生きるための折り合いについて
私は過去に風俗嬢でした。
人に公言できる仕事じゃ無いと分かっていますが、そこに居たからこそ人の心の底や欲を見れて、視野が広がり成長できたと思っています。
楽しかれ大変であれ、人が自分を選んでくれたおかげで何年も好成績を出してきました。鈍臭くて何もできない生きる価値がないと思っていた自分に、「私だって一生懸命やれば何かは出来るんだ」と人としての自信や尊厳を取り戻すきっかけを与えてくれました。
今は引退して普通の仕事をしながら、彼氏と同棲しています。
しかしその彼氏は、本人なりに不器用にも心底愛してくれてはいるのですが、私の過去を極度に嫌います。
私としては「生まれてから今までこういう道を歩んできたんだよ。かなりつらかったけど、あなたに出会ったとき特別な感情を抱けるように成長するためだったと思えるんだ。だから私は踏ん張って生きてきて良かったと思うし、あなたに出会えてとてもうれしかったよ。」と伝えたかったのですが、「忘れようとしてることを何で言うんだ」という内容で不機嫌になられたりで、言いたかったことを素直に聞いてもらえることはありませんでした。
そして先日、生活問題で喧嘩した際「最近過去の風俗勤務歴を思い出してしまう」と言われてしまいました。
過去は変えられないし、愛する人から必死に生きてきた歩みを否定されてつらいです。
でも、私にとって家族以上に大事にしてくれた存在で返しきれない恩もあるし、悲しかったけど嫌いになれませんでした。
今、彼は実家の問題や元々の精神疾患を私との喧嘩で悪化させてしまったこともあり、実家に帰ってしまい別居のような状態です。
私は家族と折り合いが悪く、実家へ帰るにも帰れずにいます。
一人暮らしをするにも、独り立ちできそうな仕事を探してはいるもののコロナでなかなか見つかりません。
相手を苦しめてしまうなら自分から離れてあげるのが良いとも理解しているのですが、それをやってしまうと私は何のために生きていけばいいのか分かりません。
そのくらい、沢山の寂しくて苦しい道を物心ついたときから歩んできました。
私はこれから、自分の心にも彼氏にも、どう折り合いをつけて生きていけばいいでしょうか。
こんな私にも、尊い智慧を一つでもご教示いただけたら幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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埋まる溝なのか、埋まらない溝なのか
こんにちは。
あなたは冒頭に次のように書いています。
「そこに居たからこそ人の心の底や欲を見れて、視野が広がり成長できたと思」う、と。その一文にあなたの深い感慨が伺えます。あなたなりに必死にここまで来た、得たものがあったという心が伝わってきます。
と同時に、過去のあなたと今のあなたは切り離せない、ということが良くわかります。すべての人にとってそうでしょうが、過去の自分と今の自分は無縁ではありません。あなたにとっても。
彼氏さんには「家族以上に大事にしてくれた存在で返しきれない恩もあるし、悲しかったけど嫌いになれ」ないという背景があるのでしょう。「返しきれない恩」に報い続けよう、どんなことがあっても彼氏さんと離れないことが自分の生き方だ。そう心に思い続けられるのなら、今後も彼氏さんが過去のあなたを含めてすべてを受け入れてくれるまで待ち続ければよいのだと思います。
一方、「一人暮らしをするにも、独り立ちできそうな仕事を探してはいるもののコロナでなかなか見つかりません」というご自身の経済的問題は別にして考えた方がいいでしょう。本来、経済的にも、精神的にも自立して対等の立場でおつきあいして、互いをパートナーとして受け入れられるかを是々非々で判断するべきです。
また、経済的に自分が自立したという未来図の上でなら、今の彼氏さんをどう見ることができるか。これを想像してみるのもよいでしょう。
あなたが言うように、「過去は変えられ」ません。
過去の事実は操作しようがありませんから。
他方、彼氏さんが「過去」を「忘れよう」という手法は間違っています。
人の記憶を消すことができない限り、事実は二人の脳裏に残ります。そのことを見なかった振り、聞かなかった振りはできません。過去は受け入れるか、受け入れないかのどちらかしかないのです。
あなたは、自分の過去を引き受け現在に生きようとしている。
彼は、過去のないあなたという非現実に生きたいと願っている。
埋まる溝なのか、埋まらない溝なのか。
見極める必要があるでしょう。