仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.19「自分と誰かを幸せにするお金の使い方」
コロナ禍によって、お金の見直しをせざるを得ない方々も多いのではないでしょうか?
緊急事態宣言以降は、私も補助金や助成金関連の申請や対応に追われ、この半年で公的書類に耐性がついてしまいました。
一番、苦労したのが配信ライブのための補助金申請。
5回の修正依頼を経て、何とか予算獲得し、配信ライブを行うことができます…。
10月末から公開されるので、もしよかったら見て頂けたら嬉しいです。
そして、この半年間で自分の月々払っているお金の見直しをし、お金について改めて考える機会が増えました。ですので、今回は「お金」によって得られる幸せについて改めて書いてみたいと思います。
精神的な満足感は、お金によってどう得られるの?
私が「お金」との向き合い方が変わったのが、やはり「足の事故」からでした。
それまでの私は、買っても買っても満たされない。まさに仏教的に言うところの「貪欲」に取り憑かれていたのだと思います。
そんな私が足の事故に遭い、不自由な生活を送ることになりました。正直、不自由さに関しては今のコロナ禍以上に、不自由な状況でした。
まともに歩けない立てないという状況で、素敵な服を着飾って、自由に歩き回ることもできない。ましてや、痛みに耐え続ける日々で、メイクをする気力もない。
本当に生きていくために必要なものだけしか必要ない、という状況に必然的に追い込まれました。
でもそれが、逆によかった。
今まで求めていたものは、生きるために本当に必要なものではなかった。
ならば、もう求める必要もない。
買ってもどうせ満たされないのなら、お金をどう使うことが、本当に満たされることに繋がるのだろう?
精神的な満足感、は「お金」によってどう得られるのだろう?
誰かが私のお金で生きている。という救い
もちろん「生きていくため」にお金は存在します。でもあくまで「お金」は生きていくための道具であり、全てではありません。だからこそ「お金」を得ることをゴールにしてしまうと、キリがなくなってしまう。
その時の私は、座ってできるラジオの仕事以外は何もできませんでした。
事務所からいただけるお金はあるけれど、それが逆に自分の惨めさをどんどん加速させていったのです。
生きるために、働く、お金を得る。
そんな当たり前の仕組みの中に入れない私に、一体何の価値があるのだろう?
私は今、なんのために、何にモチベーションを置いて生きたらいいのだろう?
そうして必死で考えて導き出した答えが、「毎月1000円の寄付をする」ということでした。
寄付といえば、ユニセフだろうという安直な気持ちではありましたが、ネットで調べて
早速資料を請求し、手続きをしました。
たった月1000円だけれど、私のお金で世界のどこかの子供が、生きている。
その事実は、当時の私にとっての何よりもの救いとなりました。
そして、その時初めて知りました。
「誰かのためにお金を使う。そうすることで自分も救われる。
こんな素敵なお金の使い方があるのか。」と。
自分も他者も肯定し、救うことのできるお金の使い方。
それを仏教では「布施」と言います。
生きる力を与えてくれる、お金の使い方
布施というと、僧侶の方にお渡しする金品というイメージがあるかと思います。でも実際はそうではなく、「誰かに施しを与えること」と指します。
もっと踏み込んで言うと、「目の前の人が求めているものを差し出す」ということです。
人によれば、お金かもしれない、洋服かもしれない、食べ物かもしれない。
優しい言葉を求めているかもしれない。恐怖心をなくしてくれる、安心できる言葉かもしれない。
人生の先輩からのアドバイスからかもしれない。
今挙げた、全てが「布施」に該当します。
人の求めることをする、ということはとても難しいことです。なぜなら自分の求めることと、他人の求めることには相違があるからです。
だからこそ、何のために「布施をするのか?」。
その自分自身への問いかけが非常に重要になってくるかと思います。
よく、「せっかく席を譲ってやったのに、お礼も言わなかった」と愚痴っている方がいらっしゃいます。
でもその度にいつも思います。
親切にして、お礼を言われるところまでがあなたの描いていたゴールなのですか?と。
布施は、基本的に見返りを求めた時点で布施として「成立」しません。
親切にしてやったという意識もなく、自分がしたいからした。
親切にすることで、自分を喜ばせてあげることもできる。
だから、相手からお礼は言われなくてもいい。
多分、そういった「姿勢」が布施を成立させるための条件であると思います。
ただ私は、「布施」を目指す必要はないと思っています。「執着」というものがなくなったときに、必然的に生まれるアクションが「布施」だと考えています。
執着の残ったまま、布施を実行しようとすると先ほどのような、愚痴が生まれます。
足の事故によって、強制的に執着も持ちようのないぐらいの状況になって初めて、「布施」の精神が私の中に宿りました。
それをすることが、自分にとっての救いになると思えたから、私は自然とそこに向かうことができたのかもしれません。
今回、お金の見直しをする中で正直、月1000円も塵も積もれば結構な額になるよなあ…。と、寄付をやめようか、と悩んだりもしました。
でも、そのとき少し、想像してみました。
私のたった1000円だけれど、そのお金で子供が綺麗な水を飲んで笑顔になっている姿を。
そうすると、生きる力が不思議と湧いてきました。
顔も知らない、言葉も通じない子供が自分のお金で少しでも生きてくれている。
それだけで、十分にありがたいし、私は生きていける。生きて行こう。
そうして今も私は、寄付を続けています。
お金は厳しいし苦しいけれど、それでもいい。
お金って本当に不思議です。
誰のために、何のために使うかで、誰かの救いにもなったり、絶望にもなったりします。
どうせ使うなら、誰かと私の救いになるような使い方を
これからもしていきたいと思っている、今日この頃です。
無観客配信ライブのお知らせ
SALLiA 配信スペシャルライブ「前略、神様仏様。」
アーティストとして
ライブパフォーマンスや
ユーモア溢れるMCにも定評のある
SALLiA。
USEN一位を獲得した
代表曲「イデア」や、新曲「アルデバラン」、「神様、仏様」、
お坊さんPVで話題の「Face to」や、
未リリースの新曲など
計14曲が披露される予定となっております。
<配信日時>
2020年10月31日(土)19:30〜公開
※1週間、いつでも好きな時に何度でもご覧いただけます。
<料金>
2,700円(税込)
オンライン講座のお知らせ
仏の教えを日常に使おう!講座
テーマ:「自由」
<日時>
2020年10月25日(日) 13:30〜
<料金>
1000円
歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。
「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。
幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。
そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。
2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。