いつもお世話になっております。 ゆうりです。 お坊さんの、一言というのは、何故こうも、身に染みるのか。 お坊さんは、話上手です。(この言い方は怒られてしまうでしょうか?すみません。) 気になりました。 タイトルは、以前の質問で頂いた、今、大切にしている言葉です。 私は、将来研究者になるにしても、農業高校の先生になるにしても、(ノンプロで噺家、漫才師、芸人になるにしても)喋るという行為は、不可欠で欠かせません。 特に先生というのは、人間をつくる(あえてひらがなです。)職業であり、また農業を通じて命を慈しむ力を育んでもらわないとなりません。 さらに、私が噺家もを目指すの理由というのも、弱い奴に立ち上がってほしいからです。社会の皺寄せは弱者に来ます。そういう人に、立ち上がってほしいからです。 さて、「こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?」 この「心」という部分があるから、「周りの友達」ではなく「hasunoha」に救いを求めるのだと最近思いました。私もその一人です。 その熱い「心」はお坊さんの場合は、「修行」によって培われているのは言うまでもありません。 (私の場合は、理由が異端なだけに、「信念の強さ」で解決出来てしまうかもしれませんが・・・) しかし、私たち質問者は、どのようにそれを鍛錬すればよいのでしょうか? その「心」どうしたら磨かれるでしょうか? 自分磨きというものは「自分が自分をするのみ。」「自分が自分の行を行うのみ」 精神的な強さを得るためには、「自分が自分を学んでいくこと。」 そう、以前にお言葉を仰ぎました。 これの継続によって得られるものなのでしょうか? また、これだとまだ何か、足りないでしょうか? お手数をおかけしますが、お手おすきの時間がありましたら、回答の方を宜しくお願いします。
五歳と二歳の子供を持つ母親です。 彼らが大人になったときのことを考えて不安になります。社会の先行きを暗く感じ、子供達は、自分たち(親)より豊かな生活ができるのだろうか、できないのではないかと考えて悲しくなります。 今を楽しむという気持ちにもなれず、先のことを考えて子供にうるさく言ったり(資源、食べ物の無駄遣いをしないなど環境のことや、勉強のこと)、他のお子さんたちより窮屈な思いをさせている気がして可哀想に思うこともあります。 厳しくするにも、その先に報いがあると約束してあげられるなら(自分が子供の頃はそうだったように思います)良いですが、時折、こんな時代に子供を産んで、苦労させるなと申し訳なくさえも思う時があります。 子供の人生、自分が悩んでも意味はないと思いつつも、明るい方向を信じ導くやり方が分かりません。 ご回答よろしくお願いします。
年長の子どもがいます。幼稚園や小学校のうちはたくさん遊んだり体験する事で学んでほしいと思っていました。つまり、将来の準備のための生きるというよりは、“今”を楽しんでもらいたいと。しかし、小学校受験やその先の受験のために、塾や習い事に通っている子も周りにちらほらいます。 子どもが将来苦労をしないためにはその方がいいのかな? とも考えられますが、実際のところ自分の子のためにはどうしたらいいのか迷っています。