hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

2026/01/09回答受付中

自分の欲深さについて

私は大変に欲深く、買い物依存症の気もある人間です。 私には住む家があり、食べられるものがあり、自分の気質を理解し支えてくれる家族があり、共に語らう友があり、自分が働きたい条件を呑んでくれる仕事があります。 それだけでなく、絵を描いて贈ってくれる人、気分が落ち込んでいる時に声をかけてくれる人、誕生日には言葉や祝いを贈ってくれる人が複数います。大変な幸せ者で感謝して過ごすべきです。 しかし全く満足できないのです。本当に欲しいと思える物でないと喜べないのです。 というのもひとつの強い憧れがあります。 SNSでほしい物リストを公開してプレゼントしてもらっている人達です。 はっきり言えば乞食だなと感じ蔑みつつも、内心では羨ましいと嫉妬しています。 もちろん、親しい間柄だからとか記念日だからとか、応援してるからとか理由があって贈りあっているのだとは思います。そうして対等になれるからこそ行っている人もいて、ただ自分は懐事情的に相手の誕生日などにプレゼントを贈れる自信がないため、対等な関係にはなれないからやれないなという気持ちがあり、今まで行ったことはありません。 しかし自分は貢ぎ体質です。過去に誕生日でもないのに「いいよいいよ」と何かを贈ったりすることが度々ありました。 はっきり言うとそうやって「いいよいいよ」と自分が欲しい物をドンピシャで貢いでくれる相手が欲しいです。 そんなのパパ活や水商売の人でないと存在しないのはわかっているので、現れるとは思っていません。 買い物依存症体質もあり、買わなきゃ!と思って買ってしまい込みます。 なぜそうなったかを考えてみると、幼少期の出来事に辿り着きます。 その頃流行っていた靴が欲しくて親にねだりました。うちの家庭は裕福ではなく、その時は買ってもらえませんでした。しかし、しばらくしてからお金を集めてくれて買いに連れて行ってくれたのですが、もうその時には売り切れていて、柄違いはあったのですが「あれが良かったのに!」とその場で大泣きしたのを記憶しています。 その時の経験があるため「欲しいと思った物はすぐ買わないと無くなる!」というのが強く刻まれているのだと思います。 そこを救ってやれば少なくとも買い物依存症気質は軽くなると思うのです。 欲深さの方はどうしたらいいかわかりません。 どうすればこの気質を消し去ることができるでしょうか。

有り難し有り難し 12
回答数回答 3
2025/12/29

両親の死後

順番に逝けばそう遠くない未来に両親が亡くなります。いま両親が大病をしているわけではありませんが、もう2人とも70代後半です。 両親の死後、独りで生きていく自信がありません。 そのときが来たら、たぶん精神病院の閉鎖病棟に入院。退院後の受け入れ先がなくて入院が長引く、社会的入院になるかもしれません。 現在、医療や福祉の支援とはつながっています。 でもそうなったとき、もう生きるだけの価値を見つけられそうにないです。 自分に責任があります。いままで好き勝手に生きてきました。子役みたいなものかもしれません。人生の前半にギュっと幸せを詰め込み過ぎたのでしょう。 たとえ最低限の衣食住に困らなくても、私は孤独には勝てないです。コロナ禍も独り暮らしの孤独と、コロナ禍の恐怖に耐えられず、オーバードーズで入院しました。 両親が亡くなったら、睡眠薬のオーバードーズで自●するしかないかなと思っています。 いまから考えても仕方のないことかもしれません。私にできることは両親との残された日々を大切に生きること、医療・福祉・兄弟・友人との関係を大切にする。もしくはパートナーを見つけることだとは思います。理由は伏せますが、グループホームは考えていません。 しかし頭ではわかっていても、両親の死後が怖くて仕方ないです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 3
2025/12/28

過去の罪との向き合い方

こんにちは。以前2回ほどhasunohaにて相談させていただき、有難いお言葉をかけていただきました。 2回ともかけていただいた言葉で心が軽くなったのを覚えています。 改めてありがとうございました。 ですが、相談をさせていただきたいことがります。それは善行についてです。 以前相談させていただいたものに私が今までどんな罪を犯したのか記されています。 私はあれから高校三年生となり、就職活動をし、会社から内定をいただくことが出来ました。両親や家族、先生や友人はとても喜んでくれ、私も嬉しかったです。私は、それを「今までしてしまった事を償えるように、沢山社会貢献ができるように、自分の力で働いてお金を稼ぐことの大変さを知ることができるように、仏様がチャンスをくださった」と勝手に解釈するようになりました。 また、善行として、人に親切にしたり、両親や家族のために家事をしたりなど、一日一善の精神で過ごしており、これから働いて社会貢献をし、今までお世話になった両親・家族に恩返しをしようと思います。 今私が善行と思ってしている人に「人に親切にすること、家族のために家事をすること」これは善行になるものなのかな、、と、不安になってしまいます….。hasunohaにて似たようなお悩みの方の回答のお言葉に社会貢献や親孝行をすることは善行であると回答されているのはよく見かけるものなのですが、今自分がそうだと思ってしているこれは、本当に善行なのかな…と不安になる時があります… 長々と話してしまいすみません。私の行動は善行にあたるものなのか、また、過去の罪とどう付き合っていけば良いのか、ぜひご教示いただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2
2025/12/28

日常生活と禅

はじめまして。 在家の立場で仏教、とくに曹洞宗の禅を学び始めた者です。現在は仕事を持ち、社会生活を送っています。 長年、自分の不安や生きづらさは、将来に対する過度な先読みや心の投影、そして同じ考えを繰り返してしまう反芻的な思考から来ていると感じています。 自分は何者なのか、人生や仕事の方向性、選択や責任などについて、考えすぎてしまう傾向があります。 また、生活のリズムが乱れると――たとえば睡眠が不規則になったり、SNSを長時間使ってしまったり、一人で過ごす時間が増えて閉じこもりがちになったりすると――心の状態がさらに不安定になることにも気づきました。 怠けることなく、規律と継続性を大切にしながら、一日一日を「今」に集中して生きていきたいと思っています。 将来的には不安が和らいでいくことを願っていますが、何よりもまず、曹洞宗の禅の考え方をもとに、日常生活を具体的に整えていく方法を学びたいと考えています。 そこでお伺いしたいのですが、 • 曹洞宗の禅では、将来への不安や考えすぎ、反芻的な思考(妄想)にどのように向き合うのでしょうか。 • 在家の修行者が、日常生活の中で大切にすべき基本的なポイントは何でしょうか。 • また、坐禅や生活のリズム、睡眠、仕事との向き合い方など、**具体的な一日の過ごし方や、簡単な生活の指針(ルーティンやプラン)**があれば、ご教示いただけますでしょうか。 初心者のため至らない点も多いかと思いますが、日々の生活の中で「今」に集中して生きていくための、実践的な助言をいただけましたら幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2
2025/12/27

対人関係における正当防衛

 いつもお世話になっております。  我が家の最寄り駅(通っているジムの近く)に、認知症もしくは 何某かの精神神経系障害が疑われる高齢女性が出没します。  その女性は、忙しい通行人に突然話しかけ、一方的に長話します。 話しかけられた人は、困っています。特に、若い人が標的になります。  無視や社交辞令で立ち去ろうとすると、大騒ぎします。  きょうもジムの帰りに話しかけられている男性がいたので、 「無視して、行って!」 と言って助けました。高齢女性は 「は!?ひどい!!」 と言っていました。私は男性に以下の事を説明しました。 ・あの高齢女性は、通行人に突然絡んできて、一方的に長話をして 拘束してくる ・急いでいる旨を伝えて行こうとすると激高して暴言を吐く (実際に私も吐かれた)  男性は驚いた様子で 「わかりました、ありがとうございます」 と言って去っていきました。  その後私は、駅員さんに報告して 「精神障害や認知症が疑われる老婆が通行人に絡んでいる、と 警察に通報してほしい」 と依頼しました。  しかし、私のやった事は、適切だったのでしょうか? 男性を助けることはできましたが、高齢女性は傷ついたと 思います。  でも、忙しい人を突然呼び止めて一方的に長話をするのは 非常識な事ですよね?と正当化する自分もいます。  ちなみに、警察には「精神保健及び精神障害者福祉に関する 法律第23条に基づく通報の適切な運用等について」という ガイドラインがあります。警察庁がネット上で公開しています。  これは、精神や知的に問題があったり認知症だったりして 自傷や他害のおそれのある者や異常な行動を呈する者を 保護・検挙した際に警察官が取るべき行動を定めたものです。  今回私はそれに基づいて、高齢女性の110番通報を駅員さんに 依頼しました。  しかし、困っている男性を助けたと言え、もう一方の高齢女性を 傷つけた私。これで本当によかったんだろうか?次回から、もっと いいやり方はないだろうか?と悩んでいます。  戒名に恥じない生き方として、適切だったのだろうか…

有り難し有り難し 19
回答数回答 1
2025/12/26

母の自由時間を増やすには

私の母は専業主婦で、四六時中家事をやっています。高齢なので、少しずつ私も分担しています(毎日の洗濯、時々料理)が、私は持病で体力がなく、あまり手伝うことができません。少しずつ、私の家事の分担も増やそうと思いますが、ままなりません。ごくたまに手伝ってと言われても、疲れてしまっていることが多く、歯痒く思います。また、自分の趣味の時間も確保したいと思ってしまい、がんじがらめな状態です。 父も健在ですが、休みの日に家事を一つやるだけで、あとは外の仕事だけです。家に帰ってきたら、お酒を飲んで動画を見てばかりです。家事を頼んでも腰が重く、母も頼むのを諦めているようです。察して手伝うなんて考えつきもしないので、あまり頼りになりません。 私は自分が母を苦しめる原因ではないかと、うっすら思っています。 母は私を産んでから、専業主婦になり、キャリアを断たれてしまいました。ずっと家事をしていて、自由な時間を取れず「出かけた時だけが家事から離れられる」「旅行の時だけが連休」と言っています。私を産まなければ、私が病気にならずに独り立ちしていれば、もっと自由だったのではないかと思う時もあります。 また、私が調子のいい時に家事を代わっても、別の家事をしなければいけないようで、本当に母には自由時間がないのだと、軽く絶望しています。 私は母が悔いのない人生を送ってほしいと思っています。私でもできる方法や、考え方があればご助言をお願いいたします。

有り難し有り難し 25
回答数回答 3
2025/12/21

憎さも出てきて自分が死にたくなります

何度かお世話になっています。 中学1年生、発達障害手帳所持の反抗期の 子供が居ます、母子家庭です。 小さい時に気付いたので、色んな機関の方々に 知恵をお借りし、療育等多くの大人と関わって 育ててきました。 小学校までは未だマシでしたが 中学入学より荒れが酷く手に負え無くなってきました。 警察や児童相談所のお世話にもなりました。 お金も少しずつ盗まれていて、合計すると10万円近く盗まれたことになります。 家にもドアを蹴られたりで、穴が開いたままになっていたり。 精神的に弱ってしまって、 「今は自分の体を第一に、子供と距離を取って、休んで下さい」と言われ、 今年一年、働くことが出来ませんでした。 元々は、介護職で働くことも人も好きでしたが 子供と向き合う内に、外が怖くなってきてしまいました。 もっと壊してやろうか? 今度は骨折ってやろうか?等言葉も出ます。 外では何事もなく振る舞って、家で私にだけ暴れます。 本心は死にたいし逃げたいです。 でも両親が認知症を発症していて、妹と一緒に 介護してきました。 親には感謝しているし、心配掛けないでちゃんと最後までしてあげたいです。 妹は私の負担に気付いていて 「こっちは良いから、子供置いて逃げても良い」と心配して言われます。 毎日「消えたい、逃げたい」 「親と、無理する妹が心配」 の気持ちが繰り返されます… 死ね消えろクソババアは、当たり前で。 記憶はないはずなのに、言動は元夫そっくりで 何のために10年近く守って戦ってきたのか 後悔しかないです。 成長したら少しは変わるのでしょうか… 毎日同じ家に居るのが辛く、自分がどんな人間っだったか忘れてしまいました。 自殺は一番重い罪と聞きます。 親を思うと足が出ず、実行出来ないでいますが 子供と戦う力もなく死ぬことすら出来ない そんな自分を意気地なしと責めてしまいます。 明ける日は来るのでしょうか…毎日目の前が真っ暗で涙が出ます。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2
2025/12/20

必死さを和らげるには

お世話になります、今年もハスノハに大変助けられ、心より感謝しております。 必死になりすぎている心をどうしたら緩めることができるか、ヒントをいただきたく、投稿しました。 私は30代半ばで大学院に入り、そこから今(大学非常勤講師)まで、かなり必死に頑張ってきました。それまでどんな仕事も長続きせず、頑張ることができず、無職期間も長かったのですが、自分の関心ある分野での研究なら社会に参加できそうだと考え、退路を断つ感じで大学院に入りました。とても有益な時間でしたが、頭の中にはいつも、「自分は社会人としてはまともに働けなかった、皆よりかなり遅れをとっている、ここでの勉強さえ放棄したら、もう後はない、まともな人間にならなきゃ」という強迫的な考えに追い立てられている気持ちがありました。 現在、なんとか大学の非常勤講師になり、自分の関心を生かした仕事をしているという点では、昔の自分からは想像もできない進歩を遂げたと思います。しかし、収入は不十分ですし、研究者、教師としての自分を見ると、卒業大学や専門知識やスキルの点において、他の先生に比べかなり劣っている、未熟だと気づきました。そこで、またあの「自分はいろんな面でまだ劣ってる。まともな人間にならなきゃ」という気持ちが出てきてしまい、毎日の仕事や研究が、生死をかけたような【必死】なものとなり、心や頭のエネルギーがかなり消耗しています。 研究分野については、大好きな気持ちは変わりなく、これからも、この業界で頑張りたいのですが、「自分はここでダメならもう終わり」というような必死な気持ちではなく、なるべく楽しくラクな気持ちで取り組んでいくには、どうしたらいいでしょうか。 どうぞ、仏教の知恵をお貸しいただければ幸いです🙇

有り難し有り難し 43
回答数回答 4