子供
死産した子供について以前も質問させて頂き、ありがたいお言葉を頂いて本当にありがとうございます。
その子供のことです。
死産後、普段生活をしていてふと何かいると思った方向を見るとキラキラと一瞬見えるものがあります。
これを夫などに言ってもわかってもらえませんが私には感じるものがあります。
それは見えても不思議と怖いとは思いません。
もしかして子供が居るのかな?と考えてしまいます。
姿形は無いけれど常にそばに居てくれている、そうであってほしいとそう思う私の願望なだけで実際は関係ないのでしょうか。
亡くなった子供への思いが強すぎるのでしょうか。昨年元気に産まれてくれた子供がもしかしたら亡くなった子供の生まれ変わりなのか…と考えることもあるくらいです。
生まれ変わりがあるのかはわかりませんが…
元気に育ってくれている子供がいること
すごく幸せです。でもすごく会いたくて寂しくなるときがあります。
そういった色々な気持ちが重なって何か見える、感じると思うのか、それとも実際にそういうことはあるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いのちと生命
人の命には、生命という命といのちの働きとしての命があるように思います。
生命は終わる。終わるともう二度と会えない。
しかし、いのちの働きにより見てみると、生きている時から、今この時のあなたにはその時っきりしか会えない、二度と会えない、離れっぱなし、出会いっぱなし、それがずっとあるのでしょう。それでいて握らなくても寂しくなく生きて行く力がある。
あなたと離れ離れになってしまったお子さんとは生命としては会えないですが、どこかでいのちの働きとして近くに感じる瞬間があるのでしょう。風が吹いた、味がわかる、桜の花を見た、ふとした時に、大きないのちの働きの中に自分もあることに気づくのではないですか。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
目に見えないけれど何かを感じるということはきっとそばに来てくれている時があるんだと前向きに生きていこうと思います。寂しいけれどそう感じれるから不思議と生きていけるんでしょうね。深いお話本当にありがとうございます。