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仏像オタクニストSALLiAの「仏のトリセツ」vol.25「大切な人を亡くした時はどう生きる?」

年々、時間の過ぎ去る感覚が早くなっている気がしていますが、1日1日を大切に生きていきたい今日この頃です。

そんな目まぐるしく動く日々の中で、奪われていく命や、自らの手によって失われた命など、「人が亡くなった時の喪失感」について考えることが多くなってきました。

2022年最初の「仏のトリセツ」は、そんな「命を失った時の喪失感にどう向き合うか?」という内容で始めたいと思います。

生まれ変わるという前提だからこそ

亡くなったら人はどうなるか?それは誰しもが一度は考えたことがあることだと思います。実際は死んでみないと分からないとは言いつつも、仏教は基本的に「輪廻転生」を前提としています。

ヒンドゥー教の前身となったバラモン教で輪廻思想が述べられ、それが古代インドの価値観となり、仏教にも深く影響を与えています。もちろんバラモン教ではカースト制度が前提となった輪廻などの違いはあれど、命は輪廻すると点においては共通しているんですね。

日本でも「生まれ変わり」をテーマにした作品はたくさんありますし、大切な人を失ったら「生まれ変わってでも会いたい」と思うのもまた必然でしょう。

そこである日、考えたのです。仏教は「なぜ生まれ変わることが前提なのか?」と。

前提があるということは、向かわせたい場所があるということであり、生まれ変わることの目的や意義があるという前提こそに、本質のヒントがあるのでは?と思いました。

宗教的な側面は置いておいて、残された側にとって「生まれ変わり」を前提とすることで、受け入れ方や向き合い方が変わることもたくさんあるのかもしれない。

人は互いに影響を与え合って生きています。死んだら終わりではなく、その人が死んだ後も生きた人に影響を与え続けることができるのも、また人間の特性でしょう。

つまり互いに影響し合うことで、初めて得られる「共同作業型の学び」もこの世にはたくさんあります。

仏教では苦しみを乗り越え、様々な智慧(学びや気づき)を得た人が、悟りに到達し、輪廻転生から解脱、抜け出すことができるという風に言われています。

「あの人はなぜ、死んでしまったのだろう?」「私がもっとできたことはなかったか?」という後悔は誰しもが直面する想いですが、どんなに後悔しても、その考え方ではいつまで経ってもなくなった人も、残された人も苦しいまま。

苦しみを乗り越えられる瞬間というのは、目の前の「苦しいと思う出来事」に「意味があった」と自分の中で納得し、「学び」や「気づき」にできた瞬間だと、私は常々考えています。

もちろん無理に「意味があった」と思い込む必要はなく、故人に対して思い切り悲しむというのも一つの「手向け」であるとも思います。

ただどこかでその想いにキリをつけ、その人の死が意味あるものだったという事実に変えられるのは、残された人にしかできないことではないか?とも思うのです。

そしてそうすることが、残された側の希望や生きることへのモチベーションになり得るのではないか?とも。

同じ処でもう一度会うために

そんなのただの気休めだし、綺麗事と言われるかもしれません。死んだ後のことは私も分からないですが、少なくとも生きている人にとってより良い選択を考えていきたいし、それが最優先事項だとも思っています。

私が好きな言葉に「倶会一処(くえいっしょ)」というものがあります。よく墓石にも刻まれているので、目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

「共に一つの処で会う」という意味で、浄土教の往生の利益の一つと言われており、つまり、きちんと人生を全うしたご褒美として極楽浄土で会うことができるということだと私は解釈しています。

その人が生きた証というのは、残された人間にしか残していけないものです。その人がどんな人だったか、そしてその人から受け取った想いや、受けた影響をいかに「学び」として、また別の誰かに良い形で影響を与えられるか?

それが一番の手向けであり、いつか同じところで会うためのチケットのような気もしています。

そして私が往生した時に、あの人とあの世で会うために頑張って生きようと思ってもらえるような生き方ができるように、頑張っていきたいものです。


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毎週水曜19時に更新しているので、ぜひチェックしてみてください。

【SALLiA】の日日是好日ちゃんねる。

https://www.youtube.com/c/SALLiA

文・hasunoha編集部
SALLiA(サリア)

歌手、音楽家(作詞・作曲・編曲家・音楽プロデューサー)、仏像オタクニスト 。

「歌って作って踊る」というスタイルで話題を呼び、2016年11月USEN1位を獲得。さらに4週連続トップ10入りを果たした。さらに音楽家(作詞・作曲・編曲家)として楽曲提供を行ったり、県域ラジオ局のラジオパーソナリティ、全国のフリースクールでのボランティア活動等、その活動は多岐に渡る。

幼少期よりいじめ、不登校、家庭内の不和など、様々な生きる苦しみを感じながら成長し、20歳で「仏像」と出会う。そこからずっと感じていた「どんなに過酷な状況でも穏やかに、幸せに生きる方法」を本格的に模索し始める。

そしてUSEN1位獲得の翌年、足の事故に遭うという人生最大の危機が訪れる。しかしその人生最大の苦しみがきっかけとなり、仏像だけでなく本格的に「仏教」の勉強をし、「自分で自分を救っていく方法」を発信する「仏像オタクニスト」としての活動を始めることを決意。2018年4月、本名の畑田紗李から「SALLiA」に改名。

2018年12月3日、「生きるのが苦しいなら~仏像と 生きた3285日~」を出版。紀伊国屋週間総合ランキング3位やダ・ヴィンチニュース1位など、話題を呼んでいる。

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