの思いながら派手な格好をして周りもしているしいいのかな…と、因果応報なんて全くしらず、生き方がわからなくなりそこからドンドンと生き方が羽出になり、自分の欲望のままに生きることに、何の躊躇いもなく、何だったらそれ以外の生き方がわからずにいました。当時は本を読んで調べたりしましまが、仏教まではたどりつかず、人の生き方のようなものばかりを読んでいました。しかし私は正解を求めてしまったので、何が正解かさ迷ってしまっただけで、結局どう生きたら良いのかわかりませんでした。そのように生き方を求める一方で、整形をしたり派手な生活や彼氏への依存に流されていきました。

中絶もし、中絶に対して病院の先生からは「一日も早く忘れなさい」と、親からは「まぁ、長い人生色々あるよ」と。結果ここでしっかりと悔い改めて生き直すことをせず、「え?そんなんでいいの?」となかったことにしてしまいました。周りにも何人か中絶していたので、私だけがそんな重く考えていたのかな?もうよくわからない。もうそれならいいや!と、開き直ってしまいました。子供を殺したまま反省せず放棄すると、しっかりと生きるという気力がなくなり、人生どうでもよくなり、狂ったように毎日遊びまくり、人生を捨てて生きていました。すると、生きているのか死んでいるのかわからず、生きているという実感がなくなり、感情さえもなくなり、何が自分に起こっているのかもわからないまま、何かおかしい、と病院に行ってもどこも悪くなく、感情がないと訴えてもこれといった病名は与えられず…そこから、二度ほど懺悔をしても、もはやどの仏様に二度もしません!と反省をしても、今さら何を言っているの?もうしらないよ。そのような声しか聞こえず罪に溺れ死んだように動くことができません!あまりの長年のため自分の人生を引き受ける事がもはやできません。本当に生き直すのは手遅れだと思っています。子供を殺したことで生きる気力がありません。今さら因果応報なんて言われたら本当に死ぬしかありません。こんなにも長い間格闘し無理なら今まで通り好き勝手生き延びるしか本当に道はない思っています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様の懐

さつきさんお久しぶりです。

さつきさんがこれまでされて来たこと、決していいことではないと思います。

しかし、私も同様です。
数々の罪を作ってきたし、今も作っています。

仏教では
身(からだ)、口(ことば)、意(こころ)
で人間は罪を作り、そのどれもが等しく罪なのです。

世間では
身(からだ)で人を『殺す』という罪を犯すと間違いなく罰せられます。
口(ことば)も同様です。人に『殺すぞ!』と言えば刑務所行きです。

でも意(こころ)で
『殺したい!』と思うのは世間では罪になりません。

しかし仏教は
これらのどれもが全く等しく『罪』である。といいます。

果たしてこの世に
どれほどの罪人がいるでしょう。
そしてどれほど罪を犯さぬ善人がいるでしょう。

仏様は罪を犯さぬ善人だけを救うような存在ではありません。

善人を見ては喜び、罪人を見ては悲しみながらも見捨てない。
そんな母親のような存在ですよ。

人間は誰しもが『罪』を犯しながら生きています。
あまり褒められた立派な者ではありません。
だからこそ、その罪から目をそらさずに、仏様の前で懺悔(さんげ)することが大切です。

懺悔(さんげ)
とは自分のしてきたことが悪い事だった。
と気付き、認め、仏様にさらけだすことです。

さつきさんは
罪に気付き、認めておられます。

手遅れなんかではありませんよ。

仏様は
その懺悔(さんげ)の声を確かに聴き、さつきさんを見守りたもう存在です。

仏様の懐は無限大です。

PS
お礼を読ませて頂きました。

私も悩める人間なので、さつきさんのお気持ちをお察しします。

怖い、苦しい。
そんな思いの中

生きてゆく力と安心を与えてくださるのが仏教であり、お念仏であり、阿弥陀さまであると私は感じています。

よければプロフィールにアドレス載せていますので、ご連絡ください。

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ご供養

さつき様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

中絶なさられたお子様のことは、どうかご供養により、地蔵菩薩様にお任せになられて下さいませ。

「供養」は、「供(とも)に養う」とございます。お子様と一緒になって仏様の教えを養っていって頂けましたら有り難くに存じます。

例えば、簡単にできる布施の実践としての「無財の七施」(詳しくは、下記に記載)などからでも。

いつも、そのお子様と仏様、お地蔵様と供に、さつき様も拙生も、仏法がしっかりと闇夜を照らしてくれるはずです。

夜に大海原のどこへ向かっていっても、いつも付いて見守るお月様のように。

どうか、より仏法をお頼りになられまして、少しずつの実践をなさられていってみて下さいませ。

「無財の七施」について・・

眼施(慈眼施)・・慈しみをもって優しいまなざしで接すること。

和顔悦色施(和顔施)・・和やかな笑顔・にこやかな笑顔で接すること。

言辞施(愛語施)・・優しい言葉で接すること。叱咤激励の厳しい愛の言葉も。

身施(捨身施)・・身体を使ってできるお手伝い・奉仕を自ら進んですること。

心施(心慮施)・・相手の心を思い遣ってTPOに合わせて接すること。

床座施(壮座施)・・高齢者や妊婦さん、病人などに席や場所を譲ること。分かち合う・譲り合うこと。

房舎施・・自分の住居を提供して、おもてなしをすること。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

何度も回答くださり本当にありがとうございます(>_<)捨ててしまった人生を再び受け入れるとなると発狂してしまうほど、受けれることができなくなるのですが、その場合は死ぬしかないのでしょうか?(>_<)一度捨てた人生なのでどうしても自分の人生を引き受けることができず、仏様や自分の人生と向き合うと本当に気が狂いそうです(>_<)

反省が長年できていないまま、二度としない!と悔い改めることが出来ないまま生きているのか、死んでいるのかもわからず、捨てるように

生きてしまい、腹がくくれず、自分の人生を背負えていないまま、生きているので生きている心地がしません。まず引き受け背負ってからでないと、進んでいても霧の中です(>_<)
本当に死にそうです。死ぬしか道がないです。懺悔すると発狂したくなるくらい狂ってしまい、息ができなくなります。
発狂となると精神病院へ入院することになると思うので、耐えていますが耐えれません。
怖いです。死ぬのが怖いです。

阿弥陀様はありがたいですが、死んでから救ってくださるのでは遅いのです(涙)
死んではダメだ…ともう一度立ち上がる力を(そのように救って下さる)がほしいです(>_<)

長々とすみません。必死なあまり(>_<)ありがとうございました。

お返事ありがとうございます(>_<)
もう本当にどうしてもムリです(>_<)
今まで何かおかしいとは思いつつ新宗教や浮かれた時代に中途半端にだまされ生きてきて、今さら因果応報だなんて、どうしても自分の人生への責任がとれません。胃に穴が空きそうですし、本当に本当に動けません。これが因果応報の結果なのだと心から思います。もう、人として生きていくことは許されていないので死ぬしかないと思っています。

岩瀧山 往生院六萬寺 川口 英俊 様

お忙しい中回答下さりありがとうございます。
以前も水子供養の件で回答くださりありがとうございました。
無財の七施と仏教ではすることがたくさんあるのですね。
その前に自分と今まで離れて生きてきたような感覚で、したことを自分の人生に引き受けようとすると到底長い間の羽目の外しように、引き受けることができず、悪業の積み重ねの結果、もう手遅れなのか、動くことすらできません。罪に溺れてしまいただため息ばかりで怖くて恐ろしくて。無財の七施も実践したかったですが、自分の人生を背負うと死ぬしかないと思います。本当にバカな生き方をしてきてしました。(>_<)もう少し早ければしっかりと行き直すことができたのでしょうが、もう今や手のつけようがありません(>_<)
折角ご回答くださったのに本当に生かすことができずに申し訳ございません(>_<)
ありがとうございました。

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