子供の将来への不安
五歳と二歳の子供を持つ母親です。
彼らが大人になったときのことを考えて不安になります。社会の先行きを暗く感じ、子供達は、自分たち(親)より豊かな生活ができるのだろうか、できないのではないかと考えて悲しくなります。
今を楽しむという気持ちにもなれず、先のことを考えて子供にうるさく言ったり(資源、食べ物の無駄遣いをしないなど環境のことや、勉強のこと)、他のお子さんたちより窮屈な思いをさせている気がして可哀想に思うこともあります。
厳しくするにも、その先に報いがあると約束してあげられるなら(自分が子供の頃はそうだったように思います)良いですが、時折、こんな時代に子供を産んで、苦労させるなと申し訳なくさえも思う時があります。
子供の人生、自分が悩んでも意味はないと思いつつも、明るい方向を信じ導くやり方が分かりません。
ご回答よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
子供は親が育てるのではなく、育つもの。親はその手助け。
私は金持ちじゃありません。
顔もイケメンじゃありません。
運動神経は鈍いです。
お寺も檀家さんも墓地も何もありません。(写真のお堂は管理してるだけ)
だけども豊かさが何かを分かっています。
それはきつい言い方をしますが、おそらくアナタが植え付けようとしているものではない。
アナタもそれが分かっているからこのサイトに投稿なされた。
しかし「豊かさって何?」それがわからない。
一言でいえば笑顔でいられるコトですよ。私のように、ブチャイクで金に追われる生活でもそこそこ底抜けに楽しめる生き方があります。それが仏道です。
自分を知る、自分の本当の在り方を知る、ということです。他を干渉しない、自分が自分を生きるということです。
今のあなたの本当の悩みは「あなたが自分の心が豊かでないから心の豊かさを伝えられない。」だと思います。
今のあなたに必要な豊かさへの道は、
まず、子供を「わたくし」しないこと。
盆栽や鉢入りの植物のようにあれこれ枝をカットしないこと。
あなたの好みじゃないからと言って、あれこれ叱らないこと。
何かを押し付けている自分に気づくということ。
子供は全部、汚らしいことのように見えても、それで実験して学んでいるんです。
親はそれは親にとって不都合だから叱る。
子供にとってはそれが一番窮屈。そこで豊かになれる一番の材料を取り上げているのです。
だからアナタがまず、心を豊かにしなければいけない。
アナタが心豊かであれば「ぼくもお母さんみたいににこやかでいたい」と思うようになります。ちなみに私の母はちょくちょくキリキリします。そうなろうとは思いません。
これも子供は自ずから学んでいるからです。いい笑顔の時はそうなろうと思います。そのくらい子供は親の子供でありながら、親とは独立した個別の存在でちゃんと学んでいるということを、親はつらくとも乗り越えなくちゃいけない。
それが子供を「わたくし」しないということです。
子供に主体性を与えて困った時だけ助けてあげる。
「子供は親が育てるのではない。育つのである。」
ママ友達や、園の先生とも、いろんな話をしましょう。
子育て、真っ最中ですね。
日に日に成長していく我が子に、親は幸せを願い、期待をかける。誰でも、皆そうです。もちろん私も。どんな子になってくれるだろうか〜どんな世の中になっていくのだろうか〜
新聞やニュースを見ていますと、子どもに関する事件や事故、また環境問題や社会情勢の不安が目につきますよね。私たち大人だって、老後の心配をするわけですから、先のことは、いつの時代も 気がかりなことでしょう。
子育てママは、妊娠出産から ずっと気が張っていて、見えない疲れもあると思います。
あかちゃんの乳児期より、今の幼児期のほうが 大変なんだもの。
子育ては、一人のママが 心配して背負っていくものではなく、本当は地域や社会が 未来を担う子ども達を育てていく環境が理想なんだよね。そしたら、そんなにママが悩むことはないのだけれどね〜。
ママ友達や、園の先生とも、いろんな話をしましょう。一緒に子育てしている仲間がいる、同じ悩みを共有できる仲間がいると、不安も解消されていくんじゃないかな。
私の子どもは小学生ですが。義務教育が始まると、また新たな心配が増えてきて。私も心配性だからね〜その度に、同じ環境にある人と いろんな話をしながら 前向きに気持ちを切り替えています◎
子どもには、いつでも 受け止めてあげれる母でいたいですものね。
厳しく躾をしなくても、親の行動や態度を見せるだけで、子どもはきちんと育っていきます。だから、あまり 頑張りすぎないで、今のままで大丈夫ですよ◎
いつもニコニコ笑顔の お母さんでいてくださいね(*^^*)
太陽
コズエさま、なごみ庵の浦上哲也と申します。
よろしくお願いします。
ご不安な気持ち、じっくりと読ませて頂きました。
様々な問題が山積みの現代、そしてそれが引き継がれる未来。その未来に生きる子を想う親のお気持ちは、非常にもどかしいものと拝察いたします。
…とは言え、お子さんは生き、成長していらっしゃいます。
そして親は、子どもを庇護し続けることはできません。
いつの時代も、人間には悩み苦しみが存在します。
成長したお子さんが、それら苦悩を強くしなやかに乗り越えていけるよう、思いっきり愛情を注いであげて下さい。「あなたは宝物よ」「あなたは太陽よ」と伝えてあげて下さい。
愛情豊かに育った子どもは、前を向く力、自分を信じる力が強くなると思います。
それが、親が子に与えられる最大の贈り物だと、私は思います。
「今でしょ」
コズエ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
子育て・・色々と悩みは尽きないものかとは存じます。拙生もまだ若葉マーク・・色々と悩みながらでございます。
とにかく、二十歳になるまでは、親としての責任を果たして、最低限、できるだけのことはしてあげれるようにとは存じておりますが、あとの人生は、子どもたちの主体性と本人の精進努力次第であるかと考えております。
さて、皆さんの回答にもございますが、どの時代でも大小少なからず同じような悩み苦しみが尽きない世であることには変わらないかと存じます。
とにかく何よりも先決となるのは「今」です。いや、「今でしょ」ですね。同じようなことを下記の問いにおきましてもお答えをさせて頂いてはおります。
問い「今なのか将来なのか」
http://hasunoha.jp/questions/21
『将来のことについては、まだ来たらぬ先のことをあれこれと思いめぐらせて悩むよりも、「今」の子どもの幸せを考えて、親としてできることをしつつ、もちろん道徳的・倫理的に社会で生きていけれるように最低限のしつけは当然ながら、親の期待や希望を過度に押し付けることはせず、あまりストレスを与えすぎて歪な性格とならないように、と気配りしながらの中で、「今」の子育てを充実して楽しまれてる先に、きっと独り立ちされる頃には、良い将来が自ずと訪れてくるのではないかと存じております。』
もちろん、拙生の場合は、まだ住職ではない立場ですが、先ではお寺の後継者として自分の子どものことをどうしても見てしまう面もございますでしょう・・しかし、今はそんな数十年先のことまで考えてもどうしょうもないことであり、数十年後にそれぞれがどうなっているか、世の中、日本、社会がどうなっているのかなど誰も知りようのないことであり、考えても仕方のないことでございます。
とにかく、現実の「今」、「この時」、「今日、一日一日」、成長を見守りながら日々無事に、安心して過ごせていけるようにと心掛けて参りたいと存じております。
「杞憂」という言葉もございますが、コズエ様もどうか、あまり先々のことまで考え過ぎて、不安な状態には陥らずに、現実の「今」にて子育てのこともお考えを賜れましたらと存じております。
お子様のご無事のご成長を心から祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
いつの時代の親も同じことを言っています。
歴史好きの私から言わせるといつの時代の親も同じことを言っています。簡単にいうとあなただけではありません。それよりはこの時代をどうしたらいいか。何をすべきか。自分に何が出来るかを考えるべきですし、年頃になったら子供にも尋ねるべきです。
こんな話ご存知ですか。
丹霞天然禅師が、木仏を焼いた公案。丹霞は寒い日に木仏を焼いて暖を取ったが、それを他人から譏られたため、その人に「焼いて、木仏から舎利(お骨)を取る」といった。しかし、その相手は、「木仏から舎利が取れるはずもない」というので、丹霞は、「それならば私を責める理由は無かろう」と応じる。
この話は寒い日に囲炉裏に暖をとる炭も薪もないときに人のためにどうしたらいいか、この状況で一体何が優先順位かを考えた末、木像の仏様を焼いた。人の気も知らないで、責められたことに静かな反抗を行うため、上記のような公案をして諭したのである。