今なのか将来なのか
年長の子どもがいます。幼稚園や小学校のうちはたくさん遊んだり体験する事で学んでほしいと思っていました。つまり、将来の準備のための生きるというよりは、“今”を楽しんでもらいたいと。しかし、小学校受験やその先の受験のために、塾や習い事に通っている子も周りにちらほらいます。
子どもが将来苦労をしないためにはその方がいいのかな? とも考えられますが、実際のところ自分の子のためにはどうしたらいいのか迷っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
最高の教育、最高の学問とは何か?
あなたの同級生やママ友さんでも構いません。
もしくは世の中の“成功者”を順番に並べてみるとします。
その人たちは全員が全員、いわゆる「幸せ」でしょうか。
勉強やお仕事を頑張ったわりには、成功はしていても必ずしもみんなが一生涯“幸せ”ではないのではないでしょうか。
社会的成功=幸せではありません。
お金がある=幸せではありません。
では、幸せとは、何でしょうか。
心の豊かさ、穏やかさ、大らかさ、ゆとり、笑顔が現れること。
たとえどんな不運に見舞われても、心が不幸に染まらず、それを乗り越え幸せな心に帰ってこれる力。
それを求めることが、自分探しであり、仏道の始まりです。
私は次のように考えております。
この世で生きて行くための最高の財産は、チエであると。
それは例えば、どんな困難があっても乗り越えていける柔軟性、環境適応能力、コミュニケーションスキル、寛容さ、ユーモア、明るさ、ポジティブシンキング、諦めの良さ、強さ…こういったチエです。
しかし、これらをひとつひとつ身につけていくことはお勧めはいたしいません。
たった一つのことを極めさえすれば、それらが皆、手に入ったからです。
たった一つの事とは何か?
それは、自分をみつめ、自身を知ること、これだけなのです。
自分をとことん勉強することを今の学校が教えてくれていますでしょうか?
たとえ和尚さんでさえも仏道ということが実は自分をならうことであるということを知っている人はあまりいません。
仏道をならうというは、自己をならうことであり、何やら仏道らしいことが何処かにあるわけではないのです。
お近くでしたら、一度坐禅会に起こしください。
坐禅をしにくるんじゃありません。
自分をならいに、自分を見つめに、自分の真相がどういうことなのかを徹底して合点が行くまで求めるのです。そうすれば、必ず一生の安心が手にはいる。自信にあふれる。
ウチの坐禅会はイスもありますし、親子で同じことをまなぶ。
親子でお互いに自分を学ぶということはお互いにとっても、良い経験になると思います。(^-^)
れんげ 様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
子どもには伸び伸びと健やかに育ってほしいと親御さんならば誰もが思うことであるかと存じます。
実際、子育ての現実は個々それぞれにおいて色々と難しいところがあります。できるだけ子どもの意思を尊重したいとは考えるものの、親としては、ある程度子どもの世話をやきたいし、レールを引くまでとはいかないにしても、何か先鞭をつけていってあげたいと思うこともありますでしょう。
正直、子育て一年目の拙生が偉そうに申すことはあまりできませんが・・
子どもは、幼稚園・保育園、小学校と他人との関わりが徐々に増えていく中で、物事への分別がつき始め、色々な刺激や影響を受けながら、「社会」へと少しずつ適応していくうちに、子どもは子どもなりに様々な自覚と責任が自ずと芽生えてくるのではないかと考えております。
自覚と責任がある程度の段階までになると、本人は自分で将来のことを考え始めて、自分から、あれがしたい、これがしたいと主張し始めることでしょう。その時に親としてそれまでの人生経験・考え方から親身にアドバイスをして、親として手伝えることは手伝い、手伝えないことははっきりと拒否し、過度に甘やかせすぎずに、時には理解できるように苦言を呈し、再考を促すことも必要になるかと考えております。
将来のことについては、まだ来たらぬ先のことをあれこれと思いめぐらせて悩むよりも、「今」の子どもの幸せを考えて、親としてできることをしつつ、もちろん道徳的・倫理的に社会で生きていけれるように最低限のしつけは当然ながら、親の期待や希望を過度に押し付けることはせず、あまりストレスを与えすぎて歪な性格とならないように、と気配りしながらの中で、「今」の子育てを充実して楽しまれてる先に、きっと独り立ちされる頃には、良い将来が自ずと訪れてくるのではないかと存じております。
お子様の健やかな成長を祈念申し上げます。
川口英俊合掌
どういう大人になってほしいですか。
れんげ 様
はじめまして。私の回答をさせていただきます。
将来苦労しないということは「自立した大人」になるということではないでしょうか。
例えば、自分がある会社の新人教育担当になったとします。
そこで今度入社してくる新人はどんな人がいいですか。
学歴ですか。
それよりもきっと性格や礼儀などの部分があがるのではないでしょうか。
そう考えると、たくさん遊んだり体験する事で学んだり、今を楽しむことが
大切なのかもしれません。
合掌
僧侶の考える将来
れんげ様
質問文を拝見するところ、れんげ様のおっしゃる将来は進学や就職でしょうか?
僧侶の考える将来とは、高学歴、高収入ではなく、臨終の時にこれで安心して仏の世界に往生できますと思えるかどうかです。
どこに進学しようがこれだけは親として伝えておきたいこと。
どんな生活を送ることになっても、失いたくないポリシーはございますか。
そこを子どもさんにいかに伝えるか。
苦労しないための子育ても必要ですが、苦労を乗り越える秘訣を伝えるのも親の大事な役割です。
進学はゴールではなく中間ポイントです。
人生は楽な方がいいに決まっています?!
れんげ様へ
将来、子供が苦労しないようにするのが親の努めです。(すいません。言い切りました。)
①「子供が幼いうちに辛い勉強なんかさせて・・・。もっと子供のうちは外で思いっきり遊ばせて喧嘩して仲直りして嫌いな子も認めあって・・・。友達づきあいを大事にすべきだ。だから今の子は・・・。今の親が・・・悪いんだ。」という評論家。
②夢を求める人たちへ。「夢を叶えたものが幸せなんだ。」
この2つを成し遂げるのは苦労しますよ。棘(いばら)の道ですよ。
友達を大切にすることはいつも一緒にいて何かをしなくてはいけないのですか。友達を大事にすればするほど自分のことがおろそかになりませんか。これは苦です。
本当に夢を叶えた人は長い歴史を見ても皆無だと思います。夢は欲だからです。欲は限りがない。「私はパイロットになりたい。」という人は。どんなパイロットか?機長か?機長までいったらどうするのか。一生居れるのか?引退を余儀なくされたら、どうするのか?他にも叶えることが増えていくと思います。ほとんどの人が山登りの頂上に行くことまでは考えますが、下りることまで考えないと思います。
あなたのお子様がこれで本当に納得しているか。子の意見は聞けないと思います。声に出せないお子様の分、親として子の気持ちを観てください。顔、体調、行動等。あなたの子供時代を思い出して、母親(母性本能)なのですからすぐに解りますよ。慈心(自信)をもってください。
お子様が将来のことを考えていないのに将来の準備をするのは早計です。幼稚園、保育園、小学生等で必ず将来を考える機会を与えられます。先生、友人、クラスメイト、先輩、本、テレビ、教科書、文集・・・挙げればキリがありません。出会いは生きている限り数限りないのです。
その傾向がお子様に表れたとき(将来の目標が見つかったとき)今まで観察していたあなたはその変化に気付くことでしょう。そのときに塾や習い事に通わせているの親御さんに相談するとひょっとしたら良いアドバイスが聞けると思います。
結果、子育ては親は苦労するということです。それが子供に苦労かけたくないということではないでしょうか。
ここで禁句「お前のために苦労してきたんだ。人の気も知らないで。」言っちゃ駄目ですよ。